アイランド・ピーク |
→ Island Peak → Trekking Peaks → ゴーキョ・ピーク→カラパタール→アイランド・ピーク → カラパタールからアイランド・ピーク → メラ・ピーク+アイランド・ピーク |
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アイランド・ピーク登山レポート 2010年3〜4月 by H.S.A. 森崎 | |||||||||||||||||||||||||||||||
アイランド・ピーク登山レポートです。 前回 2年前の失敗を踏まえ、今回も期間は短かったですが登頂に成功できました。 失敗と成功の原因を探りながら、皆様の登山にご参考になるようレポートしたいと思います。 前回も今回もエベレスト登山経験ある一流ガイドとポーター1名での登山です。 但し今回は、チュクンでHSAのお客様(2名)と合流し、BCとHCではコック付きの食事となりました。 私はこれまで日本の3000m級冬山経験は結構ありますが、いつも単独登山のため、ザイルを使用する氷雪登攀等の学習経験はありませんでした。技術的には、ちょっと氷壁登攀をやったことのある方なら、そんなに困難なルートではないと思います。ただ、この標高でシェルパのようなスピードで登って行くことは大変だと思いました。 このレポートは、きっと初心者の方にも大変参考になると思います。また、熟練の方にも、短期で安く行く方法その他の良いアドバイスともなるかと思います。 アイランド・ピークは、周知のように、ヨーロッパアルプス、キナバル、キリマンジャロ、あるいはヒマラヤトレッキングの最終目標カラパタールなどの次に、最初の6000m峰として目標にされるヒマラヤ登山入門に最適の山として多くの登山者を迎えています。 また、そのアプローチの良さ、高度、登山の色んな要素が詰まっていることなどから、エベレスト登山直前などの高所順応用に踏み台として利用される山でもあります。 これを機会に、6000m登山かあ・・・と二の足を踏んでいる方も、長年登山計画を温めてきた方も、ぜひ思い切って出かけてみてはいかがでしょうか? 今回は70代の方も無事登頂されました。あなたにできないことはないと思います。 アイランド・ピークの標高は、私の地図では6189mとなっていたが、ネパール山岳協会では6160mとしている。 |
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今回の日程(12泊13日) 2010年3〜4月 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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今回、HSAのクライエント(2名様)は30代(Mr.W)と70代(Mr.S)の旧知のお仲間です。 共に、3月8日にカトマンズ入り、3月10日にルクラに飛んで、アイランド・ピークの前にゴーキョ→チョラ・ラ→カラパタールで順応されました。 私(60歳)は、このレポート作成のため、後から追いかける形で合流しました。(3月18日カトマンズ入り) 上記日程は、一般的にはあまり参考になりません。その前に十分な順応期間を設けて、20日間以上の日程でのぞむのが普通です。 お2人の順応は順調のようで、BCなどでパルスオキシメーターでも好数値を示していました。 私の方は、日本で2月〜3月の直前まで蓼科山+浅間山登頂などで慣らし、現地ではできるだけ早く4000m以上に駈け登り、高所順応に努めました。 結果、3人とも登頂に成功しました。このうち、30代の方(Mr.W)は、アイランド・ピークのあとに続いて、ガイドレスでアマダブラム登山に向かわれました。アイランド・ピークは肩慣らしというところでしょうか。 それではまず、前回の失敗を振り返ってみます。
この時は、HCにはもちろんBCでも水を作る氷が乏しく、得るにも遠く、ポーター1名ではHCへの荷揚げと氷も持ち上げも難しく、HC設営をしなかった。このことが第一の敗因だったと思います。もちろん、日数が少ないというのも原因です。 次に体力の問題。 30代にゴーキョに行った時も、通常よりも日数が少ないながら、高所での山酔いはほとんど見られませんでした。しかし、毎回、4000mを越えると、かなりペースダウンします。 40代に1泊テントを使用した登山をしたくらいで、この20年間近く、たまに近くの日帰り登山をやるくらいで、明らかにトレーニング不足でした。58歳という年齢からも、格段に体力がおちてきてました。 私の場合のいちばんの問題は食事です。多分胃が丈夫ではないせいでしょう。登山に入って最初の2〜3日は疲れであまり食欲がないのは日本でもそうですが、特にネパールでは、まず日本からまる1日のフライトでの疲れがとれないまますぐに山に入り、毎回、スパイス、油のくどさ、塩分の濃さが合わず、最初の一口で胃が委縮してしまい、さらに食欲が全くなくなるパターンでした。(カトマンズに入ってから 1泊以上はカトマンズ滞在をして、疲れを取るのがいいでしょう。) 前回 2008年にはほとんど食事をしないまま頂上に向かい、案の定途中ではなはだしくペースダウンしてしまいました。その結果、10:00頃に5800mに達した時、ガイドから頂上まであと3時間かかると言われ、BCまでの下山時間を考えると暗くなる可能性もあり、何かあればガイドにも迷惑になると、早々に撤退を決めました。ちょうど数百メートルあとにイギリス人カップルが登ってきましたが、相談して一緒に下ることになりました。 あとでこのイギリス人カップルのガイドが私のことを、「ポップコーンしか食わずろくに食事もしないでよく登って行った。(登れるわけがない)」というようなことを言っていたと、私のガイドから聞きました。実際そうです。このように食欲のないまま登るのは、5000mクラスのトレッキングであればなんとかなりましたが、6000mの登山では無理です。 今回は、当初は同様の症状でしたが、チュクンでコックが来てくれて、その後日本の米に似たご飯と日本食により食欲が出て、なんとか体力が回復しました。一方、他の2名の方は、地元のダルバートとタルカリがたいそう合うようで、食事の順応力もあってすこぶるお元気でした。食事への順応力には、同じ日本人でもかなり個人差があるようです。 この方たちのように、現地食OK、しかも過去にネパールトレッキングの経験のある方が含まれるグループである場合、登山に先立って自分たちでロッジ泊まりで順応トレッキングをやれば、お安く上がる見積りとなります。 とにかく、普通に食事が出来て、睡眠が十分取れて、風邪など引かず、下痢もせず、日常の健康状態をこの場で保てることができれば、まず成功は間違いないでしょう。ところが旅行の疲れとか、カトマンズからぐんぐん高度を上げることによる気候の激変とか、水アタリとか、その他さまざまな要因で、日常の健康状態を保つというのが、案外難しいのかもしれません。 |
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それでは、2010年のアイランド・ピークの登山レポートです。 |
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3/20 カトマンズ⇒ルクラ→ナムチェ | |||||||||||||||||||||||||||||||
「ナムチェ入口」 カトマンズの飛行場に早朝から待機。相変わらずたっぷり待たされてルクラに飛んだ。 ルクラでポーター1名と落ち合い、2人でナムチェに向かう。 ナムチェは地価がどんどん高騰している。カトマンズの中心部よりも高いと聞く。 ヒマラヤン・シェルパ・アドベンチャーでは、コンデ・ホテルの土地の取得のあと、クーンブ各地に土地を取得していますが、ナムチェだけは手が出ません。 当社では、2年くらいのうちにパクディン(トクトク)にホテルをオープン予定しています。オーガニック野菜を使用し、日本食もご提供できるかと思います。 |
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3/21 ナムチェ→パンボチェ | |||||||||||||||||||||||||||||||
数多くの見物人がいて、彼の生前の重要度がわかる。 |
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3/22 パンボチェ→チュクン | |||||||||||||||||||||||||||||||
チュクンでは、ガイドのボカ(通称)が待っていた。 初対面で少し表情は硬いが、いつも笑顔を絶やさない。自分は学問がないので、息子にはダージリンの学校へやって英語を学ばせているという。 兄弟も皆エベレスト登山経験者。ボカは5回登頂している。 |
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「アイランド・ピーク」(チュクンより) いよいよ目的のアイランド・ピークが見えてくる。 |
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「チュクンのロッジから早朝のアマダブラム」 |
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3/25〜26 チュクン・ピーク手前の小ピーク(5063m)にてテント1泊 | |||||||||||||||||||||||||||||||
3/23,24はチュクンに停滞。 3/24に Mr. W、Mr.S のご両名と合流したので、3/25、いっしょにチュクンの上の小ピークに登ってキャンプする。 3/25 テント泊 「アマダブラムとチュクン・ピーク手前の小ピーク(5063m)のテント場」(チュクン・ピーク 下より) 赤点の下の矢印が示すのがテント。その横に雪田がある。これを利用して水を作った。 気持ちの良い丘で展望も良い。 このテント場でキャンプして、チュクン・ピークに登ったのは、高度順応の為と、アイランド・ピークBC、HCでの宿泊時と、登頂日の行動中の衣類にどの程度のものを用意すれば良いかチェックするのを目的とした。 意外と夜も大変暖かく、戸惑うほどであった。行動中に羽毛服がいるのか?と思うほどであった。 3月の10日から中旬頃より、グンと暖かくなったそうです。 日本の同時期の2500〜3000mよりも暖かいくらいだ。 この辺のピークは同じような名前があって紛らわしいのでちょっと整理しておきます。 我々がキャンプしたのが、チュクン・ピーク手前左の@小ピーク(5063m)。ここに慶大の先生方が設置したイムジャ・ツォ(湖)の氷の溶け具合などを知らせる中継アンテナがあり、電波をコンデ・ホテル裏に飛ばしている。 Aチュクン・ピーク 5404m Bチュクン・リ 5550m (これはトレッキング・ピークのグループAに属し、登山料$500が必要である) その上にCチュクン 5833m がある。 左からポカルデ、奥の白いのがチョーオユー、手前双耳峰がコンマ・ツェ、右のピラミッド型がプモリ (チュクン・ピーク 5404mより) 「Mr. W、Mr.Sのご両名」(チュクン・ピーク 5404m頂上) Mr. W(左)はチュクンに着いた時、風邪ぎみで、この時も耳の下が痛むと言っておられました。 その後BC,HCと登るにつれて調子は上向きになったようです。 小ピーク(5063m)のテント場から下山の前に、再度アイランド・ピークを確認。 右にマカルー(8463m)とバルンチェ(7152m)が見える。 「ヒマラヤン・マカルー・ロッジ&レストラン」我々が宿泊したロッジ このロッジは、チュクンの4つほどあるロッジのうち一番小さく古い感じだ。 ここで私は、アイランド・ピーク用の個人装備一式(アイゼンcharlet moser 12本爪、アイスアックス、ハーネス、カラビナ4つ、ユマール、ディセンダ8環)を借りた。登山中何日でも、レンタル費:1500ルピー(約1875円)でOK。但しモノはかなり使い込んである。二重靴もあったが、ビブラムはすりへって、これはちょっと借りない方が良い。 ここのおかみさんはあまり商売っ気がない感じで、現在のこのあたりの価格水準と合ってないようだ。この標高にしてはここの商品は安いと思う。(缶ビール:300ルピー、トイレット・ロールペーパー:100ルピー、チョコバー:100ルピー、ミドルサイズ魔法瓶の沸かし湯:250ルピー、ホットレモン1カップ:40ルピー) 部屋はすべてツインのベッドで、掛け布団、枕もついている。 おかみさんは暇な時、このカウンタ横の壁に貼ってある家族の写真を示しながら自分の息子娘を紹介してくれた。子供思いの優しいお母さんだ。華奢な感じがするが、若い時にガイドの夫に伴ってアイランド・ピークにコックとして参加もしている。冬の3ヵ月はロッジを閉鎖して、パンボチェの家に戻っているという。 3/26 チュクン泊 |
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3/27 チュクン→アイランド・ピークBC 5080m | |||||||||||||||||||||||||||||||
ガイドの判断で1日早めにBC入りした。 「チュクン出発」 行手に見える山々の名称を確認する。右にチュクンの村が見える。 アイランド・ピークが近づいてくる。3人のポーターの先に行ったご両名が大岩(右側、川のそば)で休憩中。 このあたり風が強いのでポーターたちがよくこの大岩の影で風を避けて休んでいる。 風は冷たいので、必ず頭は毛糸の帽子などで保護したい。 また紫外線が強く、日焼け止め薬がないと鼻や唇の皮がめくれたりするので要注意。 サングラスは言うまでもなく必需品です。 今回はゴーグルは必要ではなかったが、前回は少し時期が早かったせいか、ガイドはゴーグルを持参していた。 「アンプラプチャ分岐」 左の河原に下りると橋があり、それを渡ればアンプラプチャ峠 5845m に向かう。 アイランド・ピークへは山腹を巻いてパレンシャヤ・ギャブに向かう。 上の写真中央にお2人が見えるが、このあたりが分岐です。 「アイランド・ピークBC手前の石室」 中には何もなく、土間のみ。 BCのテントサイト。 我々のテント2張りとダイニングテント。石室はトイレ。 こちらは、ネパール山岳協会のテント。入山者のチェックを行っている。 (翌日)深夜2時きっかりにガイドを含む7名の先行パーティが出発した時も、テントを開けてガイドと話をしていた。 「昼食」 コックのゴパルが料理を作ってくれる。 手前はよく気のつくキッチンボーイのカトック。 左は味噌汁。右にしょうゆが見える。 デザートのパイナップル缶は温めて出してくれる。 飲み物は紅茶、コーヒー、オレンジジュースなど。 今回はポーター人数が少ないため、テーブルの用意はない。 「夕食」 梅干し、味噌汁もあってありがたい。 手前はポップコーン。 水は氷雪を利用する。秋には流水が、BC,HC共にあるが、春はだいたい氷雪を探してきて利用する。 十分に沸騰させ、茶漉しで漉してから利用する。 |
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3/28 アイランド・ピークBC→アイランド・ピークHC 5600m | |||||||||||||||||||||||||||||||
BC「朝食」 屋外で 朝はだいたいお粥(味付けのりを入れてある)が多い。 もちろん塩入りだ。日本人に慣れてないところが作ってくれるお粥には砂糖が入っていることがある。 野菜のゆでたもの、オムレツ、トースト、ジャム、ツナ缶、梅干し。 「さけ茶づけ」は持参した。ふりかけや漬物、調味料を持参すると、食欲がない時などいろいろ対応できる。 「BC出発前の記念撮影」 みんなこのまま無事に帰ることができるよう祈りながら・・・ 「BC出発」 「アイランド・ピークへの登山口」 BCから10分くらい行くと登山口がある。ここにもキャンプ地がある。 登山口からハイキャンプを経てクランポン・ポイントの上までずっと急登の連続で苦しい。 ハイキャンプを設けずにBCから一気に頂上までの標高差1100mを行くには、深夜出来るだけ早くに出発する必要がある。 若くて元気いっぱいのMr.WさんならBCからでも大丈夫だが、私にはきつい。 今回の成功には、ハイキャンプ設営したことが大きい。 写真右側にイムジャ・ツォ(湖)が見える。湖面は凍っており、砂埃がたまっている。 コックのゴパルは灯油を片手に持って登る。試しに私も持ってみたが、かなり重い。シェルパはコックといえども強い。 ポーターのニーマはハイキャンプまで素足のサンダル履きだった。皆それなりの防寒具を着用してるというのに! ちなみに、登山者の多くはハイキャンプまたはクランポン・ポイントまでトレッキングシューズ、その上から登山靴というパターンだ。 クランポン・ポイントとは、ハイキャンプから1.5時間くらいのところで、岩から氷に変わる登路の境目をいう。 ここで英語でいうクランポン(ドイツ語でアイゼン)を付ける。 元気なMr.Wさんには、ポーターの負担を軽減するため、3人用ノースフェイスのテントを自ら進んで担いで頂いた。 「ハイキャンプ」 ポーターはBCから水を作るための氷を持ち上げてくれた。 我々のハイキャンプは最も上部に設営した。同じハイキャンプでも下に見えるキャンプとは結構高度差がある。 登頂には有利である。 しばらくするとガイドに伴われた欧米人男性40歳くらいが降りてきた。膝をたいそう痛めているようで苦痛の表情だ。片膝がぐらぐらして定まらず、力が入らない感じになっている。少し休んでは歩く、ということを繰り返しながら下っていった。BCまでは相当時間がかかりそうだった。 私も最近膝が痛むことがある。人ごとではないと思った。怪我故障は禁物だ。天候が悪ければ命取りになりかねない。 予想もしないことが時には起こる。気をつけて行きたい。 Mr.Wさんがパルスオキシメーターでスタッフたちの数値を測る。 ポーターのニーマとコックのゴパルはいい数字だ。 |
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3/29 アイランド・ピークHC→アイランド・ピーク登頂 6160m。 アイランド・ピークHCに戻る。 | |||||||||||||||||||||||||||||||
「登頂日」 夜1時頃外に出るといい天気のようだ。テントには霜が降りている。 出発予定の3:00にはまだ間がある。1時頃までぐっすり寝たが、その後眠れないまま横になる。 2時頃からガスコンロの音がして、スタッフが食事の用意をする。 私も服装を整え、荷物の準備をする。 ヘッドランプの電池が怪しい。(あとで気がついたが、このネットで購入した充電式電池は中国製であった。) 電池はネパールで売っているものは役に立たないので、日本から十分すぎるほど持っていく必要がある。 ランプの予備も持参するくらい慎重でありたい。 ガイドによれば、午前10時までには登頂しなくてはならない。その後は風が出てきてガスも上がってくる。 頂上には5〜10分だけ居て、すぐに下る予定だそうだ。 さあ、いよいよだ。 日本出発前に雪かきで傷めた腰痛もおさまっている。 食事も取ることができた。順応の具合もいいようだ。 あとは氷壁をうまく突破できるかだ。 2時過ぎに軽くお粥で食事をすませる。 ちょっと腹具合がおかしい。やたらガスがたまる。ま、なんとかなるだろう。 2:40頃に出発。 ガイド、Mr.S、私、Mr.Wと続く。 いきなりの急登の連続。ぐんぐん高度を上げる。辛抱のしどころだ。 順調にクランポン・ポイントに到着。 みんな暗闇の中、手早く身支度を整える。ハーネスを装着、アイゼンをつけ、ユマール、ディセンダ、カラビナを確認。 私は(ハイキャンプまではタウンシューズ)ハイキャンプから登山靴を履いたが、Mr.S、Mr.Wのお2人はここから登山靴だ。トレッキングシューズをデポする。 アイスアックスを手に、固く締まった氷の上にアイゼンをきしませる。 まだまだ上りが続く。 しばらくすると、ブルーアイスの非常に固い氷の急斜面となり、ガイドがロープをフィックスする。 20mくらいだが急で登りにくい。息が切れる。暗闇の中、気をつけて登る。 ゆるやかになったかと思うとクレバスがある。 空隙はわずかで、1mほどの梯子が掛けてあった。ロープも添えられてあった。 数百メートルのひらけた雪原を行き、傾斜がきつくなってくると問題の氷壁基部に着く。 この氷壁は約200m。それを登りきると切り立ったリッジに飛び出し、そのリッジを約70m位行けば頂上である。 リッジには一部残置固定ロープがある。 やっと明るくなってきた。いいタイミングだ。 氷壁基部からガイドが取り付く。 この氷壁にも残置ロープが見える。凍りついている。それに沿って新たにロープをフィックスする。 Mr. W さんがビレーする。アシスタントガイドの替わりをやって頂いた。 顧客が2名以上の場合、ガイド1名ではやりにくいようだ。 メインロープ150mでは足りない。 ブルーのロープ(φ8mmもない?)をつなぐ。 そのつなぎ目でユマールを途中でつけ替える必要がある。 下降時にエイト環などのディセンダも付け替える必要がある。 基本的な技術は、初心者の場合、予め、チュクンその他で練習して頂きます。 朝日がマカルー方面から差し込んでくる。足先が冷たい。 ロープ固定を待っている間に冷え込んでくるので、太陽が待ち遠しい。 氷壁上部に光が当たって来る。 氷壁はすっきりとした壁ではなく、デコボコだ。 ガイドはさぞ登りにくいだろうが、ぐんぐん高度を上げて行った。 ガイドがロープをフィックスしている間に、我々はちょっと行動食を口にして水分を補給する。 しかし油断は禁物だ。上から30cm四方くらいの氷片が落ちてきた。Mr. S さんのすぐそばを落下していった。 その後何回か落ちてきた。 自分が登るときも、もろい石を落下させてしまった。 後続隊の多くはヘルメットをかぶっていた。頭の保護が必要だ。 後続隊が3名眼下に見える。 ガイドから登れの合図があった。 さて、いよいよ登攀開始だ。 氷壁を登りきって下をのぞく。 登るのにどれくらいくらいの時間がかかったのだろう? 夢中だったのでよくわからない。 とにかく息が切れて何度も休み休み登った。一気に10mも登れない。やはり6000mの空気である。 日本の平野部の半分の酸素である。 最後の5mを一気に登ってリッジに着いた時は、心臓が爆発するかと思うくらいハーハーと激しい呼吸を繰り返した。 そのリッジは足場がないほどシャープで、すぐ向こう側の谷に一気に落ち込んでいる。 後続組10名が眼下に見える。 その先頭が基部に到着したようだ。 我がMr.S、Mr.Wのご両名は氷壁の中腹くらいだろうか。ゆっくり着実に登って来る。 その間に私は、ガイドに助けられてリッジを登った。 痩せ尾根でロープを頼りに登る。 50m位リッジを行くと、頂上手前にやや広くなった場所があり、10人以上がゆっくり休めそうである。 そこから再び急な痩せたリッジになり、頂上まで20mほどか? 私は1人で、他の3名をその小広場で待った。 ガイドは氷壁の終点のリッジで2人を待つ。 もう少しで頂上だ! 天気は上々、風もない。 後ろ(北側)にローチェが立ちはだかる。このすぐうしろにエベレストが鎮座する。 残念ながらこの位置からはエベレストは隠れてガスがなくても見えない。 正面(南側)のアマダブラムは低くなっている。 東のマカルー(太陽の下)、そしてバルンチェ。 Mr.S、Mr.Wのご両名が氷壁終点に到着。 3名がリッジを登る。両側は切れ落ちている。滑落すれば下まで止まらない。慎重に! リッジ途中の小広場に来る。 小広場から、まず私が頂上に登り、カメラで待ち構える。3名が続く。 登頂 8:45 いいタイムだ。 Mr.W さんがこれから登るアマダブラムをバックに、アイランド・ピーク頂上の雄姿! 手袋が破けてもなんのその。気にしない。 アイランド・ピークなんて軽い、そんな余裕の表情だ。 Mr.Sさん、登頂おめでとうございます。 後ろには、ご両名が数年前に登ったというメラ・ピークが見える。 そのメラ・ピークからアンプラプチャ峠越えでこのアイランド・ピークに至る贅沢なコースもある。 それさえも広大なヒマラヤのごく一部だ。 ガイドも責任を果たし、みんないい笑顔だ。 それにしても頂上は狭い。これだけで一杯だ。 みんな確保しながらの撮影だ。 ガイドは終始軍手のような薄い手袋だった。手袋を脱いでも特に冷たくはない気温だ。 さて、頂上をもって半ばとす。あと半分、気をつけて下るよう心がける。 70mのリッジを戻り、氷壁上端に来て、下ろうとすると、後続組が蜘蛛の糸にぶら下がるがごとく登って来る。 見れば後続組のガイドがフィックスしたロープとこちらのロープが絡み合っている。 最初、後続組は当方のロープを利用して登ってきたのか、と思ったがすでに後続のガイド(赤ジャケット)は自らフィックスしていた。そのガイドが叫ぶ。"Your rope is free!" 遠慮しないで下りて来い、とのことだ。 そのガイドに伴われて登って来る一番手は若いアメリカ人女性。 この女性、私が氷壁を登り始める時に、すでの氷壁基部に接近していたので、ずっと観察していたが、かなり遅いペースだった。 この女性がここまで登ってきたということは、我々は結構頂上付近で時間を費やしたということになる。 今下って行くと邪魔になるので、この女性が氷壁上端に登ってくるまで下るのを控えた。 この女性が氷壁上端に達した時、もう参った、とても苦しいというようなことを言っていた。 コングラチュレイション! ガイドたちが励ますと、女性はじわじわと感動の表情。 アメリカ人らしく叫ぶ。「ワオ! やったね」 かなりスリムな華奢な女性だ。そのすぐ後ろにボーイフレンドらしいアメリカ人男性が続いて登ってきた。 下り終えて上を見上げる。かなりの傾斜だ。 最後に登る欧米人は片手しかなく、ガイドに付き添われて非常にゆっくりペースで登って行った。 盲人の登山者、義足の登山者、耳の不自由な登山者、年配の登山者、ヒマラヤにはいろんなハンディを背負った人が登って来るものだ。みんなそれぞれに自分の限界に挑戦しているのだろうか。それぞれの登山にドラマがある。皆の話を聞いてみたい。ロッジで機会があればぜひ外国人登山者と話をしてみよう。ガイドもいろんなケースをみているので、その話は面白い。その意味でも言葉の通じるガイドを選びたい。 そろそろガスが上がってきた。早立ちは登山の鉄則だ。 往きにも渡ったクレバスにかかるアルミ梯子。 この梯子は、BCにいたネパール山岳協会が設置したとのことである。数日で撤去されるそうだ。 クレバスの幅が狭いので、飛び越えることも可能だが、クレバスの角はもろいので気をつけるにこしたことはない。 ●【アイランド・ピーク頂上部と氷壁の全景】登りの時には暗かったので、下山時に撮影。 振り返ると後続組はそろそろ頂上に達したようだ。最後の片手の人はまだ氷壁にある。 空は曇り始めている。 ●下の写真は秋期のものです。上記春期の雪の状態を比べてみて下さい。 モンスーン後のため、積雪量が多くなってます。裏側の北斜面はもっとあるでしょう。 ガチンガチンのブルーアイス。中央右奥に頂上(右下部が黒い峰)が見える。人も見える。 クランポン・ポイントに戻り、荷物をまとめる。 この頃にはチュクン方面の谷間からモクモクとガスが湧き出していた。 この後ハイキャンプに戻る。 下から見えたのであろう、ポーターのニーマが途中まで迎えに来てくれて、中国製の大きな魔法瓶にオレンジジュースを入れたのを持参してくれた。うまい1杯だった。 ニーマはガイドの荷物を持って下って行った。 その直後、なんとガイドのプラ二重靴アゾロの片足のソールがはがれ落ちた。 岩の上をソールのないプラブーツはつるつるにすべる。 それでもガイドは気をつけて我々と同じ歩調で歩いて行った。ハイキャンプまで10分かそこらのところだった。 タイミングが良かった。登りにはがれなくて良かったと言ったら、ガイドは笑っていた。 登山の前にチュクンでその靴を見た時は、「長く使っているなあ、骨董の部類だ」と思ったものだった。 ガイドは「カトマンズの靴屋に持っていけば接着剤で直してくれる」と、とことん使うつもりだった。 彼らにしてみれば、アイランドピーク程度では何でもよいのだ。 長い1日を終え、夕食後、ハイキャンプでは熟睡した。 |
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3/30 アイランド・ピークHC→チュクンで昼食→プンギ・タンガ | |||||||||||||||||||||||||||||||
HCから下山。さようならアイランド・ピーク。 やり遂げた充実感と安堵感、そしてもう終わりか、という幾分の寂しさを感じながら・・・ アンプラプチャ峠に行く別れ道。中央にかかる橋を渡る道がそれだ。 チュクンで昼食。 注文しておいた鶏肉1羽分が届いていた。 コックがそれをさばいて肉じゃがと唐揚げを作る。 しょうゆの味はやっぱりいい。食が進む。 昼食後、スタッフはMr.W さん、Mr.S さんからのチップを頂いてご満悦。 お別れの前の記念撮影。後ろ右側に、ロッジのご夫婦にも写真に入って頂いた。 ご夫婦はあたたかい親切な方々だった。お世話になりました。いつかまた訪れたいです。 小学 5年生くらいの男の子がいたが、いつか後を継ぐのだろうか。 元気に下山できて全員揃って良かった。 Mr.Wさん、アマダブラムへは気をつけて行って下さい。 ロッジの外を見ると、なんと雪になっていた。朝は天気が良かったのだが・・・ この日BCにいて翌日登る予定であった隊は撤退したとのことである。 頂上部は数10センチの積雪で不安定で危険ということであった。 こういうこともあるからと登頂日を 1日早めた我がガイドの思惑は見事に当たった。 Mr.W さん、Mr.S さんをチュクンに残し、カトマンズに仕事が待っている私は、ガイドとポーター2名と共に、チュクンで休憩の後、続けて一気にプンギ・タンガに下った。 降雪はナムチェまであり、その下のジョーサレからは雨であったそうだ。 |
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3/31 プンギ・タンガ→ルクラ | |||||||||||||||||||||||||||||||
プンギ・タンガの朝。シャクナゲが満開だ。入山した時よりもずっと春に近付いた感じだ。 うしろには新しいロッジが建設中だ。 ここには旧式のバッティしかなく、ロッジらしいものがないので、ロケーション的にも良い宿泊施設になるだろう。 サナサ方面からエベレストを振り返る。 エベレスト登山隊の荷を運ぶポーターたちがどんどん登って来る。 ちょうどエベレスト登山の始まる時期だ。クライマーたちはBCにテントが準備されてからあとで登って来ることになっている。 今年はまだチベット側がオープンされてない。 74 サナサ方面からコンデ・ホテルとコンデ・リを臨む。 モンジョのHotel Mini Tibet 当社HSAのガイド、ナワン・カルサンが生家にこの春に新築したホテルです。内装は夏の予定。 ナワン・カルサンは富山県にいたことがあり、日本語ができます。 この上部、ナムチェ寄りに、やはりHSAガイドのカンチャのロッジもあります。 このあたり桜が美しい。 チンゲンサイが良く育っている。そろそろトウが立ってくる。 ネパール語で「サーグ:saag」と言えば青菜のことで、タルカリに入れてくれる。 Fried Saag と言って野菜炒めをロッジで注文してビタミンCを補給した。これくらいの期間で壊血病になることはないが、いつも栄養のバランスは考えたい。タンパク質はゆで卵などで取れるが、右上写真の乾燥納豆は今回初めて持参したが正解であった。うまいし、行動食にもなった。これに乾燥ネギや煉辛子を加えてくれれば完璧だ。茹でてご飯に載せれば納豆ごはんになるかな?(「ポリっと納豆」長野県飯田市、旭松食品) ついでながら、うちのカミさん(シェルパ)は、納豆にタバスコを入れるのが大好きで、子供もみんなそんな食べ方をまねている。ちょうど、ドラゴン航空でとなりに乗り合わせたネパール人女性も納豆にタバスコを入れて食べると言っていた。この女性はチェトリ族だが同じネパール人、嗜好は同じのようだ。この女性は東京で中華料理店で数年間働いており、今回は久々に故郷ポカラに里帰りということらしい。ご主人もネパール人で、子供は日本の学校に行っていると言っていた。子供思いの優しい女性であった。 モンジョからルクラへは登りとなる。ナムチェとモンジョで休みを入れただけなので、ガートとチョウリカルカあたりでまた休みを入れた。最後の登りではへばった。前回はチュクンからルクラまで2日だったが、今回はハイキャンプからルクラまで2日だ。社長プルバからはマラソンのようなトレッキングだと言われた。 ルクラ。イタリアブランドのファーストフード店が出来ていた。 後日カトマンズで、HSAご利用のハネムーンカップルの方にお会いして聞いたら、ここに入ったらだれもいなくて、しばらくして2階から子どもが降りてきて注文を聞き、品物を出したらすぐに外に遊びに行ってしまって、支払いに困った、とのことでした。 |
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4/1 ルクラ⇒カトマンズ | |||||||||||||||||||||||||||||||
ルクラからのフライトは早朝に出発します。 ガイドがいない時は、クーンブ・リゾートのスタッフがお手伝いすることがあります。 空港では多くの人でごった返し、慌ただしいです。 まずチェックインで受託荷物を預け、搭乗券を受け取ります。空港税が必要。その後セキュリティチェックは男女に別れて、階段下に向かいます。待合室で数10分待機。、自分の搭乗券のフライト番号が呼ばれたらゲートの外に出て、歩いてフライトに向かいます。搭乗券を見せて機内に乗り込みます。 最後にカトマンズでのショッピング案内を致します。 最近カトマンズには大きなスーパーが30くらい出来ています。 トレッキングや登山に利用できる衣類や食糧を調達できます。日本の食材もあります。 たとえば、キャセイ+ドラゴン航空で行く場合、受託手荷物は20kg、機内持ち込み手荷物は7kgという制限があります。これに収めるのは結構大変です。できるだけ日本からの荷物を少なくしてあとは現地で購入するとか、レンタルで済ます、というのも賢いやり方です。現地の値段は高くはありませんのでご検討下さい。 バート・バティニ・ショッピング・ストア(Bhat−Bhateni) ノースフェイスなどアイランド・ピークに使えそうな衣類もたくさんある。 おいしそうなパンが色々ある。 冷凍イカなどの魚介類もある。 韓国、タイのカップ麺もある。 寿司巻きセット、春巻きセット さすが紅茶は豊富だ。お土産用パッケージのものもある。 私はこのストアでお土産にヤクのチーズを買った。 他の店では、息子が希望の土産として、タンドリチキンとナンも買った。 本場イラムティーや各種ハーブティーの他、腎臓ティー、心臓ティーというのもあった。 日本のと変わらないお菓子もたくさんある。カタカナのラベルが見える。 醤油もあります。 シャンプーなんかもお国柄か、匂いのきついものもある。買った整髪料はジャスミンの香りであった。 サバ、ツナなど魚類の缶詰もたくさんある。 トレッキングに使えるシューズも豊富。だいたいメイドインチャイナ。 上記スーパーの近くの「アンモル・スウィート: Anmol Sweets」というお店 インド風和菓子のお店で土産を買う。好みのものを詰め合わせてくれる。 City Center というショッピングモールの中のフードスーパー:Big mart ターメルには本格登山用の中古品を揃える登山用品店がたくさんある。 町の小さな食料品店にも日本風のサバ缶がある ネパールを発つ前に、ネパール山岳協会から届いたアイランド・ピーク登頂証明書を受け取るMr. S さん。 |
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【編集後記】 | |||||||||||||||||||||||||||||||
振り返れば、アイランド・ピークというのは、アプローチでのトレッキング中に見る村の生活、花と野菜、ヒマラヤの展望、そして、崩れやすい岩の登り、氷壁、クレバス、ブルーアイスと、変化に富んだ登山を楽しませてくれた。飽きさせず、あっという間の旅でありました。 この度は、天候にも恵まれて、おかげさまで私も登頂できました。 何よりもお2人が怪我もなく無事登頂、下山されたことは喜ばしいことでした。 Mr.W さん、いろいろお手伝いありがとうございました。 Mr.S さんの頑張りには励まされました。 皆さんありがとうございました。 還暦という節目、良い記念になりました。 HSA 森崎 (↑写真右) ←アイランド・ピーク頂上をまたいで |
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最後にガイドのボカさん、あなたはオフィスでは少し遠慮がちでかしこまっていましたが、6000mでのあなたは見違えるほどたくましく頼りがいのある仕事人でした。その男らしい表情は、あなたの生き生きとできる場が、ヒマラヤの高峰であることを示していました。テントをたたむすばやさ、氷壁をあっというまに登っていったスキル、クライエント一人ひとりの調子を見ながらの歩行、いつもニコニコとした対応、弱音をはかない不屈の精神・・・十分にガイドの資質を発揮してくれました。これからもいい仕事をして下さい。 奥さんが臨月で、4月5日が予定日だから早くマカルーの家に戻りたいと言っていた。医者はいないので、自分が手伝うと言っていた。無事に出産が出来ますように。 (マカルー出身のフリーのガイド:Boka Lama) |
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(←写真:ラクパ・ギャルツェン・シェルパ) HSA社長の自宅で会った私の親戚のこのガイドは、昨秋 1シーズンで、2週間の間に13回アイランド・ピークに登った。 次から次へと登ってくるクライエントを案内するためBCまたはHCに待機していた。 シェルパにとってアイランド・ピークはただの丘のようなもののようである。 胸厚で見るからにたくましい体格をしている。(耳たぶがまた素晴らしい。) 彼らをたくましくしているのは子供のころからの労働だ。頭ばかり使う仕事で現代人は退化しているとつぐづく思う。 |
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最後に、アイランド・ピーク登頂により、自分の6000m台における高度、気候での適応力が確認できます。 より高みを目指す方にとっては、この経験は次の行動の良い指針となることでしょう。 きっと思っていた以上に稔り豊かな登山になるはずです。 あなたのご成功をお祈り申し上げます。 HSA 森崎
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2010.4. 作成 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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