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 声2004年

ランタン娘の重い写真

キャンジン・リ・トレック
2004.4.28〜5.8

2004年GW、ランタン谷に行ってきました。

ガイドは、Tashi Sherpa です。

今回は10年ぶりのネパールで、目的としては、
・10年前のコースをたどり、ネパールの10年を感じる。
・前回行けなかった、キャンジンリ、ランシサカルカ等のランタン谷奥地を訪ねる。
・前回の訪問は冬だったので、春の緑と花のランタン谷を満喫する。

結果としては、日程達成率150%、満足度250%の素晴らしい旅となりました。

<ガイド Tashi Sherpa>
私と同年代の39歳。
西ネパールや、マナスル方面で下積みが長かったようで、ランタン方面でサーダーを務めるようになって、5,6回といったところ、とのこと。
英語が私以上に弱く、行動中は、無口なポーター、ニグマも手伝い、無言の行軍となりました。
その一方で、大変時間に正確で、行動中も何くれとなく気を使ってもらい、居心地良かったです。
また、たいへん信神深く、マニ石では「オンマニペムフム」を唱え、ピークでは四方の山にお祈りをしてました。
私は彼のことをたいへん好きになりました。

<バス道中>
ローカルバスは初めての経験。乗り降りする、いろんな人を見ていると楽しい。ガイドは、いい席を取ってくれたので、居ながらにしてネパールの庶民の暮らしを垣間見れる。
トリスリを過ぎると未舗装。グワラグワラと大きくゆれるバス。それでも人々は、屋根に手すりにしがみつき、車掌は運賃を集めに人の集団をかきわけ、後部から屋根の上まで行き来する。
エンジンの轟音と、最新流行の音楽をまき散らしながら、田舎道を疾走するバス。田舎の人には文明の象徴と映るのだろうか?
マオイスト対策か、何箇所もチェックポストがあって、ネパール人はそのつどバスから降りて身体チェックをされてました。外人は、ドンチェ手前以外はノーチェックです。

耳栓をもっていくことをお勧めします。栓をしても十分ネパール音楽は楽しめます。



<シャブルベンシ-ラマホテル>
ピンクの綿帽子のような花をつけた大木(ねむ?)。石楠花もちらほら。ラリグラスの赤って本当に赤い。写真では表現し切れません。
対岸の断崖に巨大なミツバチの巣。緑の中、とっても気持ちいいです。
半面、あまり人の生活は感じられないコース。時間があれば、シャブルベンシの旧村をうろつきたかったな。
突然、雷、大雨。断崖絶壁を走って、ラマホテルに逃げ込む。ロッジが増えていて、10年前の面影無し。でも、ラマホテルのボス、オパさんは、相変わらずのしわがれ声で元気そうであった。
10年前に撮った写真を見せると、目を細めて喜び、懐かしそう。中でも私が一番気になっている少女は、彼の伯父の娘でペーマといい、今はランタン村に嫁いで1児の母だと言う。「会いたい」というと、我がガイドに場所を説明してくれる。
カトマンズから来たネパール人大学生4人組、なんてのもいた。時代の変化を感じる。
結局、雨は一晩中降り続いた・・



<ラマホテル-ランタン村―ペーマ探し―>
雨の上がるのを待って出発。すぐ上の山は、雪に覆われている。
森の中の緑がみずみずしく美しい。雨上がりの白駒池周辺を思わせる。所々に開けた草地の緑がまた良い。
ガイド タシ氏はバッティごとに、「ペーマ?」と尋ねて回る。この辺はみな知り合いらしい。
また、にわかに曇り、雨が降り出す。小さな小さな茶店に逃げ込む。と、ここが、そのペーマが働いている茶店だと言う。しかし、今日彼女はランタン村にいて居ない、とのこと。
雨の音がしなくなった、と思ったら、雪に変わっていた。大雪を衝いて出発。傘が重い。
すぐ日が照りだす。枝に着いた雪がきらきら光り、溶けた雫がさわさわ降ってくる。
ランタン村手前に巨大なつり橋ができていた。また、村の手前にもうひとつのロッジ村が出現していた。
日本のNGOが関与しているパン、チーズ工場を見学。2人だけの工員だったが、楽しそうに働いていた。すぐ上の公民館で、夜間識字教室もやっているはず。小さな水力発電所も気持ちよく回っていた。
昔からの上村の方に行く。昔ながらの生活。半面、廃業したロッジが目立つ。
昔、上村でホテルランタンビューを経営していたが、今は廃業して小さな雑貨屋をやっているテンジンさんと話す。
「電気?金持ちが肥え太っただけさ。貧しいものには子どもの教育の機会さえない。NGOの夜間識字教室?行けるのは金持ちだけさ。ポーターやって1日100Rs、この店?1日10とか20だね」。
どこまで公平な見方かはわからないが、貧富の差が広がっているのは確かなようである。




<ランタン-キャンジン-キャンジン・リ>
昨晩から絶不調。ゆっくり行ってくれ、とお願いしたが、結局2時間半でキャンジンに着いてしまった。
昨日の打ち合わせで、「この日程では、キャンジン・リは無理、いわゆるタルチョーピークに行こう」 ということになっていたが、どうもコースが違う。谷の奥に見えるのは、まぎれもなくキャンジン・リ。
ガイドがどうして気が変わったかは謎だが、行けるのであれば、とやけくそパワーを振り絞る。それにしても、ランタン-キャンジン二時間半の後、半日でキャンジン・リとは。
キャンジン・リは絶景なり。とくに目と鼻の先のキムシュン氷河がすごい。アイスフォール崩落の音がど迫力。リルンはもちろん、その他の雪山もバランスよく配置され、大パノラマを満喫。もっと知られて良い展望地。エベレストに対するカラパタールのように、ランタンリルンにキャンジン・リ有り、みたいに。
皆が良く行く、いわゆる「タルチョーピーク」も確かに絶景なので、そこで足を止めてしまうんでしょうね。行くなら、我がガイドのように、谷を詰めて、突然現れる大展望!とするのが演出上ベター。



<ヤラカルカ往復>
ガイドには、「ランシサカルカに行きたい」。と告げてあった。「わかった。谷の奥で遠いから、早めに出発しよう」。
おかしい。川沿いに谷をさかのぼるはずなのに、巻き道を登っていく。道が崩壊して巻き道が新たにつけられたのか?最高地点は4200のはずなのに、既に4500オーバー。
「あそこだ」とガイドが指し示す場所は、雪の丘の中腹。絶対にランシサカルカではない。
しかし、彼はここがランシサカルカだと主張する。ランシサカルカと呼ばれる場所はたくさんあるが、こここそがその第一の場所だ、と。
4700mで口論しても疲れるので、「一般的にトレッキング地図に出ているランシサカルカはここではないよ。帰ったら勉強しといてね」、とだけ言って、せっかく来たのだから楽しむことにする。しかし、まわりの丘が更に高いため、残念ながら眺望はあまり良くない。
ガイドが、「川沿いに行きたいのなら、この谷を下っていけば川に出られる」と言うが、あまりに急そうなので断って、もと来た道を引き返す。巻き道の眺望は素晴らしいのだ。
キャンジンのロッジに帰ってから、ガイドが、「日程を繰り下げてランシサカルカに明日行ってもいいが?」と提案してくれる。しかし、2日続きの4500mオーバーでかなり疲れていて、「とてもじゃない」と断る。



<ランシサカルカ往復>
一晩悩んだが、朝早くガイドをたたき起こして、「やっぱり、ランシサカルカに行く! 準備して!」と頼む。ガイドのタシはたたき起こされたにもかかわらず、嬉しそう。
今日も輝くリルンを背に、ご機嫌なコース。途中のカルカでは、ヤクが草を食み、断崖絶壁を背景にした緑がキレイ。あこがれのランシサ・リもほどなく見え出す。
最後のサイドモレーンを巻くと、そこがランタン谷のどん詰まり、ランシサカルカ。目の前にランシサ・リがそびえる。すぐ隣には、ランシサ氷河のモレーン丘の壁が立ちはだかる。あの向こうは、生きている氷河のはずだ。
大自然に囲まれて、人っ子一人いないのに、ヤクがいて、カルカ、タルチョーがあって、確かな人の生活の感じられる場所。とっても好きなシチュエーション。
帰りはさすがに疲れて、どうにかこうにか雪の降り出す前にキャンジンに帰り着く。雪は一晩中降っていた。



<キャンジン-バンブーロッジ>
2日間でシャブルー経由で帰るため、頑張ってバンブーロッジまで下りる。
キャンジンは、最後は一面の雪化粧で別れを惜しんでくれた。
雨上がりのランタン村は、水溜りに浮かぶ緑の島のよう。
木漏れ日を楽しみながら、ゴラタベラ、ラマホテル、と順調に下り、雨にも降られず、難なくバンブーロッジ。とても満ち足りた気分。気分が良いついでに、バンブーロッジの娘から、言い値でお土産を買ってしまう。臨時収入に喜んだことであろう。



<バンブーロッジ-シャブルー-バルクー-ドンチェ>
最終日も長丁場。最後のこだわり、「丘のシャブルー」を目指す。
かなり登った、と思ったら、谷まで一度下がる。と、橋が流され建設中。道に太いワイヤーがとぐろを巻き、つるはしを持った人々が斜面を切り崩して土台を建設している。10年後に行くことがあれば、立派なつり橋がかかっていることだろう。
一面の大麦畑。たわわに実っている。10年前、冬に来たとき物足りなかったのは、この緑、この豊穣。
畑の中をうねうねとシャブル本村へ。尾根沿いに一直線に並んだ特長的な町並み。晴れ渡った空も、この高度まで来ると高山での攻撃性はなくなり、心地よい。
授業前の生徒たちが、村のてっぺんの広場に集まって、体操している。級長なのだろうか、年長の女の子が号令をかけ、小さい子の服装を直してやっている。
遠くにゴサインクンド方面の雪山、ガネッシュ、ランタンの山々を望み、マカルーも遠望できる。ランタン谷を覗き込むと、通ってきたラマホテル、バンブーロッジも指し示すことができる。
コース的には遠回りになるが、本当に訪れて良かった。

ブラバルで、10年前の写真を見せた老人は、写っているのは彼の2人の娘だという。大変懐かしそうであった。

10年前のもう一枚の写真、それはブラバルのすぐ隣の茶店で撮った少女のものだった。ネパールの田舎では珍しい一人っ子なのだろうか?その当時から、独特な雰囲気の子で心に残っていた。
その娘は、やはり一人で茶店の前に座っていた。10年前と同じ、彼女特有の尊厳を持って、僕らには注意を向けず編物を続けていた。
写真を見せると言葉を失い、「なぜこんなものが?」と言った感じで、ひっくり返したりして確かめている。が、自分を取り戻して写真を傍らに置くと、また、気高い微笑を返した。
出発に際しては見送ってくれた。しばらく行って振り返ると、その場所にたたずんだままじっと写真を見つめている彼女の姿があった。
僕の胸に込み上げてくるものがある。彼女の再会したのは、僕ではなく、10年前の彼女自身。だから、写真を渡したのが僕でなくても同じ感動を与えることが出来たかもしれない。でも、彼女の感動を演出したのは、まぎれもなく僕。しがないサラリーマンが、どうにか捻出した休みを利用して駆け抜けるちっぽけな旅。そんな旅であっても、人の心にちょっとした足跡を残せたことが、たまらなく嬉しい。

車道に出ると、ほどなくバルクー。昔ながらのロッジがどうにか数軒残っているだけ。バルクー泊は薦めなかったわけだ。
畑薙からの南アルプス林道がハイウエーに思えるようなひどいバス道路をひた歩く。ドンチェは大きな町だ。ほこりにまみれて歩いて入るのがはばかられるよう。
立派なホテルに荷をほどき、トレッキングは無事終了。暖かく、濃い空気に包まれて、再会した娘のことを思いながら、ぐっすりと眠った。



<再びカトマンズ>
帰りのバスの旅はいちいち書くまい。
ホテルのロビーでガイドのタシとポーターのニグマとはあっけなくお別れ。余韻を味わうひまもない。
観光も考えていたが、あまりにトレッキングが充実していたので、まあいいか、という気分となる。さしあたって、昔会ったネパール人一家を探しにパタン方面へ行くが、結局見つからず。パタンとカトマンズの間の橋のそばの公園で、猿の群れの中で、座ったりねそべったりしている人の一群を見る。完全に猿と人間が同じ空間の中。昔以上にあわただしくエネルギッシュな都会の中で、ちょっとほっとする。

プルバ社長は忙しいのに食事に招待して下さった。私の、「とりあえず」と言った感じの手土産に、立派な水差し(酒器?)を返していただき、恐縮。
RAは例によって遅れたが、とにかく帰り着き、僕の最高の旅は、無事終了となったのであった。



<アドバイス>
・ 日程最終調整には、必ず現地の地図を準備すべき。今回、シャブルーに行くためのコースを提案したのに、話がかみ合わなかったことへの反省。日本で「シャブルー」といえば、バルクーとバンブーロッジの間にある丘の上の「シャブルー」のことですが、実は、ただの「シャブルー」は他の場所で、丘のシャブルーは、「トゥーロ・シャブルー」であり、その他にも、「何々シャブルー」、「何々バルクー」があるため、うまく伝わっていませんでした。
・ 同上ですが、ガイドとの打ち合わせにも地図上での確認が不可欠。日本的感覚では、「ランシサカルカを知らないガイドなんて」 と思うかも知れませんが、ヨーロッパのトレッカーはピーク登頂を重視する人が多いみたいで、確かにキャンジンで会ったフランス人もランシサカルカを知りませんでした。つまり、我々の常識が現地の常識と思ってはいけない、ということです。
・ 強烈な紫外線にご注意。これは常識かも知れませんが、私は今まで山やっててトラブったことがなかったため、甘く見てました。3800オーバーに2日半居たわけで、皮膚は皮がむけた程度で済んだのですが、唇がボロボロになり、しばらく口を大きく開けたり、熱いものを食べるのに不便を感じました。
・ これも常識ですが、空港でビザを取得したら内容を確かめること。私の場合、係官が日付を間違え、出国時に有効期限が切れている、という事態となってしまいました(どうにか釈明できた)。また、チリソースは、機内持ち込みできない「危険物」とみなされ、没収されるので注意。(これもどうにか見逃してもらったが)。
・ ホテル Marshangdi はタメルの中心から少し離れ、静かで、従業員の対応も前評判通り大変よかったです。(私的には、外国人がはめをはずしているタメルのあの喧燥は好きになれません。)ただ、浴槽にお湯を溜めて、日本的なお風呂を楽しむにはボイラーの能力が不足のようです。(余談ですが、今回一番お湯に不自由しなかったのは、キャンジンのロッジのシャワー。強烈な太陽の恩恵か(ロッジのシャワーはどこも太陽熱温水器)、チンチンに熱いお湯を楽しめました)。
・ ランタン谷のロッジは過当競争を避けるためか、メニューは全て共通です。その中で「チキン・ヌードルスープ」は頼まない方が無難。そうでなくてもしょっぱいチキンスープに、ララヌードルを粉末スープごと足した代物で、まっとうな感覚の3倍くらい塩が入ってます。
Mr.NT
2004.6.3


 感想文、ありがとうございます。

 何かのTV番組に外国の昔の知人を訪問するシリーズがありましたが、行ったことのないところでなく、行ったことのあるところを時間をおいて行く旅の仕方も面白い方法ですね。
 過去の想い出に、新たな想い出を刷り込み、二重の想い出を胸に、次の訪問を楽しみにする・・・。重層的な想い出が、その地を自分にとってかけがえのない地にしていく・・・。
 異邦人を受ける側にとっては、単調な毎日に、ひとつのエピソードを残す。
 今回の場合、娘さんにとっては、突然降って湧いたような一枚の写真が、過去の自分に連れ戻し、過去の記憶を呼び覚ます・・・。大変重い写真となったようですね。
 ところで、次回につながるような写真は今回は撮らなかったのでしょうか?
 39歳の旅。いうなれば、青春時代の最後として、これはこれで完結するのが、キレイなセンチメンタルメモリー・・ということにしておきましょう。

 いい旅でしたね。
 短い日程に行程もぎっしり盛り込んだ大変濃い旅となったと思います。
 こういう旅は団体ではできませんね。
 
HSA.JAPAN 森崎