ネパール大地震
2015

2015.04.25
現地時間11:56
日本時間15:11
ネパールに大地震発生
マグニチュード7.8
震源地:ゴルカ地方(ポカラとカトマンズの間)

「ヒマラヤン・シェルパ基金」のご支援お願いも合わせて掲載しております。
ネパールの地震について (下記時間はいずれも日本時間です) 以下、時系列でお知らせします。              2015年
(4月27日、09:40)


カトマンズ本社は無事でしたが、周りの古い家屋はかなり倒壊したとのことです。
また、弊社のコンデ・ホテルとパクディンのホテル・シャングリラとに地震の被害がありました。
ヨーロッパのお客様はすべて無事でした。
現在ダウラギリ登山中の日本人の方1名様につきましては、安否確認が取れ、現在BC近辺で活動されているとのことです。当地でも地震の体感はあったとのことです。(4月25日23:59)

弊社を過去にご利用の複数のお客様から、地震災害についてご支援の意思のメールを頂いております。ありがとうございます。
私(森崎)の妻(シェルパ)の母(カトマンズ)と実家の弟(ルクラ付近)の安否確認がまだ取れておりません。
プルバ社長も弊社のお客様対応の他、ネパール観光局、トレッキング協会、山岳協会等々の仕事でかなり忙しくしており、携帯の他は、詳しい状況の報告がまだございません。
上記日本人の方が衛星電話を所持され、またまもなく下山されますので、おいおい情報を得られるかと期待しております。

 

(5月2日、17:00)
私(森崎)の妻(シェルパ)の母(カトマンズ)と実家の弟は無事とのことです。
飛行場は再開されましたが、国内便は満席で空席確保は難しく、国内移動は困難とのことです。
現在ネパールとのメールは使用できません。(4月27日、15:30)

以下は、ダウラギリ隊イタリア人登山者Marco Confortola の情報があるサイトです。
http://news.newsdirectory1.com/concern-for-3-italians-stuck-on-everest-and-dhaulagiri/
今年のダウラギリ登山(ノーマルルート)は上記日本人の方とこのイタリア人の2名のみとのことです。(4月29日、06:59)

昨日ダウラギリ隊の日本人の方が下山し、ポカラに着きました。
途中ベニまでの村やポカラは地震被害がほとんどなく、ポカラではみんな普通に観光しているとのことです。
(5月3日、09:00)
5/2にやっとメールが来るようになりました。本社社長の寄付や復興支援のお願い文を下記に掲載しました。
社長によりますと、ランタンのゴラタベラ上部が特にひどいらしいです。マナスル、クーンブの多くの住居も被害を受けました。
弊社のパクディンのホテル被害が大きく、再建に3か月ほどかかるということです。コンデ・ホテルは2週間の修理を見込んでいます。
カトマンズのホテルでは、ホテル・シャンカールに被害が出ました。あとは2軒の小さいホテルに被害がありましたが、概ね被害から免れたようです。
弊社のガイドのドルジー(下写真)の家が倒壊したとのことです。すでにお客様からご寄付の申し出を頂いております。大変ありがとうございます。後程送金方法等お知らせできるかと思います。 

本社社長(カトマンズ)から皆様へ支援の依頼です。

2015.04.28

ヒマラヤン・シェルパ基金

お願い @

ヒマラヤ大山脈を擁するネパールは、2015年4月25日にマグニチュード7.8という大地震に見舞われました。これまで死者6500人を超え、少なくとも15000人の負傷者を出すとともに、数え切れないほどの多くの人たちが家を追われて避難を余儀なくされています。ネパールを襲ったこの巨大地震により何千もの行方不明者を出しましたが、崩壊した家々の瓦礫の下に今も埋もれている多くの人たちがおり、その被害者数はまだまだ増えると見られております。この強烈な地震で、多くの学校、僧院や寺院、道路、橋、公共施設が崩壊しました。また健康を脅かす様々な要因が不安を煽り、ネパール全国民を混乱の淵に追いやっています。

 

この地震はまた、エベレストのベースキャンプでは雪崩を引き起こしてネパール人と外国人登山者合わせて20人の命を奪い、200人もの負傷者を出しました。ご遺体の回収もありますが、現在のところ、まず生存者の安全を確保して下におろすことに専念しております。昨年も雪崩によりベースキャンプで死亡事故があったばかりで、誠に不幸な災難というほかはありません。

 

当面は、ネパール国の存続と成長に向けて再建に取り組むことが、「残された」我々に求められております。 ここにヒマラヤン・シェルパ基金は、ソル・クーンブのエベレスト地方を始め、地震被害の大きかった他の地域における急務に対応するため、「地震救援プロジェクト」を立ち上げました。

 

これまで、ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーは、敬愛する顧客の皆様の支援を得ながら、ヒマラヤン・シェルパ基金を通じて、貧しい家庭の子供たちや孤児に教育の機会を与え、学校や僧院の施設等の建設支援活動に10数年の間積極的に取り組んできました。ヒマラヤン・シェルパ基金は、これまで協力関係にあったファラック・シェルパ・キドゥク(エベレスト山麓シェルパ協会)やマヘンドラ・ジョティ高校(エベレスト地域唯一の高校)の卒業生フォーラムのメンバーと共に、地震救援プロジェクトに必要な行動に取りかかることになりました。上記2つの団体はいずれもその多くのメンバーが震災地域に居住しており、この計画に強い意欲を示しております。

 

予備調査隊はすでに震災地域に飛んで、視察、データ収集、地方議会や地域団体との連絡網配備に着手しております。ファラック・シェルパ・キドゥクやマヘンドラ・ジョティ卒業生フォーラムの支援のもと、避難施設、食糧、医療品の3つの主要支援物資の緊急供給を何よりも優先してとり行うことにしました。ヒマラヤン・シェルパ基金は、現在我々のメンバーが現地にて調査しているレポートを元に、各村の住居、学校、僧院の復興、再建に投入する資金やその時期の査定に取り組みます。ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーは、地震救援プロジェクトのスタートに先立って100万円ほどの寄付を決めました。

 

アジア基金あるいは我々の友人を始めとする個々人の方々はすでに我々と行動を起こしております。各地域ですでに調査が開始されていますので、もう我々のメンバーやボランティアの人たちは現地にいます。これらの受け入れ態勢をご勘案の上、我々の行動に協力をして下さる方を歓迎します。のちほど、全体状況の詳細情報をお知らせするとともに、我々の着手する地震救援プロジェクトの全貌をご報告させて頂きます。これにより、皆様がどの部分でご協力頂けるか、あるいは地震救援計画への寄付をして頂くための手がかりとなると思います。

 

「私たちは来週中にでも、現状把握後、レポートをまとめて、皆様に詳細をご報告させて頂きます。」

 

私たちは皆様の強力なご支援、ご厚意を賜り、住居、学校、僧院等のインフラを再建することにより、生き残った同胞が一刻も早くもとの日常生活に復帰できることを望みます。また、従来の取り組みである貧しい家庭の子供たちや孤児が学校に行けて将来豊かな人生を送れるようにする取り組みに対しても、ご支援賜りますよう、この場を借りてお願い申し上げます。

 

ヒマラヤン・シェルパ基金代表

プルバ・ギャルツェン・シェルパ(Phurba Gyaltsen Sherpa)


(5月5日、23:00)
本社社長は、国会議員と一緒にクーンブ地方(エベレスト街道方面)を視察しました。コンデ、クンデ、クムジュン、ナムチェ、リミジュン、パクディン、チョーリカルカ、ルクラを回りました。のちほど国会議員とレポートをまとめるそうです。
弊社のコンデ・ホテルの修理は5,6名の大工で1か月かかり、パクディンのホテルは20名の大工で3か月の修理となる見積りです。
弊社の以下のガイド等の家が倒壊したとのことです。
1, Pasang Dawa (B)
2, Dorjee
3, Thiley
4, Pasang Rinzi
5, Lhakpa Tseri
6, Phu Nuru
7, Mingma Tseri
8, Nawang Nuru
9, Gopal

(5月8日、05:50)
現在、空港は正常に戻っています。
カトマンズ、エベレスト、アンナプルナ方面の各ホテルは、通常通り営業しているとのことです。
震災が激しかったのはトレッキングエリアでないゴルカ、ダディン、ヌワコット、シンドゥパルチョークなどです。
通常のトレッキングはできます。
カトマンズでは、ダラハリやダルバール広場の世界遺産の建造物に大きな被害がありました。
しかし、ボダナート寺院、スワヤンブーナート寺院、パシュパティナート寺院、パタンのダルバール広場はそれほどの被害ではありません。
現在、ほとんどの人々の生活は通常の暮しを取戻し復興に向けて新たな生活を始めております。復興には何年もかかると予想されます。


(5月11日、07:50)


2015.05.07

ヒマラヤン・シェルパ基金

お願い A


ヒマラヤ大山脈を擁するネパールは、2015年4月25日にマグニチュード7.8という大地震に見舞われました。これまで死者7800人を超え、少なくとも16800人の負傷者を出すとともに、30万人以上の人たちが家を追われて避難を余儀なくされています。ネパールを襲ったこの巨大地震により何千もの行方不明者(ネパール人228名、外国人96名)を出しましたが、崩壊した家々の瓦礫の下に今も埋もれている多くの人たちがおり、その被害者数はまだまだ増えると見られております。この強烈な地震で、多くの学校、僧院や寺院、道路、橋、公共施設が崩壊しました。

この地震はまた、エベレストのベースキャンプでは雪崩を引き起こしてネパール人16名と外国人登山者4名、合わせて20人の命を奪い、200人もの負傷者を出しました。すべてのご遺体は回収され、負傷した外国人登山者はカトマンズに搬送されました。ほとんどの外国人登山者は、カトマンズで治療を受けた後、それぞれの国へと帰路につきました。

これまでのところ、ヒマラヤン・シェルパ基金は、「第1段階」の活動において、現地で購入した150張のテントを、チョーリカルカ、リミジュン、グメラ、パクディンの各村に当面の避難シェルターとして緊急支援しました。ドイツ赤十字社のご厚意により賜りました200張のテントは、チョーリカルカ、ナムチェ、クムジュンの各地区に配りました。避難シェルターの他に米もチョーリカルカ村に配給しました。ヒマラヤン・シェルパ基金の緊急支援プロジェクトによる食糧配給は現在進行中ですが、同時に、クムジュン地区の住居の再建と社会復帰にも取り掛かっております。

我々の調査隊は、クーンブ地方の視察、データ収集、地方議会や地域団体との連絡網配備を行いました。これにより、地震被害状況を把握するとともにデータの概要も得ることができました。現在なおもデータ補完活動をしており、データが整いましたら、データを精査・査定し、資金とその投入時期を計って、各村の住居、学校、僧院の復興、再建を決行します。ヒマラヤン・シェルパ基金の「第2段階」は、全被害状況の文書化、再建のための全費用の試算です。これは全データが出揃い次第お知らせ致します。全レポートが出来上がりましたら、効率よく効果的に資金を活用するため計画的に本プロジェクトを挙行していきます。下表の被害状況からその被害が部分的なのか全壊なのかがわかります。

第1段階のプロジェクト進行中に、アジア基金、ドイツ赤十字社、マヘンドラ・ジョティ高校卒業生フォーラム、ファラック・シェルパ・キドゥク(エベレスト山麓シェルパ協会)から多くの支援を受けました。これらの団体とボランティアの方々によるたゆみない支援活動のおかげで第1段階の地域住民への緊急支援が滞りなく行われました。多くの家、学校、病院、僧院を破壊したこの地震は、ネパールに甚大なる衝撃を与えました。インフラの再建と復興にむけて第2段階においても、皆様のさらなるご支援を賜りますようお願い申し上げます。

繰り返しになりますが、我々のこの困窮せる非常時における皆様の温かいご支援に感謝をするとともに、より一層のご支援を頂けることを望みます。困っているときの皆様のご支援は心にしみます。引き続き、どんな形ででも、皆様のご支援を頂ければと存じます。地震のせいで学校に行けなくなった子供たち・・今こそ彼らを勇気付けて学業を続けれるよう支援するときです。家、学校、僧院等のインフラ再建により、地域住民が日常生活に戻れるための強い温かいご支援、本当にありがとうございます。

下記掲載の被害状況の統計もご覧ください。

ヒマラヤン・シェルパ基金代表

プルバ・ギャルツェン・シェルパ(Phurba Gyaltsen Sherpa)




クーンブ地方の被害状況


エベレスト街道のルクラ以北ナムチェ以南(ナムチェ含まず)の住居被害状況

地域 No.

村名

全壊 (戸数)

部分的被害 (戸数)

1.

Monjo/ Jorsalle

19

33

2.

Chourikharka

42

14

3.

Kyangma/ Cheplung

13

28

4.

Musey

7

31

5.

Rimijung/ Toktok

50

5

6.

Ghat/ Chuserma

14

18

7.

Sengma/ Tatey

4

29

8.

Lukla

8

12

9.

Gumela/ Phakding

28

12

 

合計:

185

182


















 クムジュンとクンデの住居被害状況

概要

Khumjung Village

Khunde Village

合計

全壊

11

12

23

壁の倒壊

42

8

50

部分的被害

50

15

65

ひび割れ程度

37

3

40

合計

140

38

178





■各地区被害状況

MahendraJyoti Higher Secondary School (Chourikharka)
マヘンドラ高校(チョーリカルカ)

Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Mahendra Jyoti School:Mahendra Jyoti 1.jpg Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Mahendra Jyoti School:20150504_175355 2.jpg

Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Mahendra Jyoti School:20150504_175740.jpg 

Janasewa Lower Secondary School (Gumela)
ジャナセワ中学校(グメラ)
Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Mahendra Jyoti School:20150504_180456.jpg Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Mahendra Jyoti School:20150504_175528.jpg



Rimijung Monastery
リミジュン僧院

Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Rimj2.jpg

Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Rimijung 1.jpg


“Khumjung” Village Development Committee
クムジュン地区
Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Khumjung:20150503_101656.jpg

Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Khumjung:20150503_105437.jpg

“Chourikharka” Village Development Committee
チョーリカルカ地区




Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Chaurikharka:New Folder With Items:20150504_165701.jpg

Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Chaurikharka:20150504_165621.jpg Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Chaurikharka:20150504_165608.jpg


Volunteers from the Foundation and Immediate relief materials
ボランティアと救援物資
Macintosh HD:Users:Mingmawongchu:Desktop:Quake photos:Mahendra Jyoti School:20150503_072621.jpg

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Khumjung Monastery

クムジュン僧院

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Khumjung School
クムジュンの学校
 



(5月13日、00:10)
CNNニュース(英語版↓. 日本語版は下の画像のすぐ下にあります)
http://edition.cnn.com/2015/05/08/world/nepal-forgotten-sherpas-remote-village-everest/index.html

CNN記者が、弊社プルバ社長がクーンブ地方(エベレスト街道方面)に視察・救援に飛んだ時に同行し、アメリカに帰国してから記事にしたのものです。(プルバは引き続きCNNにニュースを送る意向です。)

プルバは国会議員のBal Bahadur KC とともにへりに乗り込んだ。


(以下、CNN記事の訳)
2015.05.12のCNN国際版ニュース

◆記者:Moni Basu, CNN
◆Bal Bahadur KC ネパール会議党、ソルクーンブ(郡)選出。2,3年前まで2年ほど観光大臣を務めた。
◆Phurba Gyaltseng Sherpa (プルバ) ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャー社長 観光局理事

カトマンズを飛び立ったプロペラ機は危険なことで悪名高いルクラ空港にガタガタと音を立てて着陸した。
ドイツ赤十字社から寄付されたテントも一緒だ。

プルバ(49)は、地震直後、自分のやるべきは、人々への支援だと思った。
人々というのは、シェルパのことである。
シェルパとは、エベレスト山麓に居を構え、クライミングのエキスパートとして世界に知れわたる少数民族である。
シェルパはトレッキング業でネパールの基幹産業である観光業を支えてきた。しかし、ネパール政府はシェルパのことなぞ眼中にはない。山間僻地の忘れられた存在である。
シェルパたちは、今また政府の無関心に不安を抱いている。

    
【訳注】
ネパールでは大半がヒンズー教徒であり、カースト社会となっている。
上位カーストのブラーマンやチェトリが政治経済の中枢にあり、仏教徒のシェルパ等アウトカーストの位置にある少数民族は、各種インフラ、教育その他の面で政府からの恩恵はあまり得られないのが実情です。

プルバにとって、カトマンズからこの山間地に飛んでくることは、単に被災地にいる数千人の住民への人道支援ではなく、それは極めてパーソナルなものである。

「今こそ、自分を育ててくれた偉大な自然と同胞シェルパへの恩返しの時だ。」

もうプルバには一刻の猶予もない。
ほとんどだれもこんなところに救援に来てくれる人はいない。
ネパール政府はもちろんのこと、地震の後にカトマンズに飛んできたメディアや国際救援隊の姿はここにはない。

確かに、このエベレスト山麓に点在する村々は、震源地に近い地域ほどひどい被害ではない。シェルパたちはとりあえず、食糧や水に事欠くことはない。これまでも経済的には比較的恵まれた地域であった。

しかし、ネパールは単なる貧困国ではなく、最貧国のひとつである。
そして今も、観光シーズンが突然終焉してしまった。
去年もそうだった。昨シーズンはエベレストベースキャンプ上部のアイスフォールで巨大な氷塊が崩れ落ち、16人ものシェルパが亡くなった。この地震のダメージから立ち直ることができるのだろうか、果たして観光客の人たちはこんな危険と悲しみの満ちたところにまた来てくれるのだろうかと、みんな不安にくれている。

これらの村々はもともと非常にアクセスの困難なところだ。車道がなく徒歩で行かねばならない。支援物資は来ないだろうと言う人もある。
プルバはロバで運ぶのがいいだろうという。

「待っていても政府の動きはにぶい。」
とプルバは、お役所仕事とやる気のなさをなじった。

大災害の難局に、意を決して働くプルバのオレンジのジャケットが、ヒマラヤの大展望を背景に輝いて見える。

私(記者)が、プルバに会ったのは、2,3日前のカトマンズ、アメリカの登山家で映画制作者の Tom Taplin について取材していていた時のことだ。
Tom Taplin はエベレストベースキャンプの雪崩で死んだが、その時プルバは手配してくれて、遺体を下ろすことができた。

その折にプルバは、人々の目が外国人死傷者ばかりを注目して、影の立役者であるシェルパにちっとも関心をもってないと嘆いた。シェルパの若いガイドも同じ日に死んで家族が喪に服していることを教えてくれた。

私はプルバに急遽そのあわただしい救援行に同行させてくれないかと頼んだ。
2日後、私はプルバと共に機上にいた。

ルクラ空港ではプルバはドイツ赤十字社の救援物資の荷下ろしを監督していた。
それからフィッシュテイル社のヘリに乗り込み、議員の待つパクディンに飛んだ。

プルバは、この地域の地震後の視察に政府関係者が立ち会うよう、Bal Bahadur KC に同行してもらう手筈を整えていた。カトマンズの政府関係者にもこちらに目を向けさせる意図があったのだろう。


議員を乗せて北に向かう。
パイロットのMauritzio Folini はヒマラヤを飛ぶのが好きだ。
エベレストのネパール名はサガルマータ。サガルは空、マータは頭という意味だ。
天に届くところにいるようだ。ヘリに乗れば、その名前の由来がもっともであることが良くわかる。
だが地震のあとは、地獄の傷跡が至る所に見られる。
Folini はこれまで数え切れないほどベースキャンプで救助してきたが、ここ2,3日は、ぞっとする仕事でやりきれないという。
「私自身も登山をやっていた。この仕事は好きだ。しかし今は・・・悲劇というしかない。」

クンデの警察派出所の前に着陸して、徒歩で石、セメント、木造建築の瓦礫の間を下りて行った。

見かけない光景が展開していた。
ノースフェイス、マーモット、マウンテンハードウェアなどのカラフルなテントでいっぱいだ。
このあたりは、一家に一人はガイド等の仕事に出ており、どこの家にもテントはある。外国人からもらったものや、市場で買った偽物だ。

プルバは家々を回り、名前を書きつけ被害状況を記録していく。家の多くは被害を受け、ペシャンコになっている家もあり、無傷の家はほとんどない。

住民のDa Tsering Sherpa, 40. は言う。
「私はナムチェの土曜市に行っていたので助かった。家に帰ると全壊していた。」
Pasang Lamu, 55 は言う。
「私はすべてなくしてしまった。どうか助けて下さい。」

クムジュンはプルバの奥さんの出身地である。
プルバの親戚の人が外のテントにいた。見れば家は崩れている。プルバが何度もお茶をよばれ、食事をした家だ。
「みんななくなった。一からやり直しだ。・・・だが、我々は生きている。悲しんでいる間はない。やることはいっぱいある。」
プルバは感情をやっとのことで抑えながらそう言った。

岩がころがる道を進んで村を回った。
みんな、絶望と困惑の姿だ。
家の基礎はむき出し、岩が道をふさいでいる。

クンデの隣村のクムジュンでは、同行の国会議員が愛する人を失った家族に、形ばかりの金額の$400手渡した。これは、昨年エベレストベースキャンプで命を落としたシェルパの家庭に与えられた金額である。
危険な仕事に従事するシェルパへの涙金は、彼らにとっては政府の無関心の現れに見える。

この午後、家を失った家庭は$100受け取るという。この地域だけで164の家庭が家をなくした。
国会議員はさらなる援助を約束した。

しかし人々は誰も政府を信用していない。
プルバの友人のChungbu Sherpa は言う。
「我々は名ばかりのネパール人。関係ナシだよ。自分たちでやるしかない。」
学校教師の Chhunjing Dorjee Sherpa, 50 は、議員たちが頼りになるとは思っていない。
「それがネパール政府というもんだ。まあ、多分NGO頼みか、銀行の低金利融資にすがるか・・」

パクディン付近、何とか持ちこたえた僧院では僧侶たちが修復に忙しく働いていた。
プルバにとっては、カトマンズの世界遺産の寺院に匹敵する大切なお寺だ。

道中で、プルバのところでガイドとして働くNawang Nuru Sherpa, 38 の家があった。
やはり倒壊し、奥さんは9才の息子と女の赤ん坊とテント住まいである。
「もう観光客は来ないのでは・・どうやって稼いで家を建て直すのか・・・」と彼は言う。

プルバも同じことを考えている。
私(記者)が宿泊することになっていたパクディンにあるプルバのホテルは、20部屋と22の風呂があったが、その壊れ方ははんぱでない。
2階の暖炉に巨大な岩がころがっているのだ。それはまさに、悪魔のサンタが煙突から突入してきたかのようだ。

このホテルの建設には5年かかった。それが2,3秒で壊れたのだ。
一旦全部壊して、秋までに再建するという。3〜4千万円ほどかかるらしい。


今度は、プルバの実家のあるチョーリカルカに飛んだ。
クムジュンの惨状もさることながら、チョーリカルカを襲った地震の猛威に、プルバは打ちひしがれた。
屋根の波板は吹っ飛び、家々の壁が崩れて道をふさいでいる。

Nima Kiter, 74 が私のほうへ走ってきて、片言の英語で叫んだ。
「もう終わりだ。これが夜だったら、みんな死んでたよ。」

チョーリカルカの住民はみんな、プルバが再建の任に当っているのを知って胸をなでおろした。
プルバが生まれた49年前、彼の父親をはじめ、シェルパたちはソバやジャガイモを作り、チベットやインドとの交易で生計を立てていた。
そこに新しい産業の観光業が取り替わってきたまさにその時代が、プルバの成長期であった。
1953年に、テンジン・ノルゲイがヒラリーとエベレストを征服した。そしてその偉業は世界中のクライマーの意欲をかき立てた。
それに応え、シェルパたちは、外国人相手に、ガイド、ポーターとして厳しい自然の中で働いて稼いできた。
プルバの父はプルバが若い時からトレッキングの仕事をやるようしむけた。しかし、プルバの学校の校長の話によれば、プルバは親の意に背いてこっそり勉学にいそしんだという。プルバは、もっと勉強をして、村を出て、成功者への道を自分で開拓するのだ、そんな決意をしていたという。

「そんな自分に両親は失望していた。」
はじめてプルバに会ったとき、かれはこう言った。
「しかし、教育こそ世界へ飛び立つ鍵なのだ。」

プルバは、時々トレッキングのアルバイトをして金をため、カトマンズに出た。
伯母さんの小さい食堂で働いて大学の授業料を払った。
大学ではジャーナリズム専攻で学位をとり、社会学修士で学業を終えた。

「当時、シェルパでジャーナリズムをやる人はいなかった。何か人と違うことがやりたかった。」と言う。

しかし、当時、エベレストはビッグビジネスだった。
1992年になってプルバは、ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーというトレッキング会社を始めた。
それは当った。大きな家、快適な生活を得た。
しかし、ネパールの大多数の国民は1か月15ドルで生活している。ここは山奥の、世界でも有数の貧困国だ。

シェルパたちは、エベレストが助けてくれたと、みんな口々に言う。
トレッキングは金になる。でも、季節が限られ、若くて元気な者しかできない。
そしてこの地震だ。将来は暗い。
ルクラやパクディンのような観光客が集まるところで、だれもいないゲストハウスがあった。
そのオーナーの話では地震のあとは、誰も、何もかも落ち目だということだ。

飛行機が下り立つルクラは、いつもなら人でごった返している。しかし今は貨物しか来ない。米、テント、医療品が来たかわりに、ここにいた観光客は先を争ってどこかに行ってしまった。

最悪の事態はこれからだ。
トレッカーあってのこの地域の人たちの生活は、沈みゆく観光産業で失業の憂き目に会っている。

Dawa Chiri Sherpa の家では、事態はさらに深刻だ。
27歳の彼が死んだ。エベレスト登山隊で働いていた。ベースキャンプにいた時に地震で引き起こされた雪崩が原因だ。

崩れた家の中で、家族は今も喪に服している。
中に招き入れられたが、2階が今にも崩れ落ちてきそうで気が気ではなかった。2階では僧侶がいてお経を唱えていた。母親の眼からは涙がとぎれることなく落ちている。

彼はヤクを所有しポーターとして働いていたとその兄弟のTenzing が話してくれた。生活はきびしかった。荷重く山険しけれど稼ぎ少なし。
そこで彼は登山研修を経てクライミングガイドになった。エベレスト登山のシーズン2か月で$7000稼いだ。それはネパール人の平均賃金の10倍以上にあたる。

だれもが、特に奥さんのPhura Yangzi は、きつくて危険な職業であることは承知している。彼女が最後に彼と話したのは、地震の前日だった。 
「明日は休養日なんだ。」
それが最後の言葉だった。

遺体が帰るのに2日かかった。
遺体を下す手段を持っているはずの会社で働いていたというのにだ。
結局、プルバの友人のChungba Sherpa が手配して降ろした。

「兄弟は死んだ。だが誰も助けてはくれない。」
Tenzing はジャガイモにチリソースをつけて食べながら話してくれた。
「政府や会社は何も言ってこない。だれも謝らない。誰がこの先妻子の面倒を見ていくというのだ。」

Phura Yangzi は、18か月のChiring Dolma を背負って家事をしている。
「これは夢に違いない。夫はエベレストにいるのだ。」
そんな思いにとらわれることがあるという。
彼女は2年前に結婚した。22歳で子持ちの未亡人となった。
「娘の将来はどうすればいいの? 父親の稼ぎがなくて教育はどうするの?・・
観光客相手に、ソーダやミネラルウォーターの物売りでもやるしかない・・。つらいがやるしかない。」という。


ルクラに徒歩で向かう。
ルクラで、上部での物資支給と情報収集を終えて、ヘリで来ていたプルバに再会した。ここでも彼は復興とさらなる支援の手配をしていた。

「ベースキャンプの事故は大きなニュースになっている。しかし、他では、何千もの人が被害に会い、貧しくみじめな生活を送っているいる人たちがいる。困っているそんな人たちの支援が私のやるべきことだ。」とプルバは言う。

「あなたの奥さんやあなたの村が崩壊しているのを見て、つらくはないですか?」と聞いた。

「涙でいっぱいの人もいる。涙を見せないからといって、悲しくないはずはない。」とプルバは言った。

「今は、人々の今後の生活に目を向けるべきなのだ。」とプルバは付け加えた。

過去、不景気であった頃、アメリカ人が金を落としてくれなかった時期があった。
そんな時、プルバの友人たちはこう言った。
「大丈夫、エベレストがある限り盛り返せるさ。」

プルバたちの胸には、今また、その言葉が去来しているに違いない。




(5月13日、01:10)
12日12時50分(日本時間同4時5分)ごろ、マグニチュード(M)7.3の地震があった。震源は首都カトマンズから北東へ約76キロのコダリ付近で、震源の深さは約15キロだった。また、約30分後にも近くでM6.3の地震が起きた。CNNなどによると、ネパールでは少なくとも57人が死亡、1117人が負傷した。隣国インドで17人、中国チベット自治区でも1人が死亡し、死者数は計75人となった。


(5月16日、06:40)
上記12日の地震の時、社長のプルバはちょうどパクディンのホテルにいました。建設業者と修復の査定をしていた時です。この地震でホテルは100%倒壊しました。ほぼ壊滅状態です。
予約が入っていますので、とりあえず秋までに10室建設し、年末までに他の部屋も建設するとのことです。
今回の余震では先の地震の時よりも、家や僧院等の被害が大きかったということです。
専門家の話では、まだ余震の可能性があるとのことです。
すでに世界中から力強い支援をして頂いており、ありがたく思っているとのことです。
 

(5月18日、13:20)

上記5月13日のCNNニュース抄訳を一部訂正し、ほぼ全訳に差し替えました。

記事の補足情報です。

◆同行の国会議員が、エベレストベースキャンプで命を落としたシェルパの家庭に$400手渡しましたが、これは葬式費用で、死亡した16人のシェルパの各家庭に、ネパール政府からのちほど、$10,000 支給すると約束しました。

◆また、家を失った各家庭への$100は当座の資金で、政府は各家庭に$2000 支給する計画であるとのことです。

(5月21日、06:25)
ガイドのドルジから画像が送られてきました。

ドルジの表情は放心しているような、疲れ切ってどうにもならないような感じに見えます。
当サイトトップにある彼の写真と比べてみると別人みたいです。


仮住まいの様子です。


もうじき雨期なのに、これでは・・



ドルジからのメッセージです。(5月22日、10:00)

ナマステ!!!
写真は大地震のあとの「新生活」です。
これまでのところみんな無事です。
この地震で9000人の命が奪われ、14000人もの人が負傷しました。まだ行方不明の人もいます。
家も、食糧も衣服もみんななくなりました。
でもみんな元気にやってます。こんな新生活でも住めば都です。
もちろんこの先、困難は目に見えています。
以前の生活に戻るのにかなりの月日を要するでしょう。
しかしこうして生きていることが何よりです。
私の家、親の家、食糧、衣服、みんななくして、ご覧のようなテント住まいです。
ささやかなご支援でも大変励みになります。皆様のあたたかいご支援、感謝に耐えません。

※ドルジの口座番号がわかりました。義捐金を送金希望の方はお知らせ下さい。
 
 
 
●ドルジの口座は、複数の顧客の方からのご希望により特別にお知らせしますが、弊社の対応としましては、ガイド個人への支援の受け付けはしておりません。
弊社、並びに社長は、立場上、被害を受けた多くの弊社スタッフに公平な態度で対処します。
弊社口座に送金された義捐金は、基本的に「ヒマラヤン・シェルパ基金」で利用させて頂きます。これはクーンブ地方で被害のあった学校・僧院・住居・道路等の再建・修復等の為に使用させて頂きます。
特にガイドやスタッフへの寄付として弊社口座に送金されたものにつきましては、被害のあったスタッフ全員に公平に分配します。
個人的に特定のスタッフにご寄付されたい方は、各スタッフに直接送金または手渡しでお願い致します。(5月22日、10:20)
   
(5月25日、09:05)
プルバたちは、ヒマラヤン・シェルパ基金により、23日、カトマンズ盆地のバラジュ付近にあるゴルドゥンガに住むブラーマンの183軒の家庭に米、蚊帳、食用油、レンズ豆などを支給しました。彼らは家を失いましたが、政府その他からなんの支援もありませんでした。
また、ゴルドゥンガに行く途中のネワール族 (シュレスタ) が住む村の85軒の家庭もすべての家財を失っているのを発見しました。彼らには今週中に米、食用油等の救援物資を支給する予定だそうです。
いずれもカトマンズ盆地内にあるというのに驚いたと言っています。
政府による救援活動の不十分さの現れでしょう。
(5月25日、15:30)
ヒマラヤン・シェルパ基金では、エベレスト街道を中心とするクーンブ地方へのテント・米等の支給を終え、支援活動も一段落しました。
次に目をカトマンズ盆地に向け、緊急を要する忘れられている村々への救援を最優先とし、支援活動を行います。
こちらの画像や状況をのちほどお知らせする予定です。
 
(5月26日、08:30)
●皆様からお送り頂いた義捐金の使途についての再確認です。

弊社、社長プルバまたは森崎に送金された義捐金はすべて「ヒマラヤン・シェルパ基金」において利用させて頂きます。
これは、当初は、クーンブ地方を中心に、被害のあった学校・僧院・住居・道路等の再建・修復等の為に使用させて頂きました。現在は対象地域を広げ、他域においても、支援物資や再建費用を分配しております。

また、弊社ガイドやスタッフへの寄付として弊社口座に送金されたものにつきましても、「ヒマラヤン・シェルパ基金」に納め、被害のあったスタッフ全員にその被害の度合いに応じてに分配します。

特定のスタッフ宛として、上記の社長プルバまたは森崎に送金された義捐金についても同様で、「ヒマラヤン・シェルパ基金」に納めて、同様の方法で利用します。これにつきましては、ガイドを含めたスタッフとプルバ社長(ヒマラヤン・シェルパ基金代表)とが話し合って、スタッフの同意を得ております。また、社長プルバ個人宛に送金された義捐金は個人的に利用せず、すべて「ヒマラヤン・シェルパ基金」として利用致します。

過去に世話になった特定のガイドに、お客様が個人的に直接送金または手渡しされたものにつきましては、弊社では関知しません。


(5月28日)
上記のCNNのニュースのおかげで、プルバの所に世界各国から「ヒマラヤン・シェルパ基金」に支援の申し出が来ております。

思い起こせば23年ほど前に、プルバがヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーを起業した頃、ドイツで営業活動をしていたプルバはドイツの新聞社からインタビューを受け、貧しい境遇から身をお越したプルバ物語を記事にしてもらったことがありました。それはこんなストーリーだっとと記憶します。

エベレスト街道に面した畑でジャガイモの栽培を手伝っていると、多くの外国人トレッカーがエベレスト方面を目指して歩いて行く。
「どうしてあの人たちは我々のようにあくせくしないで、高い航空券代を払って、あんなにのんびりと何日も気楽な旅をやれるんだろう。」
と、鍬を持つ手を休めて、プルバはよく思ったものだ。
何かが違うあちらの世界を見てみたい、できることならあちらの人間になってみたい。
そんな思いがプルバの胸に生まれてきた・・・

それが、CNNのニュースにあったように、鍬を捨てて学業にプルバを向かわせたきっかけでしょう。
そのドイツの新聞記事が大手旅行社の目にとまり、プルバはその旅行社とビジネスをできるようになりました。

「今回のCNNニュースは良くレポートされている。なかなかの書き手だ。あの時のドイツの新聞に匹敵するのでは・・」
と、私はプルバに申しましたら、プルバは、彼女はグッド・ライターだと同意し、そして、できる限り早くみんなが元の生活に戻れるようにしたい。みんなが屋根の下に戻れ、子供たちが早く学校に行けるようにしたいと付け加えました。
 
ドイツの新聞の時は、「自分のため」であった。
しかし、CNNの時は、「みんなのため」になっている。

今日の自分があるのはみんなのおかげ
みんなの幸せは個の幸せ・・
そんな認識に至った成長したプルバを見る思いです。

(5月31日、09:50)
●皆様からお送り頂いた義捐金の使途(上記:5月26日、08:30)についての補足です。

1.一般のネパール人への支援と弊社スタッフへの支援の区別について
皆様からのご送金は、一般のネパール人への支援の他に、弊社スタッフへの支援のため、と記載されていることがあります。
ネパールの送金先口座は1つですので、現在どちらも1つの募金箱に同居している形です。
この区別はきちんとなされるのかという疑問がおありかと存じます。
ネパールでは、税金の関係で、国外から送金されたものはすべて申告することになっています。
こちらから送金する場合に弊社スタッフへの支援のためと記載することにより、送金目的が銀行の送金記録に記載されています。
またこの送金記録のコピーは弊社スタッフも確認することができます。
これにより、弊社スタッフへの送金が区別されることが可能です。

2.実際の使途について
現在、送金は各国から来つつある進行形です。
送金の総額がつかめない状況です。
支援の金額についての基本的な考えは、一般のネパール人へと弊社スタッフへ、どちらも、被災のダメージの度合いに応じて支給するというものです。
もし、上記の2者が必要とする金額通りに集まった場合、つまりヒマラヤン・シェルパ基金が調査した被災に対して期待される義捐金総額に満ちた場合は、上記基本的考えのもとに、すべての被災家庭に分配されます。
しかし、総額はわからないし、被災状況もまだまだすべて把握できていない状況です。
まずは緊急を要するところに分配します。そして、弊社スタッフへの支援のためとして送金されたものはスタッフに分配します。
その他の支給につきましては、一般のネパール人へと弊社スタッフへの支給の仕方は当方にお任せ願います。
できる限り、適切と考えられる方法にのっとってとり行いますますので、皆様のご理解お願い致します。

いずれにしても、基本的な姿勢は上記 1.に記載の通りですので、ご送金される時は(基本的になるべく、スタッフ宛とは特定しないで)「ヒマラヤン・シェルパ基金」への送金としてなされるとお考え下さい。
 



先日、カトマンズ盆地の緊急支援をおこないましたが、次に緊急を要するものとして以下の支援を行います。
エベレスト街道にあるモンジョの水力発電の設備が地震による土砂崩れにより流されてしまい、停電状態になっています。
この再建のために、$3000を支給する予定です。
これにより、モンジョ、ベンカール、ジョーサレの村の電灯がともることになります。

まだまだこのような被災が次々に発見されている状態です。
日本のようにすぐに電力会社からやってきてくれるようなところではありません。
このような地方では、もともと、何もかも(道路、橋、上水道等)、自力で設備していくのが基本で、多くの場合、海外からの支援を得ながら築きあげてきました。


(6月13日、18:40)
皆様から、森崎宛にお送り頂きました義捐金を、ネパールのプルバの口座に、6月9日に送金しました。






今後まだ送金があるかも知れませんが、このへんで一応まとめてネパールに送金しました。
(6月9時現在)
送金合計: US$1989.34 (=25万円)
 レート: 1ドル=125.67円

森崎にお送り下さったのは、1万円(3名様)、2万円(2名様)、3万円(1グループ様)、5万円(1名様)、10万円(1名様)、合計25万円でした。
森崎からはUSドルでネパールに送金しましたので、以下の金額が、それぞれの方のネパールに送金された金額です。
 1万円=79.57ドル
 2万円=159.14ドル
 3万円=238.71ドル
 5万円=397.87ドル
 10万円=795.74ドル

合計25万円の内訳は、ヒマラヤン・シェルパ基金に20万円、弊社H.S.A.のスタッフに5万円です。
その他、森崎の実家にと、1万円をお送り頂きました。これはのちほど私のほうから実家に手渡します。
この他に、直接ネパールのプルバの口座に送金して下さった方が、3グループほどあります。
ガイドのドルジの口座に送金された方が4グループほどあります。
上記送金者はいずれも日本人です。
外国人からネパールへの送金はのちほどプルバから報告があるかと思います。
皆様、本当にありがとうございました。
(6月13日、19:20)
プルバによりますと、昨年弊社がエベレスト登頂をサポートして成功した中国人女性のMs. Wang Jing が6月15日にネパールに来ますので、一緒にクーンブ地方(エベレスト街道方面)に行くとのことです。
彼女はクーンブ地方の学校、病院、僧院、貧しい家庭の支援をしにやってくるとのことです。
また、昨年サポートしたスタッフにも支援したいとのことです。

プルバからスタッフへは、当座の支援として、被害のあった各スタッフに500ドル、特に家が全壊したPassang Dawa B と Ramesh にそれぞれ1000ドル与えられました。
それぞれの家の修理には6000〜8000ドルほどかかるとのことです。
今後追加でさらに支援するとのことです。
基金の使途の詳細について、いずれ報告があるようです。

(8月2日)
昨春、弊社のサポートでエベレストに登頂したWang jing (中国人女性)は、6月に来社し、サポートを受けたガイドやコックたちに義援金を与え、その後クーンブ地方に社長を伴って飛び、現地調査のあと、クーンブ地方の寺院・学校・病院等の再建の費用にあてるため、多額の義援金を寄付することを約束し、6月19日に帰国しました。
(8月2日)
地震の被災状況調査結果が発表されました。
英語版です。時間ができましたら、一部を翻訳します。

エベレストとアンナプルナ地域の地震被災状況
アンナプルナ地域地震被災状況調査報告
ネパール全域被災状況地図
(8月6日)
地震後にトレッキングされガイド慰問に訪れた方のレポートです
ネパール訪問記
 
(11月14日)
その後、上記の中国人女性のMs. Wang Jing は、自らの名を冠したジン基金を創設しました。
弊社社長のプルバがその代表となり、彼女の活動をサポートしています。
彼女は、ジン基金をつうじてネパール大地震の救済として多大な寄付をしてくれました。
以下に、その概要を取りまとめてみました。

クムジュンの寺院再建のため、$120,000 (日本円:14,640,000円)
クムジュンの学校再建のため、$30,000 (日本円:3,660,000円)
ナムチェに診療所再建のため、$30,000 (日本円:3,660,000円)

なお、エベレスト登山で彼女をサポートした弊社のエベレスト登山隊スタッフ7名とクライミングガイドたち各人にそれぞれ$10,000(1,220,000円)をそれぞれの自宅再建のために与えてくれました。
このような巨額なサポートは、登頂に成功したというものの、最終キャンプ出発から最終キャンプ帰還までまる2日もかかった命からがらの体験が背景にあるからでしょう。ガイドたちにとってもまさに命がけの登山でした。


以下は、ジン基金による今後の寄付の予定です。

パクディン近くにあるグメラの学校(全壊)再建のために、$450,000 (日本円:54,900,000円)
また、プルバの出身の村にあるチョーリカルカ高校と、プルバの奥さんカンチの出身地クムジュン学校の学生を支援するため奨学金プロジェクトに、$250,000 (30,500,000円)の予算を組んでいます。



当サイト提供: ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャー メール
 森崎



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Date: 28.04.2015

 

Himalayan Sherpa Foundation

 

Appeal

 

The Himalayan Kingdom of Nepal faced a devastating earthquake of 7.9 magnitude on April 25th 2015 that resulted in a death toll of over 6500 people and at least 15,000 injured with countless displaced of their homes so far. The massive earthquake has inflicted the nation with people still missing in several thousands and the number of deaths expected to rise as many are still buried beneath the rubbles of destroyed settlements. The schools, monasteries, temples, roads, bridges and government official offices have all been ruined by this devastating hit. The ever-increasing scare of a possible health hazard is also taking the entire nation to a chaos.

 

Due to the earthquake, the avalanche washed out the Everest base camp killing 20 Nepalese and foreign climbers and injuring more than 200 climbers. We have been busy with bringing back all the injured climbers first as their safety has been the priority prior to bringing down the dead bodies. It has been very unfortunate at the base camp since we had already lost many climbers from last year’s avalanche.

  

At the moment, the nation needs its every "living" individual to rebuild the stature and existence of Nepal. Realizing this need, the Himalayan Sherpa Foundation has launched an "Earthquake Relief Action Project" to address the needs of Mt. Everest region in Solu Khumbu and some other major zones affected by the earthquake.

 

With the support of our respected clients, Himalayan Sherpa Adventure has been actively participating in providing education to the poor and orphan students, helping in building infrastructure of schools and monasteries from more than a decade through Himalayan Sherpa Foundation. This organization plans to take all the actions necessary for this project along with the coordination of co-partners Farak Sherpa Kiduk and Mahendra Jyoti Ex-Student Forum for each of its activities as these organizations have big number of members in the affected area who will devote time to take care of the projects.

 

A preliminary survey team has already left for site visits to observe, collect data and establish liaison with local clubs and forums. Based on support of our co-partners Farak Sherpa Kiduk (Association of Sherpa people beneath the foothill of Mt. Everest) and Ex-Student Forum of Mahendra Jyoti Higher Secondary School (the only higher secondary school in the Everest region), we have focused the project on distributing immediate relief materials with three thematic areas via shelter, food and medical supplies. The foundation will evaluate its resources and potential opportunities to decide on rehabilitation and reconstruction of the houses, schools and monasteries in the village after inspecting the report prepared by our members who are on the ground at the moment. Himalayan Sherpa Adventure has decided to donate NPR 1 million to the Himalayan Sherpa Foundation Fund to start this project ahead.

 

Asia Foundation and several of our friends and individuals have already joined us in this endeavor. Our team members and volunteers as well are all on the ground at this moment as inspection of the area has already started. With this assurance, I welcome all those who wish to join this effort. We will send you a clear picture of the ground situation and bring you the entire project that we will be undertaking in details so that you can select any part of the project or donate the amount so that we can use the donation for the proposed projects.

 

“We will give you the account details along with the project report once we have all the details on our hand in the upcoming week.”

 

We appreciate you for your strong and kind hand in bringing the life of all survivors back to normal in these times of difficulty by rebuilding the infrastructures such as houses, schools and monasteries. We also ask your hand to raise the poor and orphan children to go to schools so that they can lead their life in better condition ahead.

 

Phurba Gyaltsen Sherpa

President

Himalayan Sherpa Foundation

Date: 7.05.2015

Himalayan Sherpa Foundation

Appeal

 

The Himalayan Kingdom of Nepal faced a devastating earthquake of 7.9 magnitudes on April 25th 2015 that resulted in a death toll of over 7,800 people and at least 16,800 injured with more than 300,000 displaced of their homes so far. The massive earthquake has inflicted the nation with still number of people missing (228 Nepalese and 96 foreigners) and the number of deaths expected to rise as many are still buried beneath the rubbles of destroyed settlements. The schools, monasteries, temples, hospitals, roads, bridges and government offices have all been ruined by this devastating hit.

 

Due to the earthquake, the avalanche washed out the Everest base camp killing 16 Nepalese and 4 foreign climbers and injured more than 200 climbers. All the dead bodies were evacuated and injured climbers were rescued back to Kathmandu and most of the climbers went back to their home after some medication in Kathmandu.

  

As of now, Himalayan Sherpa Foundation have completed the “first phase” of action which was to provide immediate relief such as temporary shelters by providing 150 locally purchased tents to the villages of ChouriKharka, Rimijung, Gumela and Phakding. German Red Cross has also kindly provided us with 200 tents as we have delivered them to the local villages of ChouriKharka Namche and Khumjung Village Development Committee (VDC).  Besides the temporary shelter, we have provided some rice to the locals of ChouriKharka village. The immediate relief project of Himalayan Sherpa Foundation such as distribution of foods is still ongoing but we are heading forward with the project of “reconstruction and rehabilitation” of local settlement in Khumbu region.

 

Our survey team who are actively involved in collection of data in Khumbu region have observed, collected data and established liaison with local clubs and forums. We now have some pictures of the earthquake devastation in the region along with most of the data. We are still waiting for the complete data and once we receive them, the foundation will examine and assess the report and then evaluate its resources and potential opportunities to decide on rehabilitation and reconstruction of the houses, schools, and monasteries in the village. The process of documenting the extent of total damages and the estimation of total costs in rebuilding will be our foundations “second phase” which we will bring to you in upcoming days once we get the full survey data. After the complete survey report, we will strategically move ahead, as we really want to utilize the resources efficiently and effectively. From this report, we will get a clear picture on whether the damage has been partially damaged or fully damaged.

 

During our first phase of project, we received big support from Asia Foundation, German Red Cross, Mahendra Jyoti Ex-Student Forum and Farak Sherpa Kiduk. With their continuous support and also our team of volunteers who are working tirelessly, made our first phase of delivering immediate help to the local people possible. As you can imagine, the earthquake left a devastating impact in our country destroying many houses, schools, hospitals and monasteries. This will be our “second phase” in which we will work on rebuilding and rehabilitating the infrastructures and we hope to receive continuing support from our partnering friends.

 

Again, we would like to thank all our friends and well wishers for their continuous support in these times of difficulty. We really appreciate you for being there when we were in need and hope that you can continuously provide support in the future in any way possible. Due to the earthquake, many kids are unable to go to school so it is high time that we provide them with this opportunity and encourage them to continue with their school. We appreciate you for your strong and kind help in bringing the life of all survivors back to normal by rebuilding the infrastructures such as houses, schools, and monasteries.

 

P.S. We have attached some statistical data and pictures at the bottom, which shows the destruction caused by the earthquake.

 

Thanking you,

 

Phurba Gyaltsen Sherpa

President

Himalayan Sherpa Foundation