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◆静謐なヒマラヤ・「コンデ山群」トレッキング  大塚忠彦

 
(コンデ・ホテルの屋根越しにサガルマータ(左)とローツェ)        (同残照) 
 ※写真は他に文中にもあります

 狭い岩山の山頂は、風雨に色褪せたタルチョ(ラマ教の旗)が風に翻っているだけで他には何も無い殺風景な所であった。時折ヒューと強風が舞う以外は物音ひとつせず、何か異次元の空間に落ち込んだような錯覚を覚えた。ここはコンデ山群の前衛峰、標高4800mのコンデ・シェルパ・ピークの、人がやっと2人だけ座れるような荒れた山頂である。
 しかし、その殺風景の代わりに神は雄大な眺望を与えてくれた。遮る物も無い天空から北東に目をやると、遥かヒマラヤの連嶺が屏風のように連なっていた。左手最奥チョー・オユーからギャチュン・カン、プモ・リ、サガルマータ(エヴェレスト)、ローツェへと?がるネパール・チベット国境の障壁の山巓である。
その遥か東端には、普通は隠れていて見えないマカルーも真っ白な鋭いピラミッドを天空に突き上げていた。そして手前には、特異な蛸坊主のアマダブラム、秀麗なヒマラヤ襞を纏った貴婦人のタマセルクとカンテガ、どっしりと大きな山容のタボチェやチョラツェなど前衛の山々が大きく見えるのであった。
 初めてヒマラヤに接した時、それまで世界最高所のホテルであったエヴェレスト・ビュー・ホテルの前庭から眺めたサガルマータやローツェの大パノラマには度肝を抜かれたものだったが、ここから見えるパノラマはそれに数等優るもので、一度にジャイアンツの両翼まで見渡せる山なみの拡がりをいつまでもボーと飽きずに眺めていた。足元をネズミくらいの小動物が跳ねて行った物音で我に返った。山頂にはただ冷たい風が吹いているだけだった。

 旧知のネパールのエージェントが新しくホテルを開業したので来ないかと誘いを受けた。
エヴェレスト・ビュー・ホテルより300m高所の、ナムチェバザールのボーテコシ川対岸の丘陵に位置する標高4200mのホテル(コンデ・ホテル)である。ナムチェからもその赤い屋根が点のように小さく見える。トレッキング・ルートも彼が新しく開発したもので、登山基地ルクラから出発してナムチェ、ターメ経由でそのホテルまで登り、下山は別なルートで同じルクラに戻って来る回遊コースで、彼はコンデ・サーキットと名付けていた。サーキットと言えば、1ケ月間を要するアンナプルナ・サーキットが有名であるが、彼も小型ながらその顰(ひそみ)に倣ったのかもしれない。

 エヴェレスト街道周辺のトレッキングコースは、カラパタールやゴーキョなどに代表されるピストン・コースが多いが、往復別々なルートを辿れるのも興味深い。それにヒマラヤ・ジャイアンツの眺望がエヴェレスト・ビュー・ホテルより素晴らしいとくれば、これはもう行って見ない手はないではないか。
シリウスの面々にも声を掛けてみたが、皆さん曰く「もうヒマラヤは飽きたよ」。幸い、リタイアしてから山を始めた大学時代からの友人を誘ってみたら飛びついてきたので、トレッキング終了後に引き続き単独で予定していたキャゾ・リ峰登攀のための高度順応も兼ねて2人で弥次喜多道中に出掛けた次第である。

 このトレッキングは、ルクラ〜パクディン〜ナムチェ〜ターメ〜コンデ〜パクディン〜ルクラと周遊する10日間程(日本起点で勘定すると約2週間)のコースで、途中の泊りは全てロッジではなくホテルであるから、シュラフなどの荷物は不要で荷は軽い。そのため、今回はガイドやポーターは予約しなかった。ホテルはそれぞれの集落の最高級ホテル、食事も毎夜ステーキなどだったから結構なモノだった(その分経費がかなり高くついて、帰国してからは火の車に乗っている)。
 
 日本出発の1週間前に、カトマンズから登山基地・ルクラ空港行の国内線が着陸に失敗して炎上、乗員・乗客18名が死亡したとのニュースが流れた。これはエライことになったなア〜、事故機は我々が乗る予定の航空会社であるから、カトマンズ到着早々ルクラ便のエアラインを変えてもらわなければならないと気を揉みながら出国した。航空機事故は続けて起こるというジンクスがあるではないか。
それに加えて私は大の飛行機嫌いである。大型ジェット旅客機でも、離陸してから着陸するまでシートベルトを股に食い込ませるぐらいギューギューに締め付け通しで、両腕でアームレストを抱き抱えて直立不動の姿勢で身動きもできないくらい緊張するのである。エアラインを変更してくれるように、カトマンズに着いて直ぐにエージェントに頼んでみたのだが、彼は「アア、No problem.事故ガ起キル場合ハ、何処ノ航空会社デモ一緒ダヨ。ソレニ、ルクラ便ハ何時モ満席ダカラネ」と気にとめる様子もない。

 ルクラ便は20人乗りのオンボロ小型プロペラ機で、しかも狭い谷間を飛行するので随分揺れる。
今までもそうであったが、今回は事故があった直後だから余計に緊張して全く生きた心地がしなかった。掌が冷や汗でグチャグチャになり、心ノ臓も動悸が高まって止まりそうになってきた。ここで墜
落するのも「お迎え」の一種かと観念の眼を閉じてジーと俯いているうちにいつの間にか眠ってしまったようだ。昨夜のエヴェレスト・ビールが効き過ぎたのかも。私の心配をよそに機はスムーズに着陸して停止した。

 ちょっと横道に逸れた。ルクラからナムチェ・バザールまでは、歩かれた方も多いと思うので割愛させて頂いて、ナムチェからターメ以遠への様子を紹介したい。ナムチェに泊ったトレッカーの殆どがゴーキョ方面やタンボチェ・カラパタール方面に向うので、ここからターメ方面に向う人は少ない。途中で会ったトレッカーはドイツ人3人だけで、他は地元の住民かチベットからのヤク連れの商人、僧侶達だけであった。ナムチェの上の急峻な丘を越えると道はボーテコシ川に沿った緩やかな道となる。ヒマラヤ特有の埃っぽい砂道もあるが、途中には樹林帯の落ち着いたプロムナードもあって心が和んだ。  丁度上高地から横尾までのような按配。ただ、ナムチェ〜ターメ間は谷沿いの道だから山の眺めは良くない。僅かにパルチャモの頭が見える程度である。この道はチベットとネパールの交易路になっていて交易品を背負わされたヤクが行列をなしていた。この交易品はナムチェのチベタン・マーケット(ナムチェの広場で年中開かれている)まで運ばれ、ネパールやインドに売られる。主に中国製の衣料品、日用品、履物、オモチャ、食品など。値段は日本の1/10〜1/20くらいであろうか。チベットからのヤクの商隊は1週間ほど野宿しながらナムチェまで来るのだそうだ。

 ヤクの行列と出会う度に道端に避けねばならないので歩が進まない。ターメまでは予定時間の倍くらい掛かった。それにいくら荷が軽いとは言え、10日分の荷物は結構重い。途中でヤクの通過待ちと称してビールを飲んだりしながらダラダラ・ジュルジュルと歩いて行った。ターメの手前でボーテコシ川を渡り、急斜面を巻き上げた上のモレーン末端にターメの集落(と言っても4軒くらいのロッジがあるだけ)があるのだが、この急坂でヘバッてしまって座り込んだら立ち上がれなくなって暫く蹲っていたら、上から誰か人が降りて来るのが見えた。
  我々が来ることを知らされていた旧知のガイド、パサン・シェルパが、余りに到着が遅いと迎えに来てくれたのであった。ああ、助かった。彼は我々2人のザックを背負ってくれた。彼はドイツのトレッカーをコンデに案内するためにターメに来ていたのである。

 この旅では、道々旧知のガイドやコックやポーター達に偶々遇うことが出来て懐かしかった。彼等はちゃんと「ご主人」の顔と名前を覚えてくれていて、向こうから声を掛けてくれた。私はトレッキングや登山自体にもまして、現地の人々との交流に足を突っ込みたい口であるから、このような彼らのホスピタリティーには涙が出てくるのである(マ、老人になって単に涙腺のゴムが緩んできただけのことかも知れないが・・・)。

 ターメではイエティー・マウンティン・ハウスというホテルに泊った。件のルクラで墜落事故を起こしたエアラインが経営するリゾートホテルである。広いダイニングルームは客も少なく少し寒かったが、ビールを飲みながらビーフ・シツラー(垂らされたラム酒がパッと炎を上げながらサービスされるワンプレート肉料理)を喰った。ビーフは確かにビーフではあったが硬くて、どうやらヤクかバッファローがお役目を終えてからの老肉らしい。夜、庭に出てみると、漆喰のボーテコシ谷の向こうにタマセルクとカンテガの秀麗な峰々が月明かりに白々と輝いていた。

 
     (ターメからタマセルク峰望遠)           (月光に輝くタマセルク峰、ターメより)

 ターメからコンデ迄はいよいよこのトレックの核心部である。ターメのモレーンを300mほど下ってボーテコシ川の河床に下ると小さな集落があった。ナムチェからターメ迄の道(ボーテコシ左岸)は処々に集落がある大街道であるが、この右岸はここが最後の集落でここからはコンデ山群の山腹を巻いて行く深い山道に分け入ることになる。山道と言っても、ヤクや獣の踏み跡程度の獣道でアップダウンが激しく、岩場の通過もあって気が抜けない。サルオガセなどが垂れ下がったヒマラヤ松(?)や白樺の巨樹が鬱蒼と茂った樹林帯もあって、なかなかバラエティーに富んだルートであった。
  目を上げればボーテコシ川の対岸にはいつもタマセルク・カンテガ峰やクスムカングル峰のヒマラヤ襞が陽光に輝いていた。このルートは新たに開発されたもので訪れるトレッカーは未だ少なく、今回も道中誰にも会わなかった。エヴェレスト街道周辺のトレッキングコースが蟻の行列なのに比べて、全く静謐な山中であった。

 ルートはやがてボーテコシの支流、サルテマ・コーラの懸崖を大きく迂回する道となった。標高3900m辺りのドンズマリの岩場でこの谷を渡るのであるが、残雪が凍っていて肝を冷やした。足下は断崖絶壁。
堕ちれば体が木っ端微塵になること必定。このトレッキングには雪はないという前提で来たので、靴はズックに毛が生えた程度のシロモノ、勿論アイゼンなどは持って来ていない。うまい具合に、道の改修に来ていたコンデ・ホテルのスタッフが引っ張り上げてくれた。彼等はゴム草履であるが、氷の上でも平気の平左であった。流石地元民は違うなア〜。

 ここからは、再びコンデ山群の広大な山腹を巻いて行くのだが、陽も落ちて寒くなってくるし空気も薄くなってくるし道のりも結構長いので、再びバテの助三五郎と相成り、ホテルのスタッフにザックを担いで貰った。彼等は「ほれ、あそこにホテルの赤い屋根が見えるだろう、もうすぐだヨ」というのだが、これが歩けど歩けど近づかないのだ。やっとの思いでコンデ・ホテルに着いた。ホテルの社長(旧知のエージェント社長の奥さん)とスタッフが出迎えてくれて、暖かいチャイを持って来てくれた。玄関の椅子に足を放り出して草臥れていると、靴も脱がせてくれた。序にナニの面倒までは見てくれなかったが・・。
 玄関のドアの両端にはカトマンズからヘリで空輸した南国の花が水盆に浮かべてあった。心憎い気配りである。(マ、自慢ではないが、小生はこのエージェントの常連であり日本ではこのエージェントのクチコミ宣伝もしているからして、社長曰く“special customer”なのだそうだ)。

 
(コンデ・シェルパ・ピークからタマセルク、     (コンデ・ホテル前から左ヌプラ、右コンデ・リ峰。
クスムカングル峰。中央下の台地に小さく        左右は社長夫婦)   
   見える赤い屋根がコンデ・ホテル)     

 早速、ストーブが赫々と燃えるダイニングホールに入って、取り敢えずはビールで乾杯。ここからの眺望は冒頭に書いたとおりである。暮れなずむ窓から眺めるとサガルマータとローツェ、その前衛のアマダブラム、タマセルク、カンテガ、クスムカングルの峰々が残照に輝いていた。残照はヒマラヤ襞の陰翳を真っ赤に染めながら中腹から山頂まで一気に駆け上がってゆく。天辺(てっぺん)その一点だけが紅に染まった後は、やがて空は淡いピンク色から薄墨色に沈潜してゆき、満天の星が輝き始めた。ビール片手に至福のひと時。この天空のショーはたった5分間くらいで終った。後は漆喰の闇夜。
 
 ダイニングホールでは、標高4200mの山上の大ダンスパーティーが始まった。ホステス役は女社長である。ドイツ旅行社の社長3人をこのホテルに招待して登って来たこのエージェントの社長も接待で大童。
彼等は年間800人ほどのドイツ人トレッカーをこのエージェントに送り込んでいる大顧客である。ビールやワインがジャンジャン出てきた。チークダンスしか知らない小生は専らアルコールの消費に専念したものだ。
 このホテルは、コンデ山群の盟主コンデ・リ峰(「悪魔の山」の意、6186m)とヌプラ峰(5878m)を背負った山腹の中段に建っている。これらの峰々は氷に覆われた岩山で太陽を受けてテラテラと光っていた。
ここに3日間滞在して、コンデ山群の前衛峰パラック・ピークとシェルパ・ピーク(いずれも4800m程度)を往復してきた。それぞれホテルから往復5時間程度のコブであったが結構キツイ登りで、道も無いのでゴロタ石を避けながら適当に斜面を選んで登って行ったが、荒れた急傾斜地に生えた短い草本は結構滑 った。

 
(シェルパ・ピークからサガルマータ、ローツェ、         (ホテルでのダンスパーティー)
 アマダブラム、タマセルク(左より))

 ホテルからの下山は、タマセルクやカンテガやクスムカングルを始終左手に見ながらののびやかな雲上の散歩となった。途中断崖絶壁を巻く所もあってバラエティーに富んでいる。ドゥドウコシ川の谷間にはモンジョやパクディンやルクラの村々が遥か下方に望める雄大な眺めの道でもあった。もう下る一方だし、時間もたっぷりあるので、ゆっくりと最後の眺望を楽しみながら麓のパクディンのホテルに旅装を解いて10日間のトレッキングに終止符を打ったのであった。

(ご参考までに)

 このコンデ・トレッキングは、カトマンズのエージェント“Himalayan Sherpa Adventure” しか行っていない。
興味がある方は、下記にアクセスしてみて下さい。
【カトマンズ本社】ホームページ(英語)
【Japan Office森崎さん】ホームページ(日本語)、メールjapan@himalayanist.com