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 声2004年

5日間の休みで大満足のネパール再訪

ナガルコット・トレック
2004/09/29〜10/02
女性単独


5日間の休みで大満足のネパール再訪
<はじめに>
  週末をつなげれば5連休がある!この事実に気づいたのは休みのわずか3週間前のこと。その週末私は、「どうせ休みがあったって大したことはできないし・・・」と腐っていた。「行きたいところがあったら行ったら?」「5日あればネパールも行けるのね。」「行っといでよ。」という連れ合いの不用意な(思いやり深い?)ひとことで、一気にネパール一人旅が決まってしまった。なにしろ出発16日前からチケットとガイドの手配を平行して進めるわけで、子どもを置いて留守にしていいのだろうかなどと迷うまもなく、何だか勢いで出発日がやってきた。
というわけで以下が嵐のように実現した私の「5日間の休暇」の日程。ネパールに「入国」していた時間は72時間未満。ヴィザさえ無料になってしまう短期間の滞在だった。
9月29日 日付が変わってから関西空港発→バンコク乗換えで昼過ぎにカトマンズ着 カトマンズ観光 (カトマンズ泊)
9月30日 車でナラへ移動。ナガルコットまでトレッキング (ナガルコット泊)
10月1日 ナガルコットからバクタプルまでトレッキング。バクタプル観光 (カトマンズ泊)
10月2日 カトマンズ観光(2時間)。昼の便でバンコクへ。(バンコク泊)
10月3日 関西空港帰着。

<心のスイッチが切り替わった・・・ネパール初日>
  チベット仏教の聖地ボドナートを案内してくれたのはソナムさん。自分たちシェルパの信仰する宗教だと教えてくれ、ゆっくりゆっくり歩いた。ストゥーパ(仏塔)の基部にあがってぼんやり風に吹かれてから、近くのゴンパ(僧院)へ。ボドナートの周りの人ごみが嘘のように、ゴンパの中は静寂に包まれていた。靴を脱いで本堂に入ると正面に仏像、壁には一面に曼荼羅。高い天井に届くまで描かれた曼荼羅には圧倒され、自分がとても小さくなったようだった。二つ目のゴンパはちょうど夕べの勤行の真っ最中。信仰のない者がそこにいることが申し訳ないように思いつつ、どこか惹かれるものがあってしばらく立ちつくしていた。再びボドナートに戻り、ストゥーパの周りを作法どおり時計回りに歩く。ここも夕べの祈りの時間。歩くたびにマニ車を回す人が増えていき、大きな流れにのみこまれたようだった。
  無心にストゥーパを回っている間に、曼荼羅の前に立つ間に、私が引きずっていた日本のかけらが洗い流されたようだった。ソナムさんと過ごした「祈りのひとときが」、ネパールに対する心の目を開かせてくれたといったら大げさだろうか。でも、山が全く見えない今回の旅に満足できたのも、雨の中で山以外のたくさんのものを見て感じることができたのも、この初日のひとときがあったからこそだという気がしている。ソナムさん、かけがえのない初日を過ごさせてくれてありがとう!

<期待を持ってナガルコットへ・・・トレッキング初日>
  7時にホテルでプルバ社長と待ち合わせ。プルバさんの車でナラへ。途中でガイドのラクパくんを拾っていく。ドゥリケルに続く幹線道路からはずれ、ナラへのわき道に入ると、とんでもないででこぼこ道で舌をかみそう!「歩く方が楽だ(スピードの点でもどっちが速いか疑わしい)」と思いながらしばらく耐えて、ようやくナラに到着。待ちに待ったトレッキング開始。ナガルコットには4時ごろ到着の予定とのこと。お天気はどうなるのだろうか。
この日の天気は曇り空。ガイドのラクパくんは2ヶ月前に日本語を習い始めたばかりの22歳。まずは畑の中のあぜ道を歩き、すぐに急な上り坂となった。雨上がりで滑るし、ラクパくんは大きな段差も身軽に越えて行ってしまうし、3分といかないうちに「ちょっと待って。軍手を出すから」と、ところどころ手で支えながらついて行く。しばらくすると広い道に出た。「ああ、この道行くのか。ならば楽勝!」だがふと見ると、左手のがけから人が下りてくる。「えっ、こっちが人のとおる道だったのか・・・・。」7歳ぐらいの女の子が2歳ぐらいの弟をおぶってそのがけ(急坂というより、どう考えてもこちらの表現が似つかわしい)をゴムぞうりで器用に歩く。私も負けじと元気に登る。
  雲行きが怪しいとは思っていたが、案の定途中で雨が降り出した。カッパを持ってこなかった自分の甘さを後悔しつつ、傘をさしながら歩く。風はないし、両手が空いていないのを不安に感じるような道でもなく、雨が降る中比較的快適に歩いて小さな茶屋についたのが10時半。休憩していたアメリカ人トレッカーは9時にナガルコットを出たと言う。なんだ、もう半分ぐらい来たのかと思い、気が軽くなったのもつかの間。「トイレは?」と聞くと、「そこいらの気が向いたところで。」とのこと。そんなことを言われても、雨は降っているし、目の前のアメリカの兄ちゃんはすねからヒルをむしりとっている。べそをかきたくなったけれど、背に腹は代えられない。
  休憩を終えてしばらく行くと、ラクパくんが立ち止まった。私にも聞こえる。あれは実弾の音ではないかしら?「あぶないの?」「いや、訓練だから。あぶなかったら下の方によけるから。」というやり取りがあったと思うが、何しろそこは英語なので私の理解も心もとない。とにかく「ラクパくんが進むんだから私もついていくしかない。」と歩き続ける。程なく武器を持った兵士たちとすれ違った。武器だけでなく、鍋やポリタンや椅子を運んでいた人もいたようだが、迷彩服に免疫のない私はすれ違うだけで緊張してしまった。
  雨が上がり、薄日が差した向こうの丘に建物が見える。あれがナガルコットだという。がぜん元気が出てスピードアップ。10年前にネパールで習った「レッサンフィリリ」を2人で歌いながら、ナガルコットについたのは11時半だった。(あれ?4時という話だったが・・・。私の年齢を見てコースタイムに余裕を見てくれたのね。)ナガルコットの茶屋でラクパくんがザックからお弁当を取り出した。プルバ社長のお母様が今朝作ってくださったとのこと。ナン風のパン、揚げジャガイモのカレー風味、水菜(だと思う)のおひたしスパイス風味、ゆで卵、蜂蜜、マンゴーネクター、りんご。思いがけない御馳走にびっくり。どれもとてもおいしくてしっかりお代わりしたのだが、それでも余ってしまった。ラクパくんに「お弁当」と「もったいない」という語彙をしっかり教える。
  ロッジに入ったら午後いっぱい昼寝。雨が心配で、むきになって歩きすぎたかな。夕食を食べながらラクパくんとずいぶん話をした。「日本語の歌を2つ知っています。四季の歌と、少しは私に愛を下さい。」これはまたずいぶん古くてマイナーな歌を、と思い、「あした、別の歌を教えます。」と約束。そろそろ寝ようかと思うころ、雲の合い間から月が出てきた。満月から2日たった月。「日本では月にウサギがいると言うんだよ。」「ネパールでは、昔木に登った子どもが、月に連れて行ってと頼んで連れて行ってもらったので、木と子どもがいます。」そんな話をしながら、明日の天気に望みをかけて「おやすみなさい。」日の出は5時40分。ただし起き上がる必要はなく、ベッドから日の出と朝日に輝くヒマラヤが一望できるとのことだったのだが・・・・。

<雨ニモマケズ・・・・トレッキング2日目>
  まだ日本時間が体に残っていて、4時には目が覚めてしまった。「暗いなあ。でも、日の出までまだ間があるもんなあ。」そんなことを繰り返し思っているうちにいつのまにか5時40分を過ぎていた。外は真っ白。一面の霧で庭の芝生さえ見えない。まいったなあと思っていると、しっかり雨まで降り出した。今日は出発から雨だ。
  朝の集落を抜ける。水場でみんな思い思いに身づくろいをしている。なんとなくいい光景。でも、じろじろ見るのは失礼だと思い、スピードは落とさず、視線だけは目いっぱい左右に配る。やがて集落を抜けて、道は山を下っていく。雨は降るし、霧で何も見えないし、足元はぬかるむし、ところによっては小川状のところを歩くし、おいおい、これを一跨ぎ?「ヨイショ」思わず声が出る。「どういう意味ですか?」「パワーを出す時の掛け声」。かくしてラクパくんの語彙はまた一つ増え、私が「ヨイショ」というと、大丈夫か後ろを振り向いてくれるようになった。
約束どおりラクパくんに歌を教えることにした。曲目は「さんぽ」。「歩くのだいすき、どんどん行こう」このシチュエイションにこれほどふさわしい歌があるだろうか。ラクパくんは朝食の時に渡した歌詞カード(!)を熱心に見ていただけあって、結構がんばって一緒に歌っている。メロディーが怪しいのは、何しろ私がお手本だからいたしかたない。「シムシムメ、パニーマ」は雨がしとしと降っているという歌なんだよと教えてもらいながら歩くうちに、すっかり本降りになってしまった。これはしとしととは呼べないなあ。別の歌を歌ってとリクエストすると、ジョムソンバザールでは12時過ぎから風が吹く、という意味のポップスを歌ってくれた。繰り返しの部分は一緒に歌って、雨の音に負けないようにくっついて、ほとんど相合傘状態。ラクパくんのポンチョが腕に当たって少々冷たいが、楽しいから、まあいいか。
  10時に茶屋に入ると、ラクパくんは「雨が降っているからバスで行こう」と切り出した。私はといえば、雨がうれしいわけではないが、途中で何度か追い越していったあの超満員のバスにこの先で乗り込むことを考えると、それも怖気づいてしまう。「ここはどこ?あと何キロメートル?」どうやら半分近くは来ているらしい。「全体が20キロで今12キロ。」それって歩いたのが?残りが?今ひとつよく分からないが、(ラクパくんの言ったことと茶店のおじさんが言ったこと、地図で現在地を示してもらって判断したことと一致しない)、まあ2時間しっかり歩けば着くだろう。というわけでラクパくんに「歩く!」と伝える。(少し意外そうな顔をしていた。)
  舗装されたバス道路を雨の中歩く。ところどころ間道を近道するのだが、狭くて急で足場が悪くて、「ここで転んだら悲惨だな」と傘を持つ手に思わず力が入る。なんだか半分やけになってひたすら歩いたが、歩いてみてよかった。高度が下がり、町に近づくと確実に景色が変わってくる。土砂降りの雨の中干しっぱなしの洗濯物。(トウモロコシも干しっぱなし。カビないのだろうか?)日本でもおなじみのオシロイバナやコスモス。柿の木。いろいろなものを見ながらふと気がつくと雑踏の中にいた。バクタプルだ。到着は11時半。思ったより早かった。
  バクタプルの観光は・・・とにかくおもしろかった。目に入るもの一つ一つ、思わず立ち止まってしまう。ラクパくんは、急に私がほとんど進まなくなってしまったのでとまどっている。「ちょっとまって」を連発しつつ、じっくり見て質問攻め。でもどうやらラクパくんもバクタプルは不案内な様子。「これ(この像、この模様)はどういう意味?」と聞いても分からず、結局「いいよ、日本に帰ってから調べてみるね。」ということになった。以前ヒンドゥー教徒のお客さんを鎌倉に案内して、仏教的な質問に全く答えられず立ち往生したことを思い出す。ラクパくんは後半、あまりのペースの遅さに暇を持て余しぎみだったが、歴史、しかも宗教史が専門の人間の興味に付き合いきれないのも無理はない。ラクパくん、よくがんばったね。
  「へびは神様の乗り物でガードマン」と初日にソナムさんが教えてくれていたが、気をつけてみるととにかくへびが多い。建物の門や壁の装飾も、縄模様かと思って端っこまでたどるとへびの頭がある。しかもそれが一つ頭とは限らない。顔もほっそりした優しいのと、えらが張ったコブラ型のがあって、コブラ型のは口を開けていることが多い。・・・と、これは「楽しい観察」のほんの一例。とにかく建物全体のバランスを見て、そこにある装飾を見渡して、模様の一つ一つをぐっと近づいて見て、そのうえ行き交う人にも興味は尽きないし、3時に切り上げたのは疲れたせい。心はもっと居たかった!
  
<カトマンズの別の顔・・・最終日>
  出発日の観光は2時間だけ。どこか地元の人が行く静かなお寺をとラクパくんにリクエストすると、ひっそりとした境内に連れて行ってくれた。外は大通り、車も人も行きかっているのだが、一歩入ると外の喧騒が嘘のよう。ヒンドゥー教のお堂(三重の塔)が三つ、石の小さい祠が複数、御神木。朝のお参りに来た人たちが、靴を脱いで三つのお堂に順番に入り、祠には頭だけを押し込むようにして祈っていく。
  その次に連れて行ってもらったのは御本尊はヒンドゥー教、建物の回廊はチベット仏教というお寺。額に朱をつけてサリーを着た女性が御本尊に手を合わせ(お寺で朱をつけるために、ヒンドゥー教のお寺には鏡が寄進してあることが多いそうだ)、お堂の周りの回廊部分にはマニ車があってチベット仏教の信者が回しながら歩いている。お寺の外も二重構造。お寺が建っている広場の周囲には店が並んでいて、トウモロコシや豆、干し魚を売っている。一方お寺の周りに座っている人の前にある米は売り物ではなく、もらいもの。サリーのたもと(?)から米をつかみ出した女性が御本尊に一掴み投げ入れ、寺の外に出ると一人一人の前にある敷物に、ジャラっと米を振り入れながら一周。なんだか不思議な光景だった。
  お土産を買うためのわずか2時間までガイドを頼んだのは私が気が弱いせいだが、ラクパくんがいてくれたおかげで自分ひとりでは通り過ぎてしまっただろう不思議な一角に足を踏み入れることができた。朝のほんのひとときだったけれど、大満足。
  空港へはプルバ社長が送ってくれた。別れにあたって白い布を首にかけてくれて「こんなに短い間でもネパールを好きで来てくれてありがとう」と言ってくれた。来てよかった。山は見えなかったけど、雨には降られたけど、私なりに「今このときのネパール」を満喫したと思った。

ここまで読んでくださったあなたへ。
5日間しか休みがないのにネパールへ。もったいないと思いますか?でも、5日間でもこんなにいろいろできるのに、行かないのはもっともったいなくはありませんか?

  
 Ms.NS さん、2004.10.19


感想文、ありがとうございます。
旅は、いきなり異次元空間に連れていき、まさに、<心のスイッチが切り替わ>らされる体験ですね。
日常の連続におけるひとときの時間を切り取って体験する非日常トリップ。現在も心の中で引きずっておられることでしょう。
これは、単調な毎日に大きなアクセントとなって元気を与えてくれるものと思います。たったの4日間の旅であったればこそ、また印象も格別で、また充実していたのではないでしょうか?
お手伝いさせて頂いて良かったです。
お忙しい中のレポート、ありがとうございました。
HSA.JAPAN 森崎