大いなるヒマラヤの実感

カラパタール・トレック

 → 写真集「カラパタールへの道」

出発まで 

カラパタールへのトレッキングは以前からの念願でした。ただ、カラパタールトレッキングはどうしても2週間以上の日程になるため、休暇もなかなかとれず、いつかは…。と思っているばかりでした。しかし、今年は年末の連休と私の仕事の休みがうまく重なる日程で、また友人も退職を機にカラパタールへトレッキングに行く事も私を後押しし、夏より上司と交渉をはじめました。

森崎さんに見積もりをお願いし、9月には旅行代理店でチケット手配をはじめたのですが、早くもタイ航空のバンコク〜カトマンズ間はキャンセル待ちの状態。格安航空券で有名な某H社では厳しいとのこと。インターネットで検索したところ、メールでのやりとりで対応のよかった東京のT社と名古屋のY社に予約をお願いしました(それでもTGはキャンセル待ち、ロイヤルネパール航空とシンガポール航空はキャンセルなしで9月の時点で予約が取れました)。名古屋空港からのSQ利用はわりととりやすいようで穴場かもしれません。休暇の日数の都合、週に2便しかないRAはあきらめ、TG利用となりました(ただし、RAとSQの予約を確保したままで、TGが取れ次第RA・SQをキャンセルするという方法でしたが)。タイ航空の関空深夜発を利用した日程で確保。私は東京在住ですが、この深夜発の便を利用したスケジュールですと仕事を終えてから夜に羽田発→関空→バンコク→カトマンズと翌日の昼過ぎにはネパールに着く事ができます。

準備もなかなかはかどらず、12月になってから慌てて装備をそろえ、トレーニングらしいことと言えば富士山に登ったくらいで、あとは充分なトレーニングもできないまま出発を迎えました。今年は2000メートル以上の山は2回のみ。ヒマラヤトレッキングで一番心配なのはなんと言っても高山病です。私は昨年もトレッキングでネパールを訪れましたが、その時は天候の都合でルクラまでのトレッキングとなり、4000M以上の高度は経験したことがありません。以前、チベットのラサを訪れた際には高山病でかなり苦しみましたので、ましてや5000Mにもなればかなり辛いのでは・・・。

 

以下はトレッキング中につけていた日記を抜粋しました。

12月22日
深夜関空発→バンコク乗り継ぎで23日昼カトマンズ着。翌年1月7日カトマンズ発→バンコク乗り継ぎで8日早朝関空着
 

12月23日

カトマンズ着。去年とはうってかわって空港はものものしい警戒。装甲車が空港出口を固めている。やはりテロの影響か観光客はやや少ないように思える。両替を空港でし損ない、タメルで両替をする。(※私の勘違いかもしれませんが、昨年は入国審査を終えた空港出口直前の観光案内所横にも銀行があったように思うのですが、今年はなくなっていました。)タメルで泊まったホテルには当日の宿泊客は自分一人。

12月24日

カトマンズの日中は日本の春のような陽気だが、さすがに朝は寒い。温度計を見ると4℃になっている。安物のキーホルダーの温度計なのであまりあてにならないが・・・。7時にホテルでガイドのソナムが迎えに来て合流。前回は霧で1日半待ったがそれでも途中の飛行場までしか行けなかった。空港についても、ルクラまで飛べるか心配だ。が、それほどの遅れもなくルクラへ出発できた!!

10時ちょっとすぎにはルクラ着。簡単な昼食後パクディンへ出発。ソナムはフランスに住む親戚にふるさとのビデオ撮影を頼まれているそうでビデオをまわしながらのトレッキング。彼は街道沿いに親戚がとても多い様で、親戚に見つかるたびに「久しぶりじゃないか!!ちょっとうちに寄ってけ!!(というようなことを言っていると思う)」と家に引っ張られお茶をご馳走になる。このへんはネパールも日本も変わらない様だ。勾配も少なく、暖かい。ペースもゆっくりなので、楽。途中の休憩のさいに、去年ガイドをしてくれたラクパと再会できた。パクディンのロッジも快適。今夜は日本から同じくカラパタールを目指す団体ツアーと同じロッジ。

12月25日

同じロッジだった団体では早くも体調不良の人が出ているようで、これからのことを考えると油断はできない。今日も快晴で、日なたはとても暖かい。何度か吊り橋があるが場所によってはけっこう揺れる橋があるので、ちょっと緊張する橋も中にはあり。ジョルサレからの登りは一気に高度を上げていくので、かなり辛い。日本の山だと胸突き八丁などと地名がつきそうなところだ。汗もかなりかくし、のども渇く。途中の峠で木々の隙間からエベレストが小さく見える!3時過ぎにナムチェへ到着。ナムチェの寸前ではかなり空気が薄くなっているのを実感できた。けっこうバテバテ・・・。去年たどり着けなかったナムチェは完全にシェルパ族の村で、大きなマニ石があり周囲もヒマラヤに囲まれている。トレッキングに来た事を改めて実感!さすがにナムチェまでくると日がかげってくると一気に寒くなってくる。今日はうまく行けば、すでにカラパタールから帰ってくる途中の友人TAと再会する予定。待ち合わせのロッジに行ってみると、30分前に到着して今シャワーを浴びているとのこと。いいタイミングだった。わずか3日ぶりとは言え、日本語でしゃべれるとリラックスできる。二人はロブチェで高山病の症状が出てしまい、引き返したとのこと。ナムチェで3日、タンボチェで2日の停滞日を設けたそうだが・・・。自分はタンボチェで1日のみしか日程的にはとれない。果たして行けるのか??そういえばバンコク〜カトマンズ間の飛行機の中でたまたま隣の席の人がトレッキング専門の旅行代理店の方で、今回は「私の会社のカラパタールへのトレッキングでは、この時期の成功率は50%くらいです。かなりしんどいですから気をつけて。くれぐれも無理はせんようにしてください。」とのこと。50%か…。残念ながらテロの影響で18時以降は外出禁止令が出ているとのことで、夕食前に自分のロッジへ帰る。夕食時におなじくカラパタールを目指してHSA手配でのOさんと会い、これからの日程をOさんと一緒にトレッキングする。友人と会っている時に高山病なのか手足の先に軽いしびれを感じたが夕食をとるとおさまった。夜はかなり冷えるがそれでもレンタルの冬山用シュラフの威力は抜群で、シュラフにもぐりこめば寒さはさほど感じない。

12月26日

二人の見送りを受けて、タンボチェへ出発。ホテルからちょっと歩くだけでもなんとなく息苦しいというか息切れがしやすい。ちょっと登ってまた一気に下る。乾燥しているのでかなりほこりが多い。天気は素晴らしく快晴。アマダブラムが見えはじめる。今日からはソナム、ガイドのカンゼ(私と同い年)、OさんとOさんのガイドのパサン、ポーターのカミのちょっとしたグループ。みんなとても気持ちがいい人だ。ガイドのソナムはいかにも都会っ子(実際彼の実家はカトマンズ市内)でおしゃれにも気を使っている。パサンは一昔前の東映映画俳優のようないかにも硬派!という雰囲気だが二人はとてもいいコンビだ。そしてカミはまだ少年の雰囲気を残し、とても元気で明るい。カンゼもカミも責任感がとても強い。そして恐ろしく健脚。我々の70リットルくらいのザック、その他もろもろの荷物を担いでいるのに普通のスニーカーで走るように先行していく。プンキテンガで昼食後は再び長く急な登り。昼食の時にここで会った人たちによると、こののぼりが一番辛いと言っていたが、私にはナムチェへの登りのほうが辛く感じた!?タンボチェ着。裏山を登ったり、タンボチェゴンパを見学。頭痛はないが、ほこりっぽい中を歩いてきたせいかちょっと喉が痛い。ソナムのアドバイスでジンジャーティーを飲むとだいぶ楽になった。高山病予防にとこれまたソナムお勧めのガーリックスープを飲む。ここのロッジのガーリックスープは絶品。宿泊客の国籍も様々で面白い。が、自分の語学力のなさを痛感。Oさんは英語をかなりしゃべれるので、いろいろ助けていただいた。どうも自分は英語での会話になると、とんちんかんな答えを返していたりして恥ずかしい。中学生以下の英語しかできないが、ジェスチャーなどでごまかしている。某有名日本人メジャーリーガーの言葉は正しい!でも喋れればもっと楽しくなるだろう。夕方になるとアマダブラムを初めとしてヒマラヤの山々が月明かりに照らされ始める。ここから山々はあまりにもでかく、圧倒され怖いくらいだ。夜はナムチェよりさらに冷え込む。かなり寒い。

12月27日

最初の予定だとタンボチェで1日滞在し順応日にする予定だったが、ソナムとパサンによればパンボチェまで行き、少しだけ高度を上げておこうとのこと。真夜中に喉の痛みで目がさめる。かなり痛むので喉あめを寝ながらなめる。朝からジンジャーティー、休憩の際もジンジャーティーを飲む。昼過ぎにはパンボチェへ到着。今日はパンボチェまでタンボチェで同じロッジだった学生のT君と一緒に歩く。朝、OさんとT君3人でゴンパを見に行ったときは軽い高山病のようで頭が痛いといっていたが、すっかり回復したようだ。彼はガイド、ポーターなしの単独。それに比べて、私の大きな荷物はカンゼが背負ってくれているのでかなり楽をさせてもらっている。彼はパンボチェでお茶を飲むと、そのままディンボチェへ出発していった。今日のロッジはとても暖かい。昼食後に裏山に高度順応しに登って見る。ちょっと登るとすでに4000Mを超えているようで体は重い。西側のチョルテンがあるほうは上に行くにしたがって足場が悪くなり斜面も急なので、一度下に降りて東側の学校があるほうの裏山に登る。稜線上にでるとちょっと頂上ぽくマニ石が置いてある。息があがってしまったので、休んでいると反対側から薪をどっさりと背負った少年がスタスタと足取りも軽く登ってくる。やはり地元の人は違う。「ナマステ!!」とニコニコしながらパンボチェに駆け下りるようにくだっていった。地図で見るとこの裏山は4500M近くあるのに・・・。

12月28日

水分をなるべく取るようにしているので、夜中に何度もトイレに起きる。庭でヤク(?)を飼っているのだが、真っ暗なので(おまけにヤクもまっ黒ときている)ドアを開けたときにはちあわせになり、びっくりしておもわず叫び声をあげそうになってしまった。頭痛はしないものの、寝ていてもなんとなく寝苦しく、眠りは浅い。昨日飲みまくったジンジャーティーの効果はばつぐんで喉の痛みはほとんど消えていた。朝食後、ロッジのオーナーが村で一番の高僧だそうでソナムとパサン、そして私とOさんもカタと祝福をいただいてディンボチェへ出発。ペリチェよりディンボチェのほうが標高は高いが暖かいとのこと。今日もすばらしく快晴。さすがに歩くと体がとても重く感じる。きつい登りはあまりないが・・・。ペリチェとの分岐あたりからは開けた谷あいで歩きやすい。ペリチェとディンボチェの分岐の道はわかりにくいので、単独の人は要注意だろう。ディンボチェのロッジはとても立派で快適。ディンボチェがわりと平坦だからか?到着後、Oさんとカミと共にちょっと丘まで登って見る。展望は抜群!ローチェがそびえ、白いヒマラヤが強烈な日差しに輝いている。ドイツからの団体と一緒になるが、体もでかくて、体力がありそうに見える彼らの中にもやはり2,3人は高山病で苦しんでいるようである。ヨーロッパ、アメリカからのトレッカーは体も大きいが、その背負っているザックの大きさに驚かされる(特に単独の)。そしてペースもかなり速い。さすがにツアーできているトレッカーはポーターやヤクが運んでいるようだ。一日先に着いているはずのT君の姿はディンボチェで見かけることができず、ちょっと心配。夜にロッジのオーナーからT君らしい日本人が高山病でだいぶ昨夜苦しんでいたとの話を聞いた。夜は眠りが浅くて細切れの睡眠をとるような感じでよく眠れない。トイレにも何回も行くし、横になっていてもなんとなく息ぐるしい。なにしろ食事を終えればラウンジでだらだらするものの9時前には寝ることになる。日本での明るい電気がある生活に慣れきっている体には夜はあまりにも長い。

12月29日

前夜にトゥクラのロッジが空いていればそこへ、もし調子が良ければそのままロブチェへいこうということのになった。最初の丘を登りきるとしばらく平坦に近い道だが、トゥクラに着く直前のペリチェからの合流点くらいから上りが少しあり、苦しくて休み休み登っていく。11時すぎにはトゥクラ唯一(他にもあるようだが、営業しているのはこのロッジのみ)のロッジに到着。昼飯時とあってかなり混雑。頭痛もなく、足もまったく平気なのだが、疲労感が強く体も重い(というか激しくだるい)。ロブチェに行けないこともないだろうが、いきなり高度を上げすぎてしまうのは不安だったので、Oさんとも相談し、このままトゥクラで泊まることにした。なにしろここまで停滞日なしで上がってきている。食事をしてしばらくすると体がかなり楽になってきたので、ロブチェへ続く峠を登ってみる。息苦しいものの、さっきまでがうそのように調子がいい。それでも峠のトップに出るまでには1時間以上かかったが。峠の頂上には遭難したシェルパの慰霊碑が並んでいる。我々はこうして遊びで来ているが、多くのシェルパが生活のために山に登り命を落としている・・・。登りきると一気に展望が開け遠くカラパタールまで見渡すことができ、ここからの眺めはまさしく息を飲むような景色だった。プモリも目の前に迫ってくるよう・・・。なぜか調子が良くて、平地にいる時のような気分。思わずそのままロブチェまで行ってしまいそうになる気持ちをグッと押さえ、トゥクラのロッジへくだる。途中で高山病でふらふらのオーストラリアからのトレッカーとあう。ポーター一人と一緒だが、彼に担がれるようにして降りなければならない状態。ポーターの彼は日本人と2,3回トレッキングしたそうで、日本語がかなりしゃべれる。彼によればゴラクシェプに泊まるのはやめたほうがいいとのこと。付き添ってトゥクラまで降りるが、ロッジに着いてもかなりつらそうで危険な状態に見えた。下るのもままならないように見えたがソナムとパサンによれば、ここには泊まらずペリチェまで降ろしたほうがいいとのことで、ポーターがつきそって降りていった。ここのロッジはこぢんまりとしているが、オーナーの家族も一緒に泊まっているオランダ人夫妻もきさくで雰囲気がとてもいい。この夜もあまり眠れなかった。

12月30日

昨日とは逆にトゥクラを出てすぐの登りがえらく苦しい。朝、目覚めてから体が重くてしょうがなく、まったく前に進んでいけないような感覚。昨日の反動のように今日は倦怠感がひどい。10歩歩いては休んでいるような状態。

Oさんはとても調子がよさそうで、Oさんからはどんどん遅れていってしまう。ただ、景色はあまりにもすごい!この景色でなければしんどくて引き返しているかも・・・。ソナムとカミは我々のペースでは体力を持て余してしまうようで、この高度でも走り回っておっかけっこや休憩のときなどプロレスもどき(ためしにまざってみたところ、あっというまに心拍数がはねあがった!)のようなことをして遊んでいる。ロブチェでは団体ツアーが来ている上に営業していないロッジがあったとかで、今日のみ特別にドミトリー4$の別料金がかかるが快適なロッジをソナムとパサンが探してきてくれた。最初は食堂で寝るはずだった。その時は別に食堂でも・・・と思ったが、あとで感謝することになった。到着後、休憩のあとにOさんとカミと裏山へ登ってみる。が、めちゃめちゃつらくひどい倦怠感・・・。息切れも激しい。Oさんの声も聞こえてはいるのだが、頭に入って行かないような感覚なので途中でロッジに引き返す。ドミトリーに戻って休むがあいかわらずひどくだるくて、体を動かす気にあまりなれない。今日は日本人、そしてドイツの団体でロッジはにぎやか。Oさんと単独で来ているYさんと夕食をとりつつ、いろいろ話をしているうちにだいぶ楽に。Oさんは調子がいいので、予定通り明日の朝に出てゴラクシェプに泊まり、あさっていにカラパタールに登るとのこと。が、自分の今の調子ではゴラクシェプに泊まるのは危険に思えた。少しでも高度を下げて泊まったほうが・・・。できればここまで一緒に登ってきたOさん、そしてパサン、カミとカラパタールの頂上まで行きたかったが、このコンディションと環境の中では無理はできない、と判断。ソナムの勧めで朝4時に出発して、その日のうちにできればペリチェ、無理そうならトゥクラまで下ることにした。Oさんとルクラでの再会を約束し、明日は早いので早めに寝る。

12月31日

寝る前には

Oさんからもらったアスピリンを飲んで寝るが、あいかわらず寝ていてもだるく、少し吐き気もでてきた。ちょっと眠ったころに目を覚ますと、出発の予定の4時を10分過ぎている。慌てて服を着込み部屋をでるとソナムがすでに迎えに来ていた。ほとんどの荷物をロッジに預けて出発。しばらくは平坦なものの苦しくて5分歩いては立ち止まって深呼吸を繰り返す。寒さも厳しい。ダウンを着込み、ウインドストッパー入りのフリースグローブの下にさらにインナーグローブもつけているのだが、それでも指先がじんじんと冷える。体は辛いが満月に近い月と星明りで明るく、ヘッドランプをつけなくてもじゅうぶん歩ける。山もうっすらと月明かりにうかんでなんとも幻想的な景色だ。今までこれだけ明るい月明かりは見たことがない。途中何組かガイドやポーターに抱きかかえられて降りてくるトレッカーとすれ違う。ゴラクシェプやカラパタールで重度の高山病になったようだ。ソナムには「これから君の目で危ないと判断したときはカラパタールにはいけなくても、引き返すように言ってくれ」と頼む。途中の丘を越えるのもかなり苦しい。残念ながら日の出には間に合わなかったが、7時半くらいにゴラクシェプ到着。お茶とビスケットの簡単な朝食のあと、いよいよカラパタール目指して出発。ゴラクシェプはまるで砂浜のよう。すぐに息があがってしまい、休み休み登っていく。ペースはさらに落ちていっている。カラパタールの頂上は見え始めても、そこからが長く感じた。プモリがどんどん近づき、手が届きそうなほどに見える。エベレストも雪煙をたなびかせてそびえたつ。頂上まで2時間はかかっただろうか。やっとたどり着いた頂上からのながめはたとえようもなく壮大で写真集やガイドブックでの写真とは比べ物にならない。怖くなるくらいに山は大きく迫ってくる。自分でもなぜだかわからないが、頂上にたどり着いたときには涙がぼろぼろとあふれてきてしょうがなかった。以前見たカラパタールトレッキングのドキュメント番組で某女優さんがカラパタールにたどり着いた時に、やはり涙を見せていたが、納得。ソナムが「おめでとう!!我々はとてもラッキーだよ。こんなに天気が素晴らしく、そしてここまでこれた!!」と言ってくれる。ここまで導いてくれたソナムとカンゼに心から大感謝。このときの気持ち、あまりにもすごい景色はうまく言葉では表すことができない。ゴラクシェプのロッジに降りるとOさんとパサンがちょうど到着していた。朝調子が悪くなったので、今日中にカラパタールに登ることにしたとのこと。なんとカミが夜中に高山病でダウンしたらしい。高度でぼーっとしているせいか、昼食時にフィルムを巻きもどす前にカメラを開けてしまい、大ショック…。Oさんの成功を祈りつつ一足先に下山。途中で体調不良を押してカミがOさんに追いつくべく登ってきた。ソナムがロブチェで待っているように言うが、そのままカラパタールへ向かっていく。その責任感には脱帽。トゥクラからペリチェは風も強くて寒い。夕方5時くらいになってしまったが、ペリチェ着。さすがに今日は今まで一番きつい日程。ペリチェはトレッカーも少なく、営業しているロッジも少ない。そして、ディンボチェよりはるかに寒い。泊まったロッジの客は私一人と寂しい年越し。疲れてはいるものの、カラパタールにたどり着けた満足感、そして1000メートル高度を下げると体はとても楽で12時間一度も起きずに熟睡。

 

帰路

当初の予定より1日早いペースで下山。往路のタンボチェはとても寒く感じたのに、帰路だととても暖かく感じました。ナムチェのシェルパ博物館、エベレストビューホテルなどを見学。ソナムの叔父さんに御屠蘇(?)もご馳走になったりしつつ、のんびり下山。ルクラからの登りのルートからは少し外れるチョウリカルカに1泊などの回り道をしてルクラ着。予定通りのフライトで(3時間くらい遅れたものの、ネパールでは充分予定通りと言っていいかと思います)、ルクラからカトマンズに戻ることができました。結局、予定した予備日も使う事なく、カトマンズで丸1日のフリーを取れました。トレッキングの実質の日数は12泊13日。 

 

トレッキングを終えて

出発前はテロの影響、マオイストの問題、そして天候は??などの不安要素がありましたが(今回マオイストとの戦闘があった飛行場は昨年訪れた飛行場でしたのでなおさらでした)、現地に着いてからというものはあまりにもできすぎでした。今年の天候は毎日快晴で雪もありませんでしたし、順応のための停滞日もなくカラパタールまで行けたのは自分でも驚きです。ソナムも「この時期は雪が降るので、今回は登山靴を履いてきた、秋のシーズンならスニーカーのほうが楽だから。」とのこと。

幸い高山病も思っていたほどひどくありませんでした。高山病は個人差があるようで、私の場合、頭痛はあまりしなかったものの(以前なったときは頭痛がひどかったのですが)、ひどいだるさが主な症状だったと思います。また、男性より女性のほうが高度には強いのでしょうか?日本からの団体さんではカラパタールまで来る途中に男性は1日一人脱落し、女性は全員成功。ロブチェでもみなさん元気にもりもり食事をしていました。

今回のトレッキングが成功したのは、天候が良かったことと、ソナムとカンゼ、素晴らしいガイドとポーターが同行してくれたからということにつきます。高度に慣れているからとは言え、彼らの体力には驚きます。二人とも常に私の体調に気を使ってくれ、ロッジでも団体客がいるラウンジより、暖かいキッチンのほうを勧めてくれたりするのが嬉しかったです。また、トレッキングのルート沿いにはソナムの親戚の家が多く、何度もお茶をごちそうになり、「初めて家に電気が灯る」という貴重な瞬間にも立ち合わせてもらいました。またカトマンズでは彼の実家で夕食までご馳走してもらいました。ソナムに限ったことではないのですが、シェルパの人々は信心深い仏教徒で、都会っ子ぽいソナムが帰路のタンボチェゴンパの前で、無事に戻れたことを感謝して祈っていたのがとても印象的でした。シェルパの人々の中には礼拝が当然のごとく、日常に溶け込んでいるようでした。怪しい雰囲気どころかむしろ、温かみさえ感じるような雰囲気です。夜にはストーブを中心に一家が集まり食事と団欒という光景が見ることができ、うまく言えませんが我々日本人が失いつつあるものがまだネパールには残っているように思います。

カラパタールまではしんどいですが、それに耐えていく価値は充分すぎるほどあります(もちろん無理は禁物ですが)。カラパタールからの景色はもちろん、カラパタールまでの道のり、出会った人たちのことも一生忘れることはないでしょう。写真やビデオなどとは比べ物にならないほどヒマラヤは偉大に見えます。チャンスがあって迷っている方にはぜひお勧めします!!

また、日本からですと団体ツアー(個人手配するとさらに高くなるようです)で行かれる方が多いのですが、私としては個人手配のほうが、周りのペースに合わせなくてもすむので体力的にも楽だと思います。また、Oさんの感想にもあるように、他の単独で来ている人たちといろいろ話す事も出来るのが楽しかったです。

最後になりましたが、たびたびの私の質問にいつも丁寧な回答を返して下さった森崎さん、カラパタールまで導いてくれたガイドのソナムとポーターのカンゼ、プルパ社長、一年ぶりにもかかわらず私の顔を覚えていてくれた空港に送迎してくれたガイドさん(すみません、名前をちょっと聞きませんでした。サングラスをかけている彼なのですが…)、途中で共にトレッキングをしたOさん、Oさんのガイドのパサン、ポーターのカミ。皆さんのおかげで素晴らしい経験をすることができました。本当にありがとうございました。帰ってからは、しばらくは旅行に行く気もあまり起きませんでしたが、今ではいつか再びネパールを訪れたくなっています。

 

持っていって便利だったもの

マスク→私は普段から喉が弱く、喉から風邪を引く体質(?)ですので、乾燥しほこりの多い場所ではマスクを着用していました。特にナムチェ〜パンボチェは歩いていると土埃がけっこう舞います。また寝るときにマスクをつけて寝るのも喉の保護のためにはかなり効果があるようです。

サングラス→日差しがかなり強いので、メガネを着用している人でも度つきのサングラスやクリップ式のサングラスを持っていったほうがいいです。

ストック→友人の勧めで今回初めてストックを使いましたが、効果は抜群です。疲労度が全く違います。2週間を超えるトレッキングになるので故障の防止や体力の温存に効果を発揮するのでは。

インスタント味噌汁→ガーリックスープも美味しいですが、食欲の落ちたときに味噌汁だけでも飲むとだいぶ違います。

サプリメント類→私は鉄分のタブレットとアミノバイタルタブレット(アミノ酸)を毎日飲んでいました。またビタミン

Cもたまに。これは気の持ちようかもしれませんので効果のほどはわかりません。自分なりに効きそうなものを携帯するのがよいのでは。

モンベル「エクセロフト フットウォーマー」 中綿入りの防寒ソックスです。シュラフの靴下版のようなもので、これを履いているとかなり暖かいです。

服装→ナムチェより上になると夜はかなり冷えましたがダウンジャケットを着たままシュラフに入れば暖かいです。高山病の予防には頭、手足の末端を冷やさない様にすることも大事だそうなので、私は寝る時に前述のフットウォーマーを履き、キャップも被ったまま、ダウンを着込んでいました。

日本の山でも言える事ですが、休憩時に服が汗で濡れていると、風で体温が奪われますので、ちょっと高価ですが、下着だけは奮発して山用の速乾性素材を使った物がいいでしょう。私は友人の勧めでフリースよりも冬・極地用の厚手タイプの長袖下着を2枚重ねて着ていました。日中は歩いていればそれなりに暖かくなります(今回は毎日晴天だったせいもありますが)。ダウンは早朝や夕方以外は歩行時に着る事はありませんでしたが、休憩時やロッジの中での必需品です。

 

富士山

日本で高所順応を行うには富士山がいいと聞き、私も10月の初旬に日帰りで高所トレーニングのつもりで登りましたが、2年前に富士山に登った時はまったく平気だったのですが、今回は頭痛になり、気分も多少悪くなり、トレッキングに少々不安を感じることになりました。険しい岩場などはないのですが、7,8月以外は要注意です。10月初旬でもすでに八合目以上に雪がありました。寒さも厳しいので充分な保温ができる服装が必要です。また、山小屋もほとんど閉鎖されていますので、途中での宿泊や食事はできません。私が登ったときも運動靴でのぼっている家族がいましたが、運動靴では上部の雪が危険です。私は八本爪のアイゼンを下りで使いました。9月でも保険で軽アイゼンは用意したほうがいいと思います。11月にもなれば冬山経験のない人は危険だと思います。

2002.2.7

by Mr.OT


 カラパタールへは、2回も3回も行く人はごくまれで、たいていは一回きりですので、ほとんどの方は、初めての5000mに対面して、Mr.OTさんのような不安を抱えながらのトレッキングです。

 日程はどのくらいの長さが良いのか? 高所順応にどれだけの日数を取ればよいのか? 高山病の兆候が出てきたが、このままトレッキングを続けて回復してくるのか、反対に悪化するのか? 停滞か、下山か、続行か? というような不安が胸中に去来します。

 トレッキング中一緒になった学生さんの場合では、相談する相手もなく、不安は倍増したことでしょう。ガイドやポーターといれば気もまぎれますが、一人で言葉も通じないと、次第に内にこもって気持ちも沈んでいきます。

 インド旅行のついでにカトマンズに来て、トレッキングとやらもやってみるか、と気軽にカラパタールにやってきた登山経験皆無の旅行者も、難なく登れてしまうこともあるようです(冬以外の好シーズンの場合)ので、なんとも言えませんが、一度で成功を確実にしたい場合は、ガイドを伴うことが確率を高めるのは言うまでもないでしょう。

 初めてで単独でも、登山経験があり、日数の余裕も十分な場合、自分の体と相談しながら慎重に行動すれば、たとえガイドレスであっても、たいていは成功します。
 でもほとんどの方は、休暇の点で、そんな余裕はありません。

 多くの例を見て思うことは、準備が入念な人ほど成功しています。
 日程、コース、装備、気候、言葉、等に対して準備していくうちに、知らず知らずのうちに心の準備も伴ってきて、ボクサーが試合日に備えて入念に調整していくように、体調に注意し、日常の規則正しい生活を心がける、といったことがポイントのようです。
 考えてみれば、ボクシングの試合も、入学試験も、その日の成功は、その日までの準備ですでに決まっていますね。

H.S.A.JAPAN 森崎

 

 Mr.OTさんは、H.S.A.のご利用、2回目です。
 前回のご報告は、こちらです。→ 「大いなるヒマラヤの予感」
Mr.OT 2001.1.22
 

 


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2002年