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→ 声2006年

無風快晴エベレストのご褒美

 カラパタール・トレッキング 男性単独
2006.4.11〜27 
 
 
カラパタールトレッキング28日に無事帰国しました。
雑ぱくに感想を報告させていただきます。

トランジットステイのバンコクで、テレビでBBCニュースでカドマンズ市内の騒々しい様子を知りました。”外出禁止令”Curfew!(以後よく耳にする言葉になるので覚えておいたほうがいいと思います。)ホテルのパソコンでHSAのHPをみても出国前のままで、ネパール大使館のHPで初めて旅行者へ警告が促されていました。この時点でキャンセルを考えました。楽しみに行くのであって、騒動の中にはいって余計なリスクを負う気にはなれなかったからです。森崎さんに2回確認の電話をしましたが不在でした。ネパール大使館は留守電でした。航空チケットを手配した会社の電話サービスが一番親切に対応してくれ、タイ航空は正常に運航していることのこと。ネパールのHSAへの電話は2回目にようやく通じて心配しなくていい、待ってるからから来いといいます。不安を拭えないままとにかく行くことにしました。結局電話代と宿泊代が同じくらいになってました。

4月11日、飛行機はスケジュールどうりに飛んで、カドマンズに着きました。スタッフの方が待っていてくれてタクシーでホテルに向かいました。完全武装の兵士と警官が街角に立っていて、通過するたびにチェックを受ける物々しい雰囲気です。人気はありません。夕方から外出禁止令は解除されたのですが、閑散とした町を見物する気にはなりません。食事はホテルのレストランで済ませました。



12日、朝5時15分にホテルを出て再び空港に向かいました。ここでガイドのタジさん(Mr Tashi Sherpa)を紹介されます。ルクラ行きのターミナルにはトレッカーで溢れかえっており、ようやく緊張が解けました。ルクラに着くと僕はポーターがつくと思っていましたが、タジさんが自分の荷物を僕のザックに入れてまとめてしまい、以後ずっと彼がザックを背負っていてくれました。最初、大丈夫かいなと思ってましたが、そんな当方の心配は見事に吹っ飛びます。僕は改めてシェルパの人々の山岳地における強靭な身体能力に感服してしまいました。彼は水を含めて20KG近い荷物を背負っても空荷の僕がついていけないくらいのスピードで歩いていきます。日本の山ではまず見たことはありません。二人ということもあって、僕らの機動力はかなりのもので、たいていは昼前に目的地に着いてました。もちろんお茶、昼食休憩もしっかりとってます。

15日、高所順応のため2日滞在予定だったTengbocheには調子がよかったため1日早く次のDingbocheに向かいました。ここで2日滞在し、3日目には雪になりました。どちらがいうともなく、僕らは停滞を決めます。同宿していたカナダ、イギリス人グループは雪の中、登っていきましたが、雪は降り続き、翌日も行動を見合わせました。この判断が結果的に吉とでます。

20日に天気は回復し、土ぼこり舞う道は一転、雪道に変わってます。積雪30〜40CMといったところでしょうか、心配していたトレースは問題なくついていて、順調に高度を上げていきました。Lobcheは案の定、雪で足止めを食った人たちでごった返していて、居心地が悪そうだったので、僕らは一気にGorakshepまでつめてしまいます。4日間のDingboche滞在で高所順応が十分に出来ていたのと、翌日調子がよければカラパタールのあとベースキャンプもいってみようと思っていたからです。



21日、朝6時におきて7時ごろからカラパタールを登り始めました。高所での登攀の苦しさを始めて味わいました。タジさんが時々、水を差し出してくれます。2時間ほどで無事到達。無風、快晴状態でエベレストをはじめすべての山々がまるで今までのご褒美といった感じでその絶景を目前にあらわしてくれました。存分満喫したあと下山。日本人のグループの方々とも行き会いました。ロッジについてベースキャンプに行こうかどうか考えていたら、前日3人のシェルパの方がベースキャンプと第2キャンプの間で転落死したとの情報が入り、そんな状況の中に行くのがためらわれたのと、高度障害の頭痛が治まらなかったので下山を判断しました。昼ちょっと過ぎにGorakshepを出発。Pericheには4時半ごろ着きました。高度を下げたので体調は回復し、その日は熟睡できました。 

22日はいままで来た道の谷をはさんで反対のルートを行きます。登山道らしいアップダウンを経てPhangboche〜Khumjuigまでの長い行程でした。鷲、鹿など見かけます。Phericheから来たというとたいていの茶屋の人は驚いていました。それにしてもタジさんのスピードたるや速い速い。しかも昼にドブロクを一杯ひっかけながらの身です。ロッジの客は僕らだけで、ガランとしていました。 

23日は朝エベレストビューホテルまで登ってお茶を飲みました。エベレストは雲に隠れて見えませんでしたが、まあ話の種に程度のものです。その日はNamcheまでで、ホテルではなく、食堂というかMOMOという餃子そっくりの料理を出してくれる店でそこの家族の方と一緒に寝させていただきました。客人扱いしていただいてよかったです。 

24日はPhakdingの行くときと同じロッジに泊まりました。シャワーを久しぶりに使用。 25日ルクラに 到着。政治情勢も収拾に向かい、市内に活気が戻ったことをテレビが報じていました。実は僕らがトレッキングの間、空港は国内線がストップするなどかなり混迷していたそうです。チケットを確認し、あとはカドマンズに戻るだけとなりました。 

26日はなぜかまだ寝ているときに起こされ、飛行機が来るから早く支度しましょうとタジさんがあわただしくいいます。朝食をとる間もなく、空港に行って、昼前にはカドマンズに戻りました。HSA利用の日本人男性の方と一緒になりましたが、事情がよくわからないのでお互い苦笑いです。町は来たときとはうって変わって人と車でにぎわい溢れていました。もっとも雨になったので結局タメール界隈を少し歩いただけで市内見物はおわってしまいました。 

27日空港への途中、HSAのオフィスに寄ってプルパ社長にお茶をいただきながら旅の感想など雑談。お土産をいただいて、無事、帰路に着くことができました。(飛行機は2時間遅れましたが)

以上が今回の僕の行程です。気づいたことを以下に挙げてみます。今後渡航を検討のかたの参考になればと思います。

○タジさんとのコミュニケーションはなんら問題ありませんでしたし、誠実な対応やその強靭な身体能力には感服しました。今回の旅程が成功した最大の功労者は彼です。

○出合ったトレッカーは僕がわかる範囲ではアメリカ、イギリス、カナダ、スエーデン、スイス、ドイツ、アイスランド、オーストラリア、マレーシア、韓国、日本、インドとバラエティに富んでいました。特にイギリスは学校が休みみたいで10代の子供たちまでががんばって登っていました。ヨーロッパ人が主流らしく、タジさんもドイツ人のガイドが多いといっていました。



○食事は可も無く不可もないといったところです。麺類はいったん茹で上げておくのでどうしても柔らかくなりすぎです。ヤクステーキも食べてみました。タジさんいわく料理する人の腕次第らしい。お米からつくるお酒は僕がいける口とわかってから毎晩お誘いがかかってきました。これも家々によって味や強さが違います。日本酒そっくりの味のところもありました。冷でも燗でもイケマス。

○ラジオは携行したほうがよかった。たとえ英語やネパール語がわからなくてもガイドに何をいっているか聞くことが出来ます。

○高所という点を除けば道は特に危険かつ難しいといったものではありません。土ぼこりが舞うので防塵対策はしたほうがいいと思います。

○今回のように急な天気の変更に対応できる装備、特に防水性のある靴と、ジャケット、冬山用のシェラフは旅を快適に出来ると思います。

○自分が出したゴミは使用済みのトイレットペーパー以外は日本に持ち帰りました。ペットボトル飲料は一切買いませんでした。水はお湯をもらうか、浄水器を使用しました。体調崩すことはありませんでした。昨今の環境への配慮法などはガイドブックのロンリープラネットを参考にしました。あと、道の修復や、火事で消失してしまった家への寄付をタジさんを通じてささやかながらさせていただきました。

○ネパール国内の政情不安は本当に残念です。ただ、行くなら秋口がベストです。みんなお祭りの準備に関心がイッパイで、政治的な揉め事はまずないそうです。たいてい何かおこるのは今の時期(他にやることがないから?)だそうです。日本の行楽シーズンとづれてしまっているのがいささか残念ですねという話をスタッフの人としました。

○少し旅なれていて、ある程度は自己責任と判断で行動したいとお考えの方にHSAは最適かと思います。

 

Mr.SM
2006.4.30

  
 
レポート、ありがとうございます。
またすばらしい写真、ありがとうございます。
ナイス景観で、きっと満足されたことと存じます。
距離を稼ぐ時は稼ぎ、停滞もしっかりして、順応がうまくいったようです。

今回は、ネパールに向われる時は問題なかったですが、4月の末に、急展開、国王が市民のデモに恐れをなして、慌ててTVで深夜に権利の議会への委譲を宣言して、騒動は、以前の民主化の際とは比べ、たいした混乱もなく終息しました。
国王が退いても、議会の腐敗で、まだまだ真の民主化まで遠い道のりが予測されます。

お出かけの際に、当方が留守にしていて失礼致しました。

ガイドはどんどん歩いていったようですが、このお客さんは行けそうだ、と横目で見ながら、ある程度のペース配分はしていることと存じます。
ポーターは、ガイドの判断で、付かない場合もございます。

今後の方へのアドバイスもありがとうございました。
またのご利用お待ち申し上げます。
  
                                             
HSA.JAPAN 森崎