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◆ヒマラヤ キャゾ・リ峰(6186m)登攀敗退記  大塚忠彦

 
  (マッチェルモ集落からキャゾ・リを望む)           (今回計画した登攀ルート)

 ◎2008年10月〜11月
 ◎大塚忠彦 単独


 標高5,300mのアイスフォールに支点用のアイススクリューをねじ込んでいると、頭の中がフ〜となって一瞬意識が遠ざかり、今自分が何處にいて何をしているのか分からなくなってきた。フーフー、ハーハー言いながら先程から何回かねじ込んでいるのだが、ヒマラヤも今年は地球温暖化の影響のためか氷が薄くてスクリューの先がすぐ岩につかえてしまう。シェルパが「これはダメだ!リタイア!!」、という次第で今回も敗退となった。
 
 一昨年は赤澤、坂井、川崎の諸氏とイムジャ・ツェ峰(アイランド・ピーク)に行き、昨年は藤野、赤澤、川崎各氏とアンナプルナ北方のチュルー・セントラル峰に出かけた。前者は小生一人が高山病で敗退、後者は雪の状態が悪くC2目前で全員リタイア。数年前のアンデス・アコンカグア峰も2回失敗しているので、過去6回ほど海外登山に出掛けたものの、自慢ではないが未だ登頂の喜びを味わったことがない。
私はどちらかとうと、「結果ではなく、その過程にこそ価値あり」の口で、現地の方々と交流したり、一緒に酒を飲んだりばかりで、是が非でも登頂するという精神に欠けると言われても反論の余地が無い。

 今回は必ず登頂できる山を・・・とも思ったのだが、折角行くのだから安直な山では芸がないと身の程も弁えず、以前より登ってみたかったアマダブラム峰をターゲットにして種々研究し、登頂計画も出来上がって飛行機も予約した挙句、ちょっと待てよ、確か一昨年も昨年もこの山ではC3のテントが懸垂氷河舌端の崩壊で吹き飛ばされて、ヨーロッパからの登山隊全員が遭難死した事故があったナア〜、それに、ルートが困難なことに加えて標高も7,000mに近いので、体力トレーニングも何もしていない小生には体力的にもヤバイかと思い悩んだ末、赤澤さんに相談してみた。

 彼は本当は、小生の実力ではアマダブラムは可能性皆無、悪くすれば遭難死と確信していたのであろうが、心優しきご仁はそうは言わず「マ、アマダブラムは一杯手垢がついた山だよ。ポピュラーな山より余り知られていない山の方が値打ちがあるヨ。それに登山費用もケタが一桁違うしネ」と懐具合まで心配してくれた。持つべきは朋である。
  彼の意見を多として、早速ターゲットの変更に取り掛かった。かって何回か遠望したヒマラヤの山々を思い浮かべて、秀麗なロックピラミッドのキャゾ・リ、ヒマラヤ襞が美しいロブチェ・イースト、昨年諦めたコンデ・リ、それに昨年のチュルー遠征の帰途心に残った貴婦人の秀峰ニルギリ・ノースに的を絞って種々比較検討した結果、今回は前半のコンデ・トレックの下山路パクディンからも比較的近く、標高も6千メートルを多少越えた程度だからとキャゾ・リ峰(6,186m)を選んだ。この山は6年ほど前に新しく解禁されたばかりの山だから、未だ手垢に汚れていないし、他のポピュラーな山のように野暮なフィックス・ロープなどというシロモノも張られていない準バージン・ピークだそうで、内外のウェブを走り回って調べた結果、アメリカ人クライマーがAmerican Alpine Instituteに発表した登頂報告がたった一編見つかっただけだった。
ネパールの現地エージェントのホームページにも案内が掲載されていたが、これは全てこの登頂報告のデッド・コピーだった。その筋にも問い合わせたところ、今迄に登頂できたパーティーは世界で3パーティー程度、日本人は未踏(らしい)とのことで、これはイケル、日本人初登頂記録の樹立も夢でなしと大いに意気込んだものだったが・・・。

 この山に登頂するルートは大雑把に言って二通り考えられる。一つは西側のターメから入山する方法で雪上の縦走に始終するようだ。もう一つは東側のマッチェルモから入る方法で、こちらは岩と氷のミックス・クライミングの後、頂上直下の急峻な雪壁を登るルートとなる。どちらのルートを取るかで、凡夫の小生はミスを犯してしまった。どうせやるなら、困難な登攀の方が箔がつくだろうと、身の程も弁えず後者の困難なルートの方に固執したのだ。やはり、初登頂だの箔だのという、左様なさもしい心掛けにヒマラヤの神々が微笑む筈も無いことを後でじっくりと思い知らされる羽目と相なった次第。
 
 事前に予約しておいた現地エージェント(Himalayan Sherpa Adventure)のシェルパ2人、コック・キチンボーイ4人、ポーター4人、ヤク3頭という、クライアント1人にしては大掛かり過ぎる編成でパクディンを出発、途中モンジョ、ナムチェ、ポルツェ・テンガに泊りながら、登山基地の集落マッチェルモに到着した。
ナムチェでは、昨年、一昨年のガイドやコックにも偶然再会できて懐かしかった。

 マッチェルモは有名なゴーキョピーク・トレッキングの途中にある集落で、キャゾ・リはこの集落の奥に聳えている顕著なピラミッドであるから、雪を被ったこの岩山をトレッキングの途中でご覧になった方も多いのではなかろうか。BC迄はマッチェルモから沢沿いに2時間ほどの行程であるからルンルン気分で登って行った。夏はヤクの放牧地になっている草原で長閑なベースキャンプ地であった。目の下にはマッチェルモの集落、その向こうのドゥドウ・コシ川対岸の峩々たる稜線にはタボチェ・ピークとチョラツェ・ピークが流麗なヒマラヤ襞を纏って輝いていた。シェルパはその辺に生えているシダのような草を取ってきて焚き火を起こし、曼荼羅が刷り込んであるオボを岩に掛けてキャゾ・リの方角を見上げ、山の神に安全を祈った。

  
(ガスの中から頭だけ出したキャゾ・リ山頂)(BCからタボチェ・ピーク(右)とチョラツェ・ピーク(左)を望む)

 この頃から雲行きが怪しくなってきた。マッチェルモまでは目標キャゾ・リの全容が見えていたのだが、BCに上がってからはガスが全山を覆って、時々霧の切れ目から山頂が僅かに姿を見せる程度となった。どうも幸先が良くない塩梅。私は前世の因縁が悪く、今世でも悪行の数々を重ねてきたし、それに加えて、この山を選んだ動機も些か不純であったから、早くも山の神がオカンムリになってきたのだろうか。登路を確認しようにも全くのガスでどうにもならない。

 C1(ABC)は、氷河末端のグズグズのモレーンを登った上の猫の額に設営した。大岩がゴロゴロしていて、テント半分ほどしか張れないような狭い土地であった。この大岩は何処から落ちてきたのか?想像しているうちに背筋が寒くなってきた。C1の直ぐ真正面には懸垂氷河が掛かっていて、その舌端にはセラックが林立し今にも崩壊しそうな雰囲気。事実、しょっちゅう轟音が響いて雪煙が上がっていた。雪崩はここまでは到達しないだろうとタカを括ってはいたが、この大岩は雪崩が運んで来たものに違いあるまい。シェルパの話では、昨日偵察に登って来た時も雪崩による落石が飛んできて肝を冷やしたそうだ。その怖さを知っている彼等は一刻も早くC1を撤収してC2に登りたい様子である。無理も無い。お迎えが近い小生ならイザ知らず、彼等は未だ幼子がいる若者なのだから。

 C1から先にはコックやポーターは登れないので、C2、C3への荷揚げはシェルパと小生の3人で行わざるを得ない。偵察を兼ねて荷揚げ用のフィックス・ロープを張りに狭いゴルジュを登って行った。
この辺りは脆い岩場で、太陽が射すと岩壁の氷が緩んで落石に直撃されるので、この作業は早朝か夕方にしかできない。時々ヒューという音が空気を切り裂いて肝を冷やしたが、我々は垂壁基部にへばりついているので、落石は遥か頭上を飛んでいった。ゴルジュが終るとやがて急な雪壁が現われた。高温のためか雪がグズグズでスノーバーが充分に効かない。だましだまし登って行くと、今度はアイスフォールが現われた。
高距30mぐらいはありそうだ。狭い切り立ったゴルジュ状で巻くことはできない。ここはアンザイレンして登るしかないのだが、氷が薄くて支点用のアイススクリューがねじ込めないのだ。

  この上にはちょっとした台地状があってC2が設営できると踏んでいたのだが、ここを超えないことにはどうにもならない。C2やC3へ荷揚げしなければならない荷物が結構多いので、ここは何回か往復しなければならない場所なのである。ここに荷揚げ用のフィックス・ロープが張れない限り上に登れる可能性皆無。
神様、仏様、キリシト様!!、御名御璽。
  という次第で頂上までの標高差900mを残しての敗退となった。半年掛けてそれなりの研究と準備をし、それなりの経費を払って長い「道のり」を歩いて来たので涙がチョチョ切れて、暫くは立ち上がれなかった。残念至極。未練たらしく独りで上方を見つめていると、シェルパはサッパリしたもので、「早く降りろ、ぐずぐずしていては落石や雪崩にやられる」と急かすのであった。

 頂上まであと数十メートルに迫っての敗退なら気が狂うほど悔しいだろうが、基地集落のマッチェルモから頂上までの標高差にすればたった半分の所でのリタイアであってみれば、マア、それはそれなりと納得せずばなるまい。このルートの見せ場は、ミックスクライミングで越えたサウスウェスト・コルから裏側(西側)の斜面に廻り込んで頂上直下の急な雪壁を登攀する部分にあるが、その華麗(?)なパフォーマンスをお見せできないのが残念ではある。(その代用として、American Alpine Instituteのホームページから引用した写真を次に掲げておくのでご覧下さい)。

                 
    ( 登れていれば・・・?、頂上直下の雪壁。American Alpine Institute HPより引用)   

 あまり人が入らない山は情報も殆ど得られないから、出たとこ勝負にならざるを得ない。従って登頂できる確率も低い。ネパール山岳協会の統計によると、キャゾ・リには解禁以来20パーティーが登山許可申請をしているが、このうち登頂できたのは僅か15%である。単純計算でいけば7回通ってやっと頂上を踏めるということになるから、私のような非力なロートルがたった1回で登頂できる訳がないという事実をしみじみと思い知らされた。
 今回の苦い教訓、その1。登頂を確実にしたいなら、ポピュラーな山を選ぶべし。そうは言っても、ポピュラーな山には満足できないのであるなら、それが高標高で困難な山であれば何回も通って研究するか、或いは辺境の低い山を選ぶべし。ヒマラヤの辺境には5・6千mクラスの未踏峰は掃いて捨てるほどある。
ただ、お迎え遠からぬ小生には何回も通う時間的余裕は残されていないし、辺境の未踏峰へはアクセスが極端に困難であるからして、どっちにしても困ったものだ。
 教訓、その2。己の実力を弁えて謙虚に登攀ルートを選ぶべし。そこに奢りや、さもしい貧乏根性が入り込めばヒマラヤの女神のお怒りに触れてロクなことがない。とは言ってみるものの、精神の解脱ができていない私メはただただ右往左往するばかりで、今回高い代償を払って得たこの有難い教訓が生かされる見込みは殆ど期待できない体たらくでございます。


(帰途、ポルツェテンガから見た秀麗なタマセルク峰)(同、残照。何れも本文記事とは無関係。オマケです)