Back To ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャー (H.S.A.)

(文・写真)小島直美さん

 

野生動物の穴場は意外なところにあるらしい

ここ最近、アフリカにガラパゴス・・と妙に動物づいている小島ちん、そんなところにまたまたやってきましたヨ。面白情報が。絶滅を叫ばれて久しいベンガル虎が、野生のままにのし歩いている姿が見られる場所があるというじゃあありませんか。
しかも、そこへは象にのってジャングルを分け入ってゆき、鹿やサルの群れ、ジャカルやイノシシ、アジアの一角サイが手が届きそうな距離でみられるとか。
こ、こりゃー面白すぎる、行くしかないよ、早速行動開始だい!
まずは場所の調査。その記事ではデリーから車で8―9時間行ったインド北部とあったんだけど、調べるうちにどうやらネパールのヒマラヤ山脈のふもとらしきことが判明。
そのままインターネットで調べるうちに、こんなとんでもない旅をお世話してくれる現地のエージェントも見つかり、いよいよネパール・虎狩り作戦のはじまり、はじまり・・。

 

@2月14日(土)恐怖のギャンブル・フライト

いよいよ出発。
今回のフライトはウィーン―デリー、デリーで1泊した後、翌日カトマンズへと入る予定であったのだが・・初日から大問題発生。
搭乗予定だったオーストリア航空のデリー便が当日になって40名ものオーバーブックを出し、社員用のスタンバイチケットだった小島ちんはウィーンでほっぽり出されちゃったの!
こ、これはあんまりだ、昨日の時点では17席も空いているっていったじゃんかー!と騒いでもだめなものはだめ。
前回のガラパゴスでの悪夢を思い出しつつ、またもや市内のJLオフィスへと引き返し、きゅうきょ自分の航空券を作り直す小島ちんでありました。
ひょえーん、日程がきついため、今回はかーなりヤバイぞぉ。くそー、ルート探しからやり直しだ!

 

A2月15日(日)突然・・ボンベイ

翌日、気を取り直してウイーンを再出発。
新しいルートはぬわんとエールフランスでウイーン―パリと飛び、そこからデリーではなく西インドのボンベイへと入ってカトマンズへつなぐルート。
ボンベイ線も混んでいるけど、オーバーブックを出してるデリー線よりはマシだろうと、またまたギャンブルフライトに出たわけです。
ところが、ウイーン―パリが霧のため1時間半も遅れ、ボンベイ行きのフライトまで15分しか乗り継ぎ時間がないから大騒ぎ。
でも同じ理由でボンベイ線も2時間遅れており、無事に乗ることができたのでした。
ふう、焦った。
7時間後の深夜2時。ボンベイ到着。
が、空港にはホテルもナイ。
仕方なく、空港のロビーで朝まで野宿する羽目に・・。
夜だというのに妙にむし暑い。冬だというのに蚊がいっぱいいる。寝てるのに話しかけてくるヘンな人もいっぱいいる。
うー・なんだって私、今ボンベイなんかにいるんだろ、全ちゃーん!(ネパールで合流する友人の名前)、も少し待っててねー、無事でいてねー。

(←)余談ながらこの夜、ボンベイ空港の荷物の一時預かり所(なぜだか駐車場にある)に向かう途中に、ぬわんとナイフで刺されるというアクシデントがあったのさ。
暗くてなんだかよく分からず、んでもって眠くて期限が悪かった小島は手に持ってた旅行カバンをはたいて通り過ぎたんだけど、後でカバンを見てビックリ。
ナイフはカバンを貫通して、中に入っていたトレーナーはザクリ大穴!

 

B2月16日(月)ボンベイで開き直り、カトマンズへ

早朝6時半。空港に荷物を預けて市内へ。
カトマンズ行きの飛行機が夜7時のため、まる一日ボンベイで時間があるのだ。来る予定なんてまるでなかったインドだけど、こうなったら楽しむしかない。
というわけで近郊の仏教遺跡で有名な島、
エレファント島をめざしたのはいいんだけど、フェリー乗り場に着いて愕然。今日は月曜日でお休みだって。
ばかもの!
ユネスコの保護遺跡リストにも載るような大遺跡じゃんか!開けときーや!

30分後、むらがるタクシー運転手をふりきり、ひとまず近くのタージマハールホテルへ。
ここはボンベイで最高級のホテルで、ジーパンにインディ帽の小島の似合わないこと、似合わないこと。
でも、これだけ疲れる国じゃ、こういう場所以外、静かに対策が練れる場所がないでしょ。だからひとまずここへ。
で、ホテルのトイレで顔を洗い、リフレッシュした後に、ちゃっかり開き直って街に買い物に行くことに決めた。
だって、インドといえばサリーでしょ。
ホテルや街を歩く素晴らしいサリー姿のインド女性を見るうちに小島もがぜんその気になっちゃって、よーし、来年のカーニバル用に一着買っちゃえ!とばかりにクレジットカードを握りしめ、街へと繰り出したのでありました。

街にでるなり、さっそく見つけちゃったよ。赤とグリーンで、光沢のある透けた生地。
私、サリーって紐やスナップでとめるのかと思っていたけど、実は単なる1枚の長い(7-8m)布なんだね。
これを、同色の腰巻きとたけの短いブラウス(タンクトップ)の上にぐるぐる巻いて、肩にはおって着るのです。
小島ちんはこの生地をメイン(5000円足らずだった)に、緑色の腰巻きを買った、まではいいんだけど肝心のブラウスがないっていうじゃん。
インド人はみんなこれをミシンで縫うため、一般には売ってないんだそうだ。
かくして小島ちんのブラウス入手の旅は始まったのでした。
行けども行けども、聞けども聞けども、ブラウスはない。
バナナはいらんか、マンゴージュースはどうだい、という物売りたちに「おっちゃん、ブラウスなら何枚でも買うよ。」とつぶやきながらさまようこと3時間。極暑のボンベイを歩き回ったのち、親切な女の子のおかげで、ヤミ屋みたいなところでようやくブラウスをGet!。

サリーの着方(HP「ネパール困惑日記」)

やったネ!とゴキゲンな気持ちでホテルへ戻り、遅い昼食。
タージマハールは食事が超一流なことでも知られているそうで、うまい具合にカレー・ビュッフェを行っていたため、さっそく挑戦。
もーそのおいしいこと!
18種類を次々に試したけど、チキンに羊、野菜にココナツと全部違ってて面白いし、おいしいし・・。インド人は天才だ!と大満足でホテルを出発し、空港へと戻ったのであります。
が、またもや飛行機のトラブル。
カトマンズ行きのINDIAN AIRがJLと提携しておらず、とりあえず予約だけしておいて、切符は空港で買えばいいやと思っていた私。
考えが甘すぎた。
そう、ここはインド。
どんな理不尽なこともまかり通る不思議なお国。
ぬわんと、ボンベイに乗り入れているくせに、INDIAN AIRの事務所が空港にないというじゃない!
委託業務をうけているAir Indiaは、そんなの発券できないっなんて、トボけているし・・。
1時間押し問答した後、頭に来た小島は社員証を振りかざしてAir Indiaの発券カウンターに押し入り、とろくさい発券職員から手書きの航空券をとりあげて、さっさと自分で航空券をきって、なんとかカトマンズへと飛び立ったのであります。
かー!ホント、私インドだけは大嫌い!きらい、きらい、だいっきらいダ!(でもカレーとサリーは好き)

2時間後の21:30、ヨレヨレになってカトマンズ着。(50時間起きてまっせ)
空港では今回旅行の地上手配をお願いしたHSA(ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャー社)の社長、プルバさんが迎えにきて下さっており、そのままタクシーでホテルまで送って下さったのであります。
夜の10時半、予定より2日遅れで全ちゃんと再会。
あー、お互い生きてて良かった!

C2月17日(火)ラフティング開始!

早朝、プルバさんに見送られてカトマンズを出発。今日はこれからゴムボートでトリスリ河を下るリバー・ラフティングに挑戦するのだ。
旅仲間の全ちゃんは泳げない、というもっともな理由からラフティングを棄権。
ガイド兼ボディガードはヌルさん。同い年で日本語を話すネパール人の彼とはいろんな話で盛り上がることが多く、とても楽しい道案内人。
夜明けとともにカトマンズを出発した乗り合いバスは、山へ山へとどんどこ走ってゆき、お昼過ぎにトリスリ河へと到着。
この間、ちょっとびっくりした事。
バスは2時間に1回づつ位トイレ休憩をとるんだけど、トイレがある所に停まるのではなく、河のほとりに停まるの。
後はご想像どうり。各自てきとーな距離をとって用をたすんだけど、女性もそうだからかなりビックリ。
でもネパール風の長いドレスを着ている彼女たちの後ろ姿は一見、しゃがんでいるだけに見えるのですが・・。
ジーンズをはいていては小島ちんは、けっこう冷や汗もの。

午前11時、ラフティング部隊と合流。
各自ヘルメットと救命胴衣を装着し、木製のオールを1本づと渡された後、そのまま河にゴムボートを浮かべ、いきなり河を下り始めるからビックリ!
フロントを守のは私と韓国人のキムさん、バックはヌルさんとラフティングガイド見習い、キオイ君。そして最後尾は大きなオールを2本繰るインストラクター。
彼が発する「Forward!(前にむかって漕げ!)」「Backward!(後ろむきに漕げ!)」「Full Power!(全力で!)」といった号令に従い全員で実地訓練を行うんだけど、木製のオールは思ったより重く、なかなか大変なスポーツであることが判明。
こ、こりゃヘビーだぜ、と汗をかいているうちに最初の関門、さざ波がたつ瀬が見えてきたから全員どっきどき。
ひょえー、なんだかやばくみえるぞぉ!
と、叫ぶ間もなく我らがボートはざざざざー!と瀬に突入していったんだけど、難なくボートは瀬の流れをとらえ、しぶきをあげながら波の上を乗って流れてゆくから、ぜんぜん恐くはないんだよね。
それどころか急にスピードがついて面白いのなんの!
こんな瀬が2つ3つと続くうちに、我々もコツを覚えて、瀬が現れるたびに「行くぞー!」と叫びながら、全員一丸となって、自ら流れにつっこむ勇気もわいてくるから大興奮。
でも面白いのは、瀬だけじゃなくて、河のリズムそのものなんだよね。
トリスリ河は大きなSの字を繰り返しながらうねうねと続いているため、瀬で水しぶきを浴びた後は、しばらくのんびり静かな流れが続き、そのうちまた激しい瀬が現れるといった具合。
河の両岸には子供たちが水浴びをしたり、ネパール女性たちが洗濯や魚とりをしていたり。鵜の群れや水牛もたくさんいて、まったく飽きることがないのです。
午後1時、ランチ休憩。砂浜のある風光明媚な岸にボートを乗り上げ、手早くサラダとサンドイッチを作って昼食をとったんだけど、力のいるスポーツだからみんな先を争うようにしてガツガツ。

その後、再び河を下り始め、3時をわった頃、本日のキャンプ地に到着。
小さな入り江にボートを留めて、砂浜にテントを張り、今夜の寝場所を確保。
キオイ君が夕食を準備する間、ヌルさんと私は近くの村まで散歩にでかけ、村の台所をのぞいて、そこのじゃがいものカレー煮と野鳥のピーナツ油揚げを食べさせてもらった。
石で作ったカマドのふちで、とうがらしやトマトを石でつぶして作る過程も興味しんしん。
辛いけど、味は絶品!
その後、キャンプに戻って夕食。今日のメニューはカレー味の野菜の煮付けにカレーピラフ、それにフレンチ・フライ。
運動した後だからおいしいのなんの。またまたがつついてしまった。
またたく間に睡魔に襲われ、9時にはぐっすり寝入る我々でありました。

D2月18日(水)野を越え、山越え、ジャングル越えて・・

翌朝パンケーキで体力をつけた我々は、途中参加のインド人とイタリア人4人と合流しさらに先へと下流へと開始。
この日は気温も高く、河下りには絶好のお天気。全員かなり慣れてきた事も合って、叫び声をあげながら大波を乗り越えたり、瀬を漕ぎ切ったりとワイルドな体験の連続。
午後をまわった3時頃、今日のキャンプ地へと到着。


実は、今日はここからがアドベンチャーだったのだ。
というのも、始まりはこのあとチトワン国立公園方面へとむかう乗り合いバスが、待てども、待てども、来ないんだよねー。
山村の路上で1時間以上待ったのち、ヌルさんとヒッチハイクで進むことを決心。
で、停まってくれたのが、木材を運ぶ大型トラック。
ボディにはヒンズー教のシバ神がバリバリにペイントされ、中はインドのポップスがガンガン。
運転席にはすでに5人も乗っており、私とヌルさんが乗ったら全員、身動きができない位にぎゅーぎゅー。
こ、これでホントに今日中にチトワンに着けるんだろうか・・?!
トラックはネパールのジャングルを越え、村むらをぬうようにしながら、ブイブイ走っていくのでありました。

1時間後、水牛がいっぱいいる村で休憩。そのまた1時間後、けっこう大きな休憩。
トラックは別方面へと行く為、私とヌルさんはここで下車。
・・しっかしすんごい所に来ちゃったよ。私たち。
水牛が道路をふさぎ、夜なのに道路中、人であふれ、にぎやかなのなんの。
ここまでくるともう。小島も開き直っちゃって、お米を売っているおばちゃんに日本語でトイレを貸してくれるよう頼んでみたり(これがけっこう通じる)、一発でお腹壊しそうなサモサを買ったり(案の定、お腹を壊した)。
小島がこんなことをしている間、ヌルさんは今夜から泊る国立公園内の宿泊施設に電話を入れたり、そこまで行く足を探したり・・。
そうこうするうちにすんごくうさん臭い若者が7-8人寄ってきて、自分たちのジープで行かないか、と言い出し、結局ヌルさんもOKするから小島は大焦り!いくらなんでも、この人たちはヤバいよぉ!!


第一乗ると決めても、いっこうに出発する気配がないんだよね。
「ちょっと準備があるから。」の繰り返し。
いったい何の準備なのさ?!と問い詰めたら、言葉を濁しつつ「ちょっとした箱だよ。」だって。
おいおい、一体なんの箱だよ?!
で、積まれてきた箱を見てますます目が点。
そ、それってまさに、沖縄の米軍保留品店にある弾薬箱じゃん!
涼しい顔で靴ひもを結ぶふりをしながら箱の側面をさわってみたら、しっかりカギまでかかってるじゃん。
おいおい、ヌルさん。私たち、この森で殺されちゃうぜ、絶対!ひょえー。

1時間後ようやく出発。
ふきっさらしの荷台でガタンガタンに揺さぶられながら、おんぼろジープは森を越えて西へ西へ。
途中、給油をしようと停まったら、エンジンがかかんなくなっちゃって大あせり。
で、私たちも車を降りて、エンジンの押しかけをするはめに。
うう、なんて一日だ。
それでも車は再スタートし、30分後にはなんとか真っ暗なチトワン国立公園に着くことができたのでした。
最初に寄ってきたうさん臭いやつらはともかく、車を運転してくれた3人はやんちゃながらも、なかなか面白いティーンエイジャーたちで、小島とヌルさんはおおいに感謝したのでありました。
さて、時刻はすでに夜の9時。真っ暗な国立公園内の宿泊施設(マチャン)の職員2名と頑丈なジープが待機しており、我々を乗せた後はいよいよ真っ暗なジャングルロードへと分け入っていったのであります。
20分後、マチャンへ到着。