大いなるヒマラヤの予感

ルクラ・トレック

今回は森崎さんにお願いして本当に良かったと思っております。
たびたびのメールにも迅速に回答していただきましたし、(質問してもまったく返信のない会社もありました)日本国内の旅行代理店ではどこの社もルクラ〜カトマンズ間のフライトはチャーターへリしかない、もしくはまったくわからない、といった情報しか入手できませんでした。
また、現地でも添乗員が日本語ガイドを介してガイドをするという二度手間を行ってました。
プルパ社長、社員の方、そしてラクパ。
みなさん本当に親切で、そして楽しく、おかげさまで予定こそ狂ったものの充実した旅行となりました。
トレッキングの様子につきましては後日改めてお送りしたいと思います。

2001.1.11


トレッキングの感想

 今回はHSAさんには年末年始休暇を利用しての12月30日〜1月7日間

ルクラ〜ナムチェバザール間のトレッキングの手配をお願いいたしました。
 準備が遅かったため、航空券は割高のANAのチャーター便利用となりました。
 年末年始にネパール行きを計画される方は、夏頃から動き始めるのをお勧めします。

 今回でネパールは2回目なのですが、前回はトレッキングをせずにカトマンズとポカラだけでしたので、今回はトレッキングが目的でした。

 カトマンズの空港に降り立ち、アメリカ人のアルバイトさんに迎えられ社長の自宅へ。
 プルパ社長は日本語少しと完璧な英語をしゃべる気さくな方でした。

 翌日にガイドのラクパさんと空港で合流し、ルクラへ向かう予定だったのですが、霧のために結局その日はフライトキャンセル。
 翌日も朝一番の飛行機のはずが、昼過ぎになってしまい、しかも霧の為にルクラの手前のパプルという飛行場までしか飛べませんでした。
 そこで、翌日にカトマンズに戻りポカラからのトレッキングに変更するか、ここからルクラまでのトレッキングにするかという選択肢になりましたが、すこしでもシェルパ族の生活圏に近づきたいので、ルクラまでのトレッキングにしました。

 そこからはルクラより下ということもあって、トレッカーも少なく、天気も回復し快適なトレッキングでした。

 ガイドのラクパさんは僕と年齢もそう変わらない、ちょっとシャイな好青年、という感じでした。
 流暢な英語で歩きながら、ネパールの労働問題やチベット難民のこと、お互いの将来のことなどいろいろ話してくれ、これもトレッキングのよき思い出の一つです。
 残念なのは、自分は英語がほんの少ししかしゃべれないことでした。
 もっと語学力があれば、彼ともっと深くいろいろ話しができたと思うととても残念でなりません。
 道中も「オチャ?オチャ?」とのどが渇いていないかと気を使ってもらい、また英語が聞き取れないと、何回も繰り返し説明してくれたのはほんとうにありがたかったです。

 1日目の宿泊ロッジはカナダからの15,6人のトレッキンググループと一緒だったのですが、そのグループが自分達の生活習慣をそのまま持ち込んでいたのは残念です。
 頼んだ食事をほとんど残す、口をつけたものをポーターたちに勧めたり・・。(ネパールでは一度口にしたものを人に勧めるのはタブーと聞きましたが・・)
 グループの中の何人かはとても感じの良い人だったのでなおさら残念でした。

 初日は夕方で雲も多かったので、景色はあまり見えませんでしたが、翌朝に一つ峠を越えるとヒマラヤが顔を出しました。
 やはり飛行機から見る山より、自分の足で一歩づつ近づいて行くほうが断然良い眺めです。
 峠、山をひとつ越えるたびにヒマラヤはグンと近づいてくるし、標高もわりと低めなので暖かく、道もさほどきつくなく快適で奥多摩を歩くより楽な気がしました。

 途中から加わったポーターも日本で言えば小学4年くらいでしょうか、とても人懐こい男の子で、彼と一緒に歩きながら日本語を教えたり、ネパールの歌を教えてもらったりとこれまた楽しい思い出です。

 結局、ナムチェには行けませんでしたが、十分ヒマラヤを満喫できたと思います。
 マイナーなルートでトレッカーが少ないのも良かったのかもしれません。
パプルの飛行場でルクラへのフライトを待つ日本のツアー団体とあってからというもの、ルクラへ着くまで日本人には一人も会いませんでした。
 必然的にネパールの人、さまざまな国籍の人と話すことになり、自分の語学力の無さを痛感することもできました。

 ルクラからカトマンズに戻るフライトは、日本人ツアーでほとんど占められてかなり座席の確保が厳しい状態でした。
 しかし、4日にカトマンズで友人と待ち合わせていたので、そのことをラクパさんに相談すると、夜まで奔走してくれ、僕のチケット1枚を確保してくれ、彼は後日カトマンズに戻ることになりました。
 たった4日間のトレッキングでしたが、ラクパさんに見送られ一人飛行機に乗り込むと、このトレッキングのことを思い出し、柄にもなく目頭が熱くなってきてしまいました。

 今回のトレッキングを素晴らしく充実したものにしていただいた森崎さん、ガイドのラクパさん、ポーターのジャンム君、プルパ社長、タリチョーホテルのグルンさんにラジュさん。皆さんに感謝しております。

 次回はカラパタールを目指したいと思っていますのでその時はまたよろしくお願いいたします。

 

2001.1.22

by Mr.OT


 Mr.OTさんには、帰国後、ラクパの辞書等がザックに入れ忘れてあったので、わざわざネパールに郵送していただきました。ご丁寧にありがとうございました。
 ラクパがいいガイドをした証しだと、勝手に自負しております。

 カナダ人グループの件、残り物をくれてやるという態度なら、気分のいいものではないです。もし、口に合わないんだけどよかったらどうですか?という態度なら、親しい間柄ではありえるでしょうが、ポーターはどのように感じたのでしょうか? 同じ人間として対していればいいですが、上下の感覚があるとすれば問題です。
 私の場合、スマトラでのことですが、個人のやっているレストランで、ジャガイモ料理が口に合わず残したら、女主人はこちらが食事を終わったと見るや、その場でその残り物を土足で歩く土間の上に皿を置いて、地べたに座っていた3歳くらいの自分の子供に与えました。
 気分の悪いものですが、女主人にはなんともないことだったのかもしれません。
 考えようによっては、一緒に食べるところ、少し時差があって食べる時がずれた、といえないでもない(?)。

 また、一方、ネパールでは、トレッキングの途中あるロッジ前で休憩した折、屋外の食卓でフランス人女性が13歳くらいのポーターに、どうぞ一緒にここに座ってお食べ下さい、とでもいうように、暖かいまなざしで、手招きしていました。その時の少年の、はずかしげな笑顔に誇りが重なったような、ポッと赤らんだ顔が、たいへん印象的でした。

 要は、人間としての資質の問題で、結局は自分にはね返ってくるのです。
 他国・他人の生活圏にお邪魔して、そこの人にガイドしてもらって、食事を出してもらって、旅をするのか、金を払っているんだから、当然のサービスは受けるという気持で行くのか、心のありようで、景色も印象も異なったものになるのではないでしょうか?
 相手をバカにしていれば、不愉快な国になるし、Mr.OTさんのように、暖かい目で見れば、心優しい国になる。

 今回、歩いていただいた村の1つは私の家内の出身地です。例えば、人糞とか家畜の糞は、集めて蓄えてある落ち葉と混ざった状態で、どこの家庭にもありますが、それを畑に運ぶのは、その家の人ではなく、その仕事を専門にやる低いカーストの人たちだといいます。わずかな金で雇うのです。

 当初、シェルパが登山ガイドとして訓練される時、大英帝国の植民地主義のなごりか、サーバントのようにしつけたようで、今でもお客さんに対しては低姿勢です。
 ポーターの待遇も悪いです。
 この辺は私たちも変えていきたいところです。
 カーストを覆すことはたいへんですが、同じ対等な人間として誇りを持てる職業人になってもらうことは可能だと思います。

 今回の旅は、当初、ナムチェへのトレッキングが予定であったのに、天候によりルクラへのフライトがなく、やむなく上記のような形になって、トレッキングの入り口で終わってしまったのが大変申し訳なく思っております。
 帰国されてから、クレームがあっても仕方なきところ、望外のご丁寧な感想をいただき、感謝しております。
 次回、カラパタールにお出かけの際は、ぜひ天候に恵まれた状態で頂上に立っていただけることを希望しております。
 今回の旅が「大いなるヒマラヤの予感」とすれば、次回は「大いなるヒマラヤの実感」となるでしょうね。
 アマダブラムの荘厳を始め、「畏敬」とか「神々」とかを実感する、次回の旅、お楽しみに!

 H.S.A.JAPAN 森崎

 

 2回目のご報告→ 「大いなるヒマラヤの実感」Mr.OT.2nd 2001.2.8


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