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ネパール・アドベンチャー紀行(その2)

ラフティング+サファリ+トレッキング/ナガルコット

1998.2/15〜2/25

飯田 全子さん

二. ガイドさんとともに…寺院めぐり&ショッピング

◆スリル満点のドライブ
直美がアクティブにラフティング体験をしている2日間、私は地味に寺院めぐり。朝9時半に、ガイドさんとホテルロビーで待ち合わせ。しかしガイドさんが現れたのは10時。それがネパールでは普通。アバウトな性格の私は、そんな'ネパール時間'にすぐに馴染んだ。
1日目は、パシュパティナート → ボダナート → スワヤンブナートをまわり、夜にカルチャーダンスを観るというコース。移動には車とバイクを使った。
カトマンドゥの中心街は、道はだいたい舗装されているが、車線はない。歩道もなければ信号もない。そんな中、車もバイクも相当なスピードを出す。どうやら、直進車が優先とか、歩行者優先とか、そういうルールはないようだ。道が空いている限り、突き進む。ぶつかりそうになったらうまくよける。バイクは、2、3列になって走り、車が来たら寸前でよける。そのタイミングを皆、心得ているようだ。交差点でも合流地点でもどこでも、とにかく早いもの勝ち。誰も文句を言わない。
私はガイドさんのバイクの後ろに乗せてもらったのだが、かなりスリリングだった。ネパールでは、後部座席でのヘルメット装着は義務付けられていないため、私はヘルメットなしである。後ろからクラクションを鳴らされたり、車にすれすれまで接近されたりする。
凸凹道や、穴が空いている道もあって、そこでは、体がバイクの上でジャンプする。そのたびにキャーキャー騒ぐ私に、ガイドさんは振り返って「大丈夫?」と笑う。「キャー! 後ろ向かないでー!」とさらに怖がる私に、ガイドさんは「大丈夫、大丈夫」と笑い飛ばす。そんな状況の中、危ない目に遭うことなく無事に帰ることができた。終わってみれば、おもしろい体験だった。

◆ネパール料理を堪能
昼食はレストランではなく、ガイドさんの家でいただくことに。「ラメ」という麺料理。ラーメンに似ているが、麺がぶつ切りで、汁が少ない。味は豚骨に近く、ピリ辛。野菜もたくさん入っている。辛いけどまろやかで、とてもおいしい。おかわりをすすめられ、2杯もいただいてしまった。
飲み物はネパールティ(ミルク紅茶)。いつでも飲めるように、一度にたくさん作って魔法瓶に入れてある。それを、ネパールの人は水代わりに飲むそうだ。ラーメンとミルク紅茶という取合せは少し妙だが、意外と合う。
ミルクと紅茶と砂糖の割合は各家庭で違うらしいが、甘くないとおいしくないと言う。確かにけっこう甘いが、おいしい。1杯目をあっという間に飲むと、魔法瓶がさっと現れ、2杯目がつがれる。2杯目は少しゆっくりといただくが、カップの中身が少なくなると、また魔法瓶が現れてカップがいっぱいになる。そうしてかなりの量のミルク紅茶を飲んだ。甘いものを摂った後はさっぱりしたものが欲しくなるが、このネパールティに関してそれは当てはまらなかった。日本茶が恋しいとも思わなかった。それどころか、日本に帰ってすぐ、ネパールティが恋しくなったのだ。いろんな所でチャイを飲んでみるが、あの味にかなうものはない。あれは、ネパールの家庭でしか味わえないものなのだ。

◆プルバさん宅でのんびりと
2日目はパタン → カトマンドゥのダルバール広場 → 現地H.S.A.の社長さん・プルバさんの家訪問 → ショッピングというコース。1日目とは違うガイドさん。
パタンでは、寺院が建ち並ぶダルバール広場と、チベット難民キャンプを案内してもらう。
ダルバール広場を歩いていると、たくさんの笛を抱えたおじさんが近寄ってきた。恐い顔でしきりに何かを訴えてくる。え、何?と思う間に、ガイドさんが「あっちへ行け」と追い払う。観光客に笛を高く売りつける人らしい。危なかった。1人で歩いていたら買ってしまいそうだ。
と今度は別の所で子供達に囲まれた。しかしこれは私が悪かった。1人の女の子に硬貨をあげてしまったのだ。「外国の硬貨を集めているの。お姉さんのもちょうだい」と可愛い目で訴えられ、つい……。途端に四方八方から子供達が群がってわたしもぼくもとせがむ。「ごめんね、もうないの」と言っても、そう簡単にはあきらめない。そこでガイドさんが子供達を追い払ってくれ、助かった。ガイドさんがいると思って少し気が緩んでしまった。反省。
カトマンドゥに戻っていくつかの寺院を訪ねた後、プルバさんの家に案内された。そこには1日目のガイドさんとその家族、プルバさんの友達が集まっていて、クッキーとネパールティをいただきながら、2時間くらいおしゃべりをした。ここでも、ネパールティが次々とつがれる。1リットルは軽く飲んだ。もっとかな。

四.1日だけのトレッキング…ナガルコット1泊2日

◆ナガルコットは'裏山'か?
トレッキングは初挑戦。そんな私達には「ナガルコット1泊2日」という初心者向けのコースを用意してもらった。
「ナガルコット? それなら裏山に登るようなもんだ」
 現地の人のその言葉を私達は真に受け、よかった!それなら楽そうだ、などと思ってしまった。忘れてはいけない。ネパールには世界最高峰エベレストがある。他にも、7〜8000m級の山が数多く存在する。そんな中で暮らしている人にとっての「裏山」と、私達が思う裏山が同じわけがない。しかし私はその時、おろかにも子供の頃に登った小さな山を思い浮かべていたのである。

 その日、ドゥリケルに向かうべく、タクシーに乗り込んだ。寝袋OK、水もある。いよいよ最後のアドベンチャー、トレッキング。
 からりと晴れた昼下がり。強い光を浴びた空の下は、砂埃をも溶かしてしまうほどの透明さだ。
 大通りを逸れると舗装されていない凸凹道が続く。ガタゴト揺れる車内には軽快なインド音楽が流れ、身も心も躍る。
 しかし次第に眠気が襲ってきて、気付いた時にはすっかり暮れかかっていた。車は見知らぬ町を走っている。首都カトマンドゥとは明らかに様子が違う。建物は皆レンガ色で、時折青い看板は見かけるものの、色の変化がない。それでも何となく明るさを感じるのは、人々の笑顔があるからだろうか。大人も子供も、温かい眼差しで私達の車を見送ってくれた。
 車から降りて今晩テントを張る所までしばらく歩く。子供達が珍しそうに後をつけてくる。振り返ってニッと笑うと、「キャハハハハ……」と愉快そうな笑い声をあげてバラバラと散っていった。
 2日間案内をしてくれるガイド&ポーターさんに続いて、私達が荷物を下ろしたのは段々畑を見渡す丘の一角。どこまで続くのかわからないほど広い広いその段々畑は、菜の花で覆いつくされていた。到着してから少し町を散歩し、水も補給した。すでに夕日は黄色い地平線のすぐ上にあり、あっという間に日没。
 急激に寒さがやってきた。そこにホカホカのご飯が運ばれてくる。このトレッキングにはコックさんがついて、皆の食事を作ってくれるのだ。もちろんそのためには、料理器具と2日分の材料が要るわけで、そのものすごい荷物はコックさん自身が運ぶ。
 こういう場所で食べるものはおいしく感じるとは言うが、このコックさんの作ってくれた料理は本当においしかった。お腹いっぱい食べてごちそうさま〜。後片付けもおまかせ。食後にテントを張るのだが、それもガイドさんとポーターさんがやってくれる。私達がやったことといえば、驚くような速さで準備が整っていくのをただ見つめるだけ。トレッキング初心者にとってこのサービスは本当にありがたい。もしポーターさんがいなかったら、テントを張ることも食事を作ることもできず途方に暮れることになっただろう。私は2100mの山に登るだけで精一杯だったのだから。

◆コンパクトカメラで大ウケ
 まだ寒いうちに起きて朝食をとる。テントを片付け(私達は見ているだけである)、荷物を整理してすぐ出発。余分な荷物はポーターさんが持ってくれるというので、帽子、日焼け止めクリーム、ミネラルウォーターとカメラだけ持ち、あとは預かってもらった。ポーターさん達は、私達の荷物とテント3つを、竹で編んだ大きな籠に入れて運ぶ。2人で分けて持つといっても、重さは相当なものだろう。私なら背負った途端にひっくり返ってしまいそうだ。すごいなーと感心しながら、ふとポーターさんの足下を見るとなんと、草履を履いているではないか。えええええー!
「ナガルコットは裏山である」ことを証明するかのように、彼らは草履でひょいひょいと登っていき、あっという間に視界から消えた。
 ガイドさんが「昼休憩の時にテントを張るから早めに行くんだ。だからゆっくり登ればいいんだよ」と言うので、私達は自分のペースで歩き始めた。
 しばらくはやや急な坂道が続く。その途中、民家が何軒かあった。
 「ハローハロー」と上の方から声がする。見上げると子供達が手を振っている。私達も手を振り、「ハロー」「バイバーイ」と言って通り過ぎる。
 気が付くと今度は、子供達がニコニコしながら後をつけてくる。立ち止まってニコッと笑いかけると、大きな瞳をこちらに向けてくる。あまりに可愛いので、1枚パシャ。お礼にチョコレートを上げると、嬉しそうに走り去って行った。
 民家が途切れ、見晴らしのいい場所に出た。
 山脈がくっきりと見える。もっとよく晴れていればエベレストも見えるらしい(見えてもせいぜい1辺1cm位の三角形だそうだが)。エベレストは見えなくても、視界いっぱいに広がる白銀の山並みは素晴らしく、私の目を捉えて離さない。
 しかし、景色を堪能しながら登るというのは、結構難しい。道がなだらかなうちはよいが、岩山が続くと自分の周りですら、見る余裕はない。また、なだらかであっても、片側が谷、となるとますます自分の足しか見られない。段々になった丘の上に広がる町がずっと下の方にあり、これまた絶景なのだが、片足がなんとか置けるだけの細い道を踏み外さないようにそろりそろりと歩きながら、眼下の町並を眺める、なんてことは私には不可能だった。これがネパールの裏山なのか。
 ガイドさんと、初めてにしては歩きなれた風の直美はそこをスタスタと歩いて行く。
重い荷物を背負ったポーターさんも、あの軽快な足取りで、ここを通っていったに違いない。
 その細い道をクリアすると、いきなり広い段々の丘に出た。ポーターさん達はそこで早くもテントを張っている。ここで昼食をとるようだ。
 まだ正午前で、腹ペコというわけではなかったが、昼食休憩と聞いたら俄かにお腹が空いてきた。
 どこから来たのか、子供達が集まっていた。食べている間は、10mほど離れた所でかたまって、だまってこっちを見ていた。食べ終わると、無邪気な笑みを浮かべながらそばへやってきた。その顔は、一緒に遊ぼうよと言っているようだ。
 直美が持っていたコンパクトカメラを見せると、子供達は好奇心いっぱいの表情でそれを見つめる。ズームのボタンを押すとレンズが出る。そこで直美が"Hello!"と言う。もう一度ボタンを押すとレンズが引っ込む。そこで"Bye-Bye!"。これだけで大ウケ。手足をバタバタさせて大喜びする子もいた。もう一度やってみると、同じように大笑いするので、何度も何度もやって見せた。子供達も一緒になって、"Hello!" Bye-Bye!"を繰り返す。私達もそれだけで思い切り笑い、あっという間に休憩時間が過ぎていった。
 テントを片付け始めると子供達はさっと散らばり、各々で遊び始めた。私達が荷物をまとめて歩き出すと、バイバーイ!と元気よく見送ってくれた。

 午後の山道はきつい。岩山が続くので、エネルギーを蓄えたばかりだというのに、すぐにハァハァ言ってしまう。段差が1m位ある岩を登り続けるというのはもちろん初めてのこと。10分登っては5分休み、というのを繰り返し、「この後は普通の道だから楽だよ」というガイドさんの言葉で、なんとかそこを切り抜けた。
 言われたとおり、後はなだらかな道が続くばかりだった。とはいっても、やや登り坂なので、楽チンというわけにはいかない。体力をほとんど使い果たした私は、ここでも2人にずいぶん差をつけられ、「待ってぇー」と言い続けなければならなかった。
頂上まで来てみると、ホテルが建ち並び、観光客で賑わっていた。ほとんどの人はバスでひょいっと来て、ホテルに宿泊し、バスですっと帰るようだ。そんな所だから、当然「ネパールの裏山」なのである。
「明日はどうする? 歩いて降りる? バスにする?」
 ガイドさんに聞かれ、思わず「バスにしてください」と答えた私達。情けない、とは思うが下山する体力が残っていない。ガイドさん、ポーターさん、そして森崎さん、ごめんなさい、と心の中でつぶやく二人であった。

◆お別れのケーキ
山の陽はすぐに落ちていく。行いが悪かったのか、曇り空で、ナガルコットの美しい夕日を見ることはできなかった。
 うっすらと赤味を残したまま、その空は次第に明るさを失っていく。と共に風も冷たくなり、私達はそそくさとテントに入った。
 そこに現れたのは、アツアツの紅茶とクッキー。寒さと疲れがふっとぶ。隣のテントから漂ってくる匂いから、今日の夕飯のメニューを想像しながら、ナガルコットの夜の訪れを体中で感じとる。
 1時間ほどすると、コックさんがステンレスの大きな鍋を持ってきてくれた。
「何だろう」
ワクワクしながら蓋を取ると、白い湯気がふわっと上がり、生姜のいい香りが。ネパールの山の上で生姜のスープをいただけるとは。しかも、これがめちゃくちゃおいしいのだ。
次にメインディッシュ。肉と野菜をバランスよく摂り、お腹いっぱい、ごちそうさま!といっているところに、な、なんと、ケーキが運ばれてきた。い、いつの間に! これには本当に驚いた。その円いケーキに'SEE YOU AGAIN'という文字を見つけた時、思わず涙ぐんでしまった。なんともにくい演出である。切り分けるのがもったいないので何枚も写真を撮ってから、皆でいただいた。
 今度はもう少し体力をつけて、2泊3日くらいは登れるようになろう。いや、やっぱりまた1泊でもいい。また来よう。
 私達が体験したのはトレッキング入門コースで、ネパールの山を体感するには到底及ばない。しかし登山途中で見た、紺碧の空の中で白銀に輝く山々の、あの美しい姿は今でも鮮明に思い出すことができる。

 翌朝、バスでバクタプルへ向かった。
 この旅もあと1日。もっとここにいたい。そんなふうに思う旅は初めてかもしれない。
 バスに乗り込む前に、ポーターさん、コックさんと挨拶を交わす。
 "See you again!"皆が口にしたその言葉を、もう一度、心の中で繰り返した。
 今度ここに来るまで、自分の中にしまっておけるように。
 その一言が、強い日差しに呑み込まれてしまわないように。

五.別れ
 出発前の数時間、プルバさんがお別れパーティを開いてくれた。プルバさんのお宅でネパール料理をごちそうになる。ネパールの焼きそば(塩味)が絶品で、お腹がはちきれそうなくらい食べた。もちろん、ネパールティと一緒に。
「日本では食事の時は緑茶でしょ。緑茶もおいしいけど、やっぱりこれ(ネパールティ)。何食べてもこれしか考えられないね」
とプルバさん。
 焼きそばとミルク紅茶。肉とミルク紅茶。ご飯とミルク紅茶。
 不思議なことに、ネパールティはどんな食べ物にも合った。やはり、家庭でいただくネパールティは特別なのだ。これで飲みおさめと、2リットルくらい飲んだ。
 出発の時間はすぐにやってきた。直美はオーストリアへ帰るため、出発が1日遅れとなった。直美をホテルに残し、プルバさんと共に空港に向かう。空港に着いて、プルバさんは出国手続きまでやってくれた。
 いよいよ出国という時、プルバさんは白い布をかけてくれた(後で知ったのだが、白い布はカタといって、別れの時にシェルパやチベットの人が行うあいさつなのだそうだ)。その瞬間、一気に涙が込み上げた。だめだだめだ。笑ってありがとうを言うのだ。私はひきつった顔で、プルバさんに手を振った。
 飛行機に乗ると、ビジネスクラスに案内された。プルバさんがいい席になるように手配してくれたらしい。最後まで本当によくしていただいた。
 直美は最後の1日、ガイドさんと寺院めぐりをしたそうだ。またお腹いっぱいネパールティを飲んだのだろうな。そして、空港にはやはりプルバさんが見送りにきてくれたという。旅慣れた直美も、プルバさんの別れのあいさつにはぐっときたようだ。
 プルバさんは、ネパールを訪れる一人ひとりに、大切な友達のように接する人なんだな、と思った。旅が終わった後、大切な人と大切な時間を過ごしたような、穏やかな気持ちになる。ネパールでの10日間は、プルバさんやガイドさんのあたたかさに包まれて、いつまでも、心の中でぬくもりとなっている。

2004.5.14
 以上は、ネパール・アドベンチャー紀行(1998年) の続きです。

 紀行文、ありがとうございます。
 6年も経ってのご投稿(続編)です。
 インターネットでこのサービスを始めて間もない頃のお客様で、お二人のことはこちらもよく憶えています。(極端に物覚えの悪い私ですが)
 
これからも、長く持続する感動を与えるようなサービスをご提供していきたいと存じます。
HSA.JAPAN 森崎