旅と一期一会

 

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旅と一期一会 

タイに旅行した時のこと。
バンコク市内、
ゲストハウスに戻るある夕刻、
多くの車が絶え間なく行き交う広い車道、
信号がない車道を渡るには慣れがいる。
隙を見て渡り出すと、6歳くらいの男の子の手を引いた小柄な女性が、
その機に一緒に渡ろうと後をピタリとついて来た。
道路の中洲のようなところに渡ったらすぐにその女性が話しかけてきた。
道路を渡るのも目的だったのであろうが、こちらを追いかけてきたと思えた。

"Are you alone ?"
"Yes --"
"Not lonely tonight ?"

よく見ればみすぼらしい普段着でサンダル履き、非常に小柄で痩せている。
東北部の貧しい農村から出てきてまだ1年にもならないというふうであった。
ただでさえタイ人は英語をしゃべらないのに、そのような女性が英語を話すのはまず驚きであった。
つたない英語であった。学校で教育を受けたのではない、その商売を通じて覚えた実践性を感じた。
「これから夕食をとらねばならない」とか適当なことを言って、立ち去ろうとした。

"Give me some money to go back home. I have no money for bus."

男の子はしっかりと母親の片手を握りながら、母親と私を見上げて、やり取りを注視していた。
ズボンのポケットにコインがチャリチャリと100枚くらいあった。
買い物をして支払うときにいくらか聞いてその通りに出せない旅人さんなので、
適当に紙幣を出して釣銭をもらう結果、ポケットがふくらむほどであった。
そのコインをガバと掴んで、女性に手渡した。
どれくらいあるのか確かめるように手のひらのコインを眺める女性をあとに道路を渡り切った。
振り返ると、後からその母親も子供の手をしっかり握りながら道路を渡っていた。

もう20年も前のことであるが、ふと何かの折によくこのシーンを思い出す。
もうちょっとはずんでやれば良かった、面倒がらずに紙幣を出して与えれば良かった、とか思ったりする。
妙にあの子の見上げる目が印象に残るのだ。
あの子にとっても、ああいうシーンは、大人になってもずっと記憶に残るのだろう。
母親が「商売」の間、あの子は道端に座って待っているのだろうか?・・・父親はいないのだろうか?
母親に捨てられずにずっと一緒に手を引かれて・・・きっと将来母親を大事にするだろう。
その母親のほうも、化粧っけがなく、「商売」そのものにも慣れておらず、交渉も素人っぽい。
今思えば、浅い経験で、冬の早い日の暮れ後、夜目ですぐに私が1人旅の男と目をつけたのは、
それなりに日々必死に獲物を探して食いつなごうとしていたのだろうが、
あのような風体でいい「商売」ができるはずがない。
毎日腹をすかせて家に?(どこに?)戻るのだろう。
その辺のレストランに連れていって坊主にご馳走してやれば良かった・・・
そうすればもっと話が聞けただろう。
もっといけば、その親子の郷里まで行って事情を見るまでに至ったかもしれない。
どんな村で、どんな営みをしているのか・・・
そういうのが上っ面でない、その国の真実の一面を見るディープな旅と言えるだろう。

旅とは一期一会と心得て、
チャンスを逃さず貪欲な好奇心を持って、
労を厭わず、月並みな観光で終わらせないことだ。

例えば、通りを歩いていて、バスに乗っていて、思わず心の琴線に触れる曲が流れてきたりする。
普通は聞き流すところだが、傍にいる人に曲名を確かめたりして、CDを買ったりする。
曲に興味を持ち、好きな曲目も増え、
それがアラブのポップスであれば、イスラムの文化や歴史に興味を持ったりして、
関連知識や自分の世界が広がっていく結果に結びつくかもしれない。

風のように通り過ぎる観光客ではなく、
その土地の小さな日常に、関わりを持ち、参加する。
そうした旅は、自分の人生の新たな1ページとなるだろう。
旅は人生であり、人生は旅である。まさに人は百代の過客なり。
これからも旅において、人間を忘れず、人を見つめ、自然と人間の営み関わり合いを見ていきたい。

かくいう私は、ネパールに初めて旅をした時に、あるネパール人の男と知り合い、
数年後にその男の親戚の女性と結婚することになった。
その男が、現在のHSA社長のプルバその人だ。

HSAと利用客、そんな関係にとらわれず、それだけの関係に終わらせず、
お互い、相手を一期一会の人間と心して付き合えば、
ガイドが、一生付き合う友となったり、自分の人生を変えたりするきっかけになることもあり得る。

旅は現在の日常の突破口、
旅先で出会ったちょっといい話のお便りをお待ちします。


2008.1.16
森崎