私の体験「トレッキング以上」

カラパタール・トレック&チトワン・サファリ

 

 ご挨拶遅れましたが、今回のトレッキングの手配本当にありがとうございました。

 カラ・パタールには行けませんでしたが、初めてのトレッキングで標高5000mの所までいけて、またそこまでの道中の体験は一生忘れることはないでしょう。

 英語もほとんど駄目な私と、日本語が話せないガイドのパサンとの12日間はとても面白かったです。行きは、パサンの弟(ガイド)とそのツーリストのイタリア人2人とそのポーターと6人でした。当初のスケジュールを変更してイタリア人の人やパサンのアドバイスでいろんな所に行くことが出来ました。標高4350m程のディンボチェで私が高山病の症状が出てきたので彼らは先に行ってしまいましたが、ロッジでの夜などはいろんなことを片言ですが話せ、文化の違いなど多くの刺激を受けまた、やさしさも感じました。

 私は、標高4620m程のトュクラで寝てる時息が止まってしまうようになってしまったので翌日下ったのですが、夜中パサンが私を見ててくれて的確なアドバイスもしてくれて本当に助かりました。高山病の症状もタンボチェまで来た頃にはすっかりなくなっていました。(次回は少しトレーニングしてからにします。)

 帰りは、予定より早く下ることになったのでタンボチェでエージェントのプーバまで電話してくれカトマンズにもスムーズに戻ることができ、空いた時間でチトワンにも行くことができました。

 ただ、ひとつお聞きしたかったのですが、私がトレッキングの道中個人で旅をしている日本人や日本語が話せる現地の人と親しく話していると、パサンは英語や現地語で私と話をしないでくれ言って必ず相手の人は気分を悪くしていました。最後の方は喧嘩になりそうな時もありました。なぜそういうことを言ったのか聞いてみてください。

 あと、最後の日プーバの家でご馳走してくれたダルバートは20日間の料理の中で一番おいしかったです。それとお母さんと日本までいっしょに行くことができ、普段私が経験出来ないような事(ネパールの人が日本に行くことの大変さ等)を感じることが出来、勉強になりました。

 いろいろとありがとうございました。いつか必ず、もう一度トレッキングに行きたいと思います。では。

 

2001.1.17

by Mr.KM


 プルバからの回答です。
 パサンが、言うには、別の旅行社の(日本人グループの)ガイドが、トレッキング道中、自分のお客と話をするのではなく、何回もMr.KMさんに話しかけてきて、何やらうまく取り入って次回のトレッキングはあちらの会社から行くようにしようとしているようにも見え、面白くなく、いささか無礼な態度を取った、ということです。
 パサンは日本人には大変評判がいいです。
 今回のは、ガイド同志の意地みたいなもんでしょうか…。

 この度は、私の家内(シェルパ人)の母と一緒に付添って日本に帰国していただきまして、感謝しております。文字も分からず、初めての海外旅行、我々が想像する以上に不安だったと思います。
 2月にネパールに帰国する時は一人です。さてどうしようか、と一同思案中です。

HSA.JAPAN 森崎


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