ネパ−ル訪問記
85年ぶりという大きな地震に見舞われたネパ−ルを訪問した。
7月13日、カトマンズ空港に到着、タメルのホテルに向かったが、全壊・半壊した建物も少なく、被害の少なさが意外だった。
大きく比較的新しい「ホテル・エベレスト」は、地震の被害で営業を停止していた。その周辺の被害が皆無に等しかったので、ここの地盤の弱さなのか、建物自体の軟弱性なのかは不明である。
このように、地盤が軟弱であるか、建てられてから100年以上という建物が破壊されていたようである。カトマンズの周辺地域に被害が集中していた。
震源地であるゴルカは、壊滅と伝えられていたが、被害は半分程度であるという。
被害が大きかったのは、カトマンズの東側、特にチベット国境に近い山岳地帯では、集落が壊滅状態になったという。特に、ランタン村は壊滅した。
ヘランブ−地域も全壊・半壊の集落が多い。ソロク−ンブ地方もおおむね同様である。
ドルジ氏は、アパ−トが被害を受けたので、2日間の野宿生活、引き続きテント生活を45日間続けた。
訪問時には、アパ−トの補修が終わり、以前の部屋に戻ることができていた。
彼自身の生活の立て直しと同時に、故郷の村の支援活動に全力を傾けていた。同じ村の出身者が力を合わせ、救援のトラック3台にコメを満載し、すばやく届けたり、応急の仮小屋のためのシ−トの支給もしていた。
なんといっても橋の破壊が無かったので、このような支援活動も可能になった。政府から支給されたのは、18,000円ほどの見舞金のみである。
したがって、全面的な支援は、村の出身者に委ねられていた。
全壊した小学校の子どもたちへの支援も行っていた。通学用のザック、筆記用具、ノ−ト等の支給もあった。ザックには彼のデザインした素敵な絵が描かれていた。
2階建ての小学校校舎は、無残にも僅かな壁の残骸のみだった。
幸いにも、土曜日(休日)だったので、子どもたちの姿が無かったことが最悪の事態を避けた要因だった。
この村に4泊したが、完全な自給自足生活だった。現金の支出は、塩と砂糖・税金・電気代のみである。
ここでは、囲炉裏で焼いたトウキビだけの食事、スパイスをつけて食べるジャガイモだけ、味付けした大豆の煮豆だけという誠に質素なものだった。
大きな斜面に広がる村々では、スパイスの栽培がとても盛んであり、特に、カルダモン・タ-メリック・ローズマリ−等の植え付けが多かった。
特に、カルダモンは主産地(カンチェンジュンガ地方)での病がたたり、全滅状態になったため、業者が4倍ほどの値段で買い取りに来ているという。
建物が全滅している村の建物の再建には、なんといってもスパイスの販売に大きな期待がかけられている。
特に珍しかったのは、ある果物の木のことである。村のどこにでもあり、大木にもなる。この木の幹から、小さな果物が顔を出すと、そのまま花をつけずに成長し、ピンポン玉より大きな果物になる。味はやや甘く、水分の多いものである。
隣家では、地震前に父親を亡くし、今回の地震で実母と2歳の娘を自宅の下敷きで亡くしている。また、腕や足に包帯を巻いた人の姿も見られた。
この村では3泊の予定だったが、4泊を強いられた。それは、10年間の内戦を経て共和制に移行したものの、マオイストが2分されたため、政府側に立たないグル−プのバンダ(交通ゼネスト)によるものだった。
ネパ−ルは、アジアの最貧国の1つであり、憲法もなく、いまだにマオイストの悪影響に左右されるという事情の下での再建活動は、10年〜20年近くかかると言われている。
私は、義捐金・衣類を引き渡してから、ヒンズ−教の聖地であるゴサインクンドへのトレッキングを試みた。
2時間ほど短縮できるという新しい道を辿り、ドンチェに到着した。
この街も例外なく建物の全壊・半壊が目立ち、中国製のテントが目立った。
とにかく中国の影響は年々強まっている。訪問する中国人の著しい増加、中国料理店の増加等があり、ドンチェの近くの川沿いでは、休みなく中国による道路建設が進んでおり、トレッキングの時にも、工事の発破の響きが谷間全体に轟いていた。
中国からラサまでの汽車は、ラサを超えてシガツェまで届いているという。
カトマンズまでの開通は時間のみの問題だと言われる。
その都度、インドの思惑が強まる。
大国に挟まれたネパ−ルの将来も、2大国の強い影響を100%受けざるを得ない。
ゴサインクンドへの道は、大きな山崩れがあったため、2時間アップの旧道を辿る事になった。8時間半の上りのみのル−トは、かなりの体力が必要だったが、なんとかシンゴンパに辿りついた。
上の方のロッジが壊れていて、営業していないため、この地に3泊し、ゴサインクンドの訪問は諦めた。
この地には、チ−ズの加工場があり、ヤクのチーズやバタ−を半年間製造している。とても美味しいものだ。
帰国は28日になった。2匹の猫のお世話を頼んでいたので、猫たちの無事な姿(化け猫の被害を免れた)を見て、帰宅の実感を味わえた。
来る3月には、プ-ンヒルを訪れる予定を決めてきた。
函館市赤川町 田中邦幸
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