山行報告=アマダブラム

H.S.A.ご利用5回目の猪口春秋さんのご報告です。

 (ご質問のある方は直接猪口さんまで。メール

 

 

 

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 山行報告=アマダブラム

 9月18日〜11月15日 

参加者:猪口(報告者)、ドイツ隊5人、シェルパ2人、他にコック1人、キッチンボーイ3人。ポーター9人、ヤク9頭。

 今年の春、氷の状態が悪く、最後の数百メートルを残して登頂を断念したアマダブラムに再挑戦し、登ることが出来ました。以下は簡単な報告です。

 22日カトマンドゥ発。ルクラ(2500m)着(飛行機)。6日間のトレッキングで28日にアマダブラムベースキャンプ着(4600m)。

28日 いつものことだが,予定より早くBC入り。今回は経費の都合上,ドイツ隊の一員として来ているが、余りそのことは意識せずにマイペースで行くことにする。でもドイツ人は、天真爛漫(で時に自己中)なアメリカ人に比べればもちろんだけれど、他のヨーロッパ人に比べても「大人」だから最初から和気藹々。何の問題もなかった。ただ、予想したことだが。金銭的にはかなりシビア。ともあれ、皆デカイ。当然体力もあるから,簡単に登攀できるだろうと思ったが,あにはからんや,であった。

29日 BC開きの後,二人のシェルパとC1に向う。一人は前回も一緒に登ったパサン。気心が知れている。個人用登攀用具を担いだため,きつい。途中チェコ隊に会う。彼らは雪の状態が悪いため,断念したという。いやな予感。9:15発、14:00、5450m地点で時間切れ。C1には到達せずBCに戻る。。

30日 休養。洗濯と行水。ドイツ隊は総じて高度順化が遅れているため、明日荷上げへ。全て自分たちで担ぐというから偉い。これが本来の遠征の姿だ。

10月1日 パサンとペンバ(もう一人のシェルパ。エベレストに4回登頂の25歳)はボッカでC1へ。天候悪く、途中にデポしたものをC1に揚げられなかった。ドイツ隊のクリストフ(隊長。42歳)とマルティン(30代後半)は体調が悪く,パンボチェに一旦下りる。他の三人は昨日チェコ隊と会った5000m地点にツェルトビバークして、明日C1を目指すと言って出て行った。で、今晩の夕食は石組のキッチンでネパールの友達と一緒に食べる。天候は不安定で,今朝ようやく初めてアマダブラムの全容を見る。まだ雨季が完全には終わっていないのではないか。

2日 10:15 C1へ向う。今日背負っているのは主に衣料なので、29日より楽だ。それに高度順化が進んでいるせいか、29日のデポ地点には一時間早く着く。しかし、ここで荷揚げのため自分の装備のほかにロープなどを背負ったら、なんと重いこと。45分ほどでC1に着くはずが、一時間半かかってしまう。4時C1着(5700m)。気温3℃。もう絶対ここからは下りないぞ,登頂の帰り以外は,と思う。(この間もそうだったけれど)。今回は、ノースフェースの3人用テントをC1に張りっぱなしにして,もう一つをC2以上に担ぎ上げる事にする。したがって、シェルパ二人と一緒に寝る。

3日 二人のシェルパは下のデポ地点から荷物を担ぎ上げる。これで必要なものはそろった。二人はさらにC2手前の5級の壁の下まで更に担ぎ上げるつもりだったが、みぞれ状の天気なのであきらめる。夕刻、リンジが料理を運び上げてくれた。感謝。

4日 早朝好天。後、雪。シェルパはボッカ兼ルート工作に出たが,一時間後に天気が悪化。みぞれ混じりに。13時,キッチンボーイが料理を運び上げてくれる。同じ頃、マーティンとクリストフが装備の荷揚げ兼高度順化で登ってくる。クリストフはあと50mという所で完全に足が止まり、ここから引き返すと叫んでいるが(もちろんドイツ語で),マーティンはもうちょっとだから来い、とか言っている(らしい)。その直後、わがシェルパたちも戻って来るが,降雪のためC2には行けず、例の壁の下にデポしたらしい。先行き不透明と見る。夕方、突如,パサンがBCに戻ると言い出す。元気だね、まったく。どうもタバコが切れたので,下りたいらしい。俺だったら例えばビールを飲みたいから下りようなんて絶対に考えないけど。

5日 天気悪し。夜中もテントに雪の降りかかる音が間断なく聞えていた。起きると30cmくらいの積雪。さすがにBCに一旦下りることにする。もう一度登ることを考えると,ぞっとするが。8時発。この下りが悪かった。下り始めてすぐのスラブ状の岩は悪絶で,仕方ないから尻セードでちょっとずつ滑り降りる。BC帰着12時。BCも積雪10cmくらい。二人のシェルパとドイツ人五人はパンボチェに休養に降りていった。

6日 15時頃まで快晴。洗濯に励む。昨日の下りで靴がびしょぬれ。しかし、雪のBCも綺麗だ。昨日2ブロック離れた所に6人組のドイツ隊パーティー。さらに隣にはアメリカ人パーティーが入る。パンボチェ組戻る。(頼んだビールも)。しかし、フレデリクはどこにいるんだろうか。

7日 快晴。パンボチェに行ったパサンとペンバがラマ僧に天候を占ってもらったところ,ここ一週間は良い天気が続くと言われたそうだ。でも、今日はもう一日BC滞在。ドイツ組は全員、午後ABCへ。明日はC1へ行くと言っていた。

8日 晴れ。朝6時過ぎに起き,7時40分発で,三度C1へ。何度登っても苦しい。特にC1が見えてからが辛い。12時30分着。4時間50分というところ。着いてからしばらく口も利けないほど。毎回,今度のが一番苦しかった,と思ってしまう。雪はスラブ状のところは完全に消え,他のところもかなり融けている。でもここから上はプラブーツを履くことになるだろう。ブーツといえば、マインドルの新しいトレッキング靴は革から沁み込んでくるらしく,靴下が濡れている。困ったもんだ。困ったといえば,新しく買ったダイオードのヘッドランプ(ブラックダイヤモンド)の接触が悪く、点いたり消えたりする。因みに中国製。ドイツ組は全員C1まで来たが,残るのはファルクとフェリクスだけで、他の人たちはまたABCに戻るそうだ。そんなに高度順化に手間取っているのだろうか。特にリーダーのクリストフの調子が今一のようで心配。

9日 快晴。8時頃C2を目指し二人のシェルパと出発。ペンバがもっぱらかなりの荷を背負う。身体も大きいから頼もしい。といっても彼だって人の子,喘ぎながら登ることに変わりはないが,私にもこまめに声をかけ気を遣ってくれる。パサンのザックはミレーの40リットル級で,これではもともと余り荷物は入らない。外付けで色々担いでいるが、それでもペンバの三分の二といったところか。パサンはこの夏、二ヶ月ほどENSAに行っていたそうで、楽しかった日々を機会あるごとに話してくれる。私も毎夏シャモニに行っているので,話が合う。彼はなるべくアルパインで登りたいと言う。先回,私があまりのフィックスロープの多さに異議を唱えたこともあるだろうけれど,ENSAでの講習の影響も大きいのだろう。いいことだ。

 C2へのルートは春より雪が多く,苦しいが、最後のかぶったフェースもザックを荷揚げしてもらってなんとかこなし、無事C2着(高度6000m)。相変わらず天幕を張る場所は4箇所というところ。ここまで来ると最後の雪壁がぐっと近づく。シェルパ二人も今日はここまで。明日に備える。

10日 ラマ僧の言うとおり,晴れが続き、逆にいつ崩れるかと心配。シェルパ二人はルート工作(フィックスロープ張り)へ。C2からずっと見える。最初の小雪壁は雪が柔らかく悪そう。右にトラバースして100m程のクーロワールに入り,登りきって雪のテラスに着き、今日は作業打ち切り。二人がルート工作に励んでいる間に、アメリカのマウンテンマッドネス・グループのガイド二人がやって来て,テントを二張り張って下りていく。一張りは昨日シェルパが担いで来て残置したもの。その後,ファルクとフェリクスがひょっこり現れる。テントは先のアメリカグループのものを一晩ビール一本で借りたという。今までのところ,少し頭が重い以外調子は悪くない。好天よ続け。

11日 晴れ。いよいよC3へ向う。荷物は少しでも軽くということで,中着上下もデポ。ドイツ組みのうち何と最強と思っていたファルクが調子が悪いということでC1へ降りるという。結局パサン,ペンバ、フェリクス、私の4人でC3を目指す。8時30分パサン,フェリクス先行。9時半ペンバ、私出発。春にはここから空身で一気に頂上を目指したが,今回は小なりとはいえ荷物を担ぐのだ。4人になったが、軽量化を考え、テントはノースフェース一張りだけとする。まあ、後で後悔することになるのだが・・。

 最初はテントサイトから頂上側の大岩を半周するように巻き、先に書いた小雪壁を20mほど登り、右へトラバース気味に行ってクーロワールの末端を15mほど登り、更に右へ5〜7m行けばクーロワール本体がほとんど上まで見渡せる。最初の小雪壁の雪質が悪い以外はさして困難もないが、何せ高度は6000mを越えているので苦しい。淡々とこなして、昨日二人が作業を終えた小テラスへ。ここからは今日ルート工作となるので,待ち時間が多くなり,スピードは落ちる。ここから三つ目のビレ−ポイントから、リッジに続く急な雪壁が始まり,上半分は登攀者の姿は見えない。盛んにサラサラとグラニュー糖のような氷や雪が落ちてくるが、小一時間たってもコールがかからない。後から分かったが,ここはフェリクスがリードして何とかリッジに這い上がったらしい。日もあたり風もそうなかったから、余り寒くはなかったが。

 リッジは極端に痩せていて緊張する。氷や雪が剥げ落ちていて、がたがたの岩のトラバースなどもある。結構時間もたっているのだが,C3の雪のプラトーがある、ドーナッツの端を食いちぎったようなセラックはまだ遠い。その上には例の巨大セラックが、崩れないのが奇跡に思われるほどの危うさで、のしかかっている。雪稜をいくつか、喘ぎながら越え、ようやくC3適地を目前にするが,5時40分と日没寸前であることもあり,その手前の,いかにも風を防いでくれそうな形のコルに荷を置き,テントを張る。ここだとたとえ二張り持ってきても張れないかも知れない。

設営を終え、EPIに火をつける頃には、残照がわずかに山の端にかかっているのみであった。食料は大したものはない。早々に寝て明日のアタックに備える。テントは四人では極端に狭く、隣のフェリクスの巨体(190cm)がのしかかってくる。

12日 快晴。風。4時起床。5時発の予定が、4時20分起床、5時50分発となる。朝食は簡単なスープのみ。最初はまずC3適地のプラトーへ15m

程登る。今日もパサントップ。見覚えのある雪原の上に巨大セラックがのしかかっている。といっても、そのセラックまでは100mはある。小クレバスを越えて、斜度65〜70度の雪壁を巨大セラックの右端を目指してひたすら登る。しかし、なんと雪質の悪いこと。グラニュー糖のような雪がさらさらと落ちてくる。トップはさぞ苦労していることだろう。この斜面二ピッチ目からはフィックスを張らず,アルパインのコンテ形式で登る。多少不安はあるが、たとえ落ちても、勢いがついてひどいことになるという恐れはなさそうだ。セラックと雪壁の境目にアイススクリューで支点を取り、セラックに迫られているような狭い雪壁をさらに登る。ここには一箇所、傾斜の強い厄介な10m位の雪壁がある。雪質が良い時は問題ないのかも知れないが,真南を向いているせいもあって半ば融けていて、アイゼンもアックスも効きが悪い。何とかごまかして登ったが,下を見るとなかなか迫力ある眺めで、下の氷河まですっぱりと切れ落ちている。いよいよ巨大セラックの上に出て、「さて頂上は」と見上げると,何の事はない,そこから遥か上に白い峰々が頂きを連ねており、どれが頂上やらわかりゃしない。幾重にもリッジが連なり、全て白いせいもあって、距離感がつかみにくく、取りようによってはとても今日中に着ける距離とも思えない。疲れが数倍になって押し寄せてきて,もう止めたいという思いが頭をよぎる。足が重いとか息が苦しいというより、圧倒的な山の大きさに心が押し潰されそうになる。でもその一方で、もう何度もあるいは何十回も描いたこの雪壁のイメージをもう一度思い出して,この山は決して巨大な山ではないんだと自分に言い聞かせる。 このテラスのすぐ上に、この雪壁を横一文字に切り裂いたようなクレバスが走っている。パサンは雪がこんもり盛り上がった所を選んで私にビレ−させ越えようとしたが,そこは30cmの厚みしかなく、すぐ下にはクレバスが青白い口を開けて待ち構えている。私はそこをやめさせ,、ペンバが選んだ個所に移り彼をビレ−する。そこから頂上まではペンバがリードした。

 そこからはまさに我慢比べ。アックスを打ち込む必要はない単調なリッジをひたすら登る。私は20歩までは足を止めないと決めて登り始めるが,7歩行けば良い方。たいていは5歩で足が止まってしまう。何分たったか、何時間登ったか、時間の感覚もなく、あれがピークだと勝手に決め、ひたすら歩を進める。先を行くペンバとリッジの大小の感覚が変に不釣合いになった。ペンバの大きさがリッジに比べてやけに大きいのだ。そしてその稜線の先にもう稜線はない。ペンバが振り向き  “That is the peak”と言う。指差す先まで10mあるだろうか。ちょうど正午、ついにアマダブラムの頂きは足下にあった。

 まず目に飛び込むのはサガルマータ(チョモランマ)、さらにローツェ、ローツェシャール、右に三角錐の見事なマカルー。ここでは言葉は要らない。

 快晴、風強し。気温氷点下15℃。

 C3帰着17時40分。

13日 BC帰着18時30分

(結局ドイツ隊で頂上を極めたのはフェリクスだけだった)。

 

 


(後記)

登攀後の体調は、なんの障害もなく、問題ありませんでした。でも、C3からC1を経てBCまでの帰り道,C1では戻ってきた安心感もあってか、小一時間ほど動く気がしないほど疲れました。

行動中も含め,酸素は一回も吸いませんでした。高度順化は2,3ヶ月しかもたないと聞きましたが,私に限ってはずっともっているようです。アイランドピークのときの症状がウソのようです。

マウンテンマッドネスは,メンバーが登頂する前日に,ガイドが、雪壁の途中まであらかじめフィックスロープを張っているのが,BCから遠望できました。私は見ていませんが,翌日登攀できたようです。

私がBCにいるときには総勢72人いるということでした。

念のため付け加えれば,私達のグループは今シーズン初登でした。 

 (2001.11月)

 

 

ご参考までに、アマダブラムのサイトへのリンクです。写真もあります。

http://www.peakware.com/encyclopedia/peaks/amadablam.htm

 


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