初めてのヒマラヤ!アイランド・ピーク登頂

 1999年11月に、単独で登山された報告です。
 ヨーロッパ・アルプスの経験はあるが、ネパールは初めてという50歳代の方の
アイランド・ピークへの記録です。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

By 猪口春秋さん
(ご質問のある方は直接猪口さんまで。
メール

ご報告が一日遅くなってしまい、申し訳ありません。おかげさまで無事ネパールから帰ってきました。さまざまなご配慮に対し改めて厚く御礼申し上げます。すでにプルバさんからご報告が行っているそうですが、12日の午前2時にベースキャンプからアタックを開始し、7時半にピークに立つことが出来ました。ベースまでの間、あるいは下山時にもいろいろな高度の影響を受けるなど、新しい経験をすることが出来ました。また、トレッキング中も、山々の風景はもちろんですが、シェルパやコック、キチンボーイの皆さんと自分なりに交流するなど、本当に新鮮で素晴らしい旅でした。後日多少報告めいたものを改めてお送りいたしますが、取り急ぎ帰国のご挨拶を送信します。(11/25)  

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

先日もお約束しましたように、とりあえずつたない報告および感想めいたものを送信いたします。ご質問などございましたら、遠慮なくおっしゃってください。

感想など

(1) 先日のメールにありましたご質問については、アタックの前日にBC入りしてますので、ハイキャンプには荷揚げはしていません。アタック当日は、「報告」にもありますように、コックが登攀具や飲み物などをハイキャンプのさらに上まで揚げてくれました(5500m付近か)。シェルパは小生の登攀具やピッケル、ユマール、確保器、カラビナ、シュリンゲ等、小生が持った飲み水やカメラ、ヘッドランプ以外は全部持ってくれました。ただし、酸素ボンベは持っていかなかったようです(確認はしていません)。また、ポーターは下山までBCで待っていてくれましたし、その後もルクラまで行動を共にしてくれました。

(2) 酸素ボンベについては、小生の状態が比較的良かったせいか、一度も見かけませんでした。

(3) 高度障害(これは正しい表現でしょうか)については、おおむね「報告」にあるとおりですが、2,3付け加えてみます。

 障害の兆候や程度については、私の場合は自分で判断しましたが、場合によってはシェルパと綿密に相談した方がいいと思いました。そのためには、高山病に関する知識の習得とそれをある程度英語で表現できる必要があると思います。

 私の場合、BCに入るまでの速度(歩く速度と日程の両方)がちょっと早かったのかなという反省があります。そのため、障害の兆候が出たのではないかと疑っています。

 また、熱が出るなど、兆候が出た次の日にBCに入ったのも、自分自身やや反省しています。あそこは、もう一日停滞してもよかったのかと思います。

 (4) 食事については「報告」に書いたとおりです。特に付け加えることはありません。

 (5) テント生活についてですが、高度が高くなると結構夜は冷えるので、小さなランタンかストーブでもあると快適だと思いました。

以上です。       

 本来なら、お目にかかって御礼を言わなければなりませんが、失礼しております。機会を見つけて是非お目にかかりたいと思っております。(11/30)


 

1999年11月26日

 

クーンブヒマール  イムジャ・ツェ(アイランド・ピーク)山行報告

期間 1999年11月3日−24日

メンバー 猪口と、 ナワン・オンチェ・シェルパ(25歳) コック(25歳) キッチンボーイ(2人。うち1人25歳) ポーター(2−3人)

日程&コメント

11月3日 羽田、関西国際空港、上海経由、19時カトマンドゥ着。ホテル・ハラティ泊。

4日 カトマンドゥ(標高1300m)より11人乗り飛行機にてルクラ(2800m)へ(30分)。1時間でチョプルン(2660m)着。ロッジ泊。

5日 チョプルン−ナムチェ(3400m。歩行6時間30分(休憩含む。以下同じ)。高度差740m)。テント泊。

6日 高度順化のためナムチェ滞在。テント泊。

7日 ナムチェ−デボチェ(3820m。5時間15分。高度差420m)。テント泊。

8日 デボチェ−ディンボチェ(4300m。5時間40分。高度差480m)。テント泊。

9日 ディンボチェ−チュクン(4700m。2時間20分。高度差400m)。テント泊。チュクン手前より頭痛始まる。

10日 予定では今日BC入りするはずであったが、食欲不振(朝食なし)、夜間の呼吸障害(チェーンストークス型呼吸)など高度障害のためチュクン滞在。テント泊。
呼吸障害は寝入りばなに呼吸がだんだん浅くなり、気がついてみると呼吸が止まっているという状態。驚いて深呼吸する。こういった状態をほぼ夜中繰り返した。朝から熱も多分38度くらい出ていたように思う。しかし、熱は午後3時ごろ急に下がる。夜は回復し食欲も出る。そのため、ナワンと相談し、明朝の様子を見て、BCに入るかどうか決めることにする。日数は十分あるため、急ぐ必要はまったくないが、高度の高いところに長く滞在するのも余り良くないとのことなので、兼ね合いが難しい。

11日 体調がいいため、ひとまずBC入りすることにする。体調が悪くなればまたチュクンに戻ればいいとのナワンの意見。チュクン−アイランドピーク・ベースキャンプ(5100m。2時間20分。高度差400m)。テント泊。体調は絶好調とは言えないが悪くない。夜中のアタックを決める。19時就寝。

12日 快晴無風。気温−5℃(登攀途中の日の出直前<6時過ぎ>では−10℃程度か)。午前2時、BCよりアタック開始。午前7時30分アイランドピーク登頂(6189m。5時間30分。高度差1100m)。
ヘッドランプを頼りに、BCからしばらくゆるく登り、雪の詰まった狭くて少し急なクーロワールを経てハイキャンプ着(5400m。BCより1時間。高度差300m)。さらに登って岩陰でナワンとアンザイレン。ここまでコックが登攀具等を持って登ってきてくれる。ストックをピッケルに持ちかえる。この頃から薄明るくなりヘッドランプを消す。ここから雪稜をたどり雪原を経てやや急峻な雪壁(約50m)に取り付く。ここが核心か。フィックスロープがあり、左手はユマーリング、右手のピッケルを軽く打ち込みながら最初は快調に登る。しかし、高度が高いのに全般に速く登りすぎたのか息が急に苦しくなり、速度ががくんと落ちて、上部を抜けたところでへたり込む(教訓=登攀もビスタリビスタリ)。ここが頂上の一つ手前のピーク(6100m)で、頂上はもう見えている。後先になりながら登っていたアメリカ人(?)のクライマーが「顔がむくんで目がふさがりそうじゃないか。降りたほうがいいよ」などというが、「目が細いのは生まれつきだよ。こんなところで降りられるもんか」と思い、気合を入れなおしてからさらに登る(後日頂上での写真を見たら本当に眼がほとんどふさがっているなど、顕著な障害が見られた。ただし、呼吸は多分行動中も1分間110程度であったと思う)。あとはやさしい雪稜と少し急な雪壁をフィックスロープをありがたく使わせていただきながら頂上に立つ。
晴天で展望は最高であった。ローツェをはじめ、山々が押し寄せてくるといった感じ。やはりヨーロッパより迫力がある。なにせ目の前に8000m峰があるんだから。自分ではそんなに疲れたとは思っていなかったが、写真を見ると疲労の影が濃いどころではない。へたり込んでいる。でもすぐ立ちあがっているところを見ると、見栄を張ったのかそれとも急速に回復したのか。多分両方だろう。20分ほど頂上にいて降り始める。
BCを撤収し、チュクンへ(高度のためか左足がややよれる。そのためコックの助けを借りながらゆっくり歩き、チュクンへは午後7時着)。ロッジ泊。

13日 体調は悪くない。足も回復。チュクン滞在。テント泊。

14日 チュクン−パンボチェ(4000m。5時間。高度差700m)。ロッジ泊。

15日 パンボチェ−ナムチェ(3400m。5時間30分。高度差600m)。ロッジ泊。

16日 ナムチェ−チョプルン(2660m。6時間。高度差740m)。ロッジ泊。

17日 チョプルン滞在。ロッジ泊。

18日 チョプルン−ルクラ(2800m。1時間。高度差140m)。飛行機のキャンセル待ちでルクラ滞在。ロッジ泊。

19日 ルクラ−カトマンドゥ(飛行機。30分)。ホテル・ターメル泊。

20日−23日同。

24日 午前0時5分、RA411便で上海経由関西国際空港。さらに羽田へ。

 

感想など

1 高度による障害

実は出発前、高所順応や高山病については、常識程度のことや皆さんから「立花」でちょっとお聞きした以上のことは自分で勉強したことは何もありませんでした。別に甘く見ていたわけではなく、要するに障害が出たら勇気をもっていったん高度を下げる、という大原則を守ればいいと思っていたからです。ですから、高度障害については皆さんの方が詳しいと思いますので、ここでは小生が受けた高度の影響についてごく簡単に書いてみたいと思います。

(1) 一番怖かったのが、日程&コメントでも書いたように、「チェーンストークス型呼吸」です。これはご存知のように、浅い呼吸からしだいに深い呼吸になり、再び浅くなって、呼吸が数十秒間停止するというもので、このパターンが繰り返されます。僕の場合は、この停止した状態のときにガバッと目が覚め(誰でも覚めますよね)、うとうとしてまた覚めるという繰り返しで、チュクンの一晩は実際はあまり眠れませんでした。しかし、根が鈍感なのか、次の朝はあまり寝不足という感じではなく、体調も正常で、BCに向け出発しました。本当はもう一日滞在した方が良かったのかもしれません。

(2) むくみは鏡がないので、自覚症状としては手を見るか人の観察に頼るしかありません。小生の場合、4100mあたりで手にむくみが出ましたが、これはちょっとした登山ならいつも出るのでほとんど気にしていませんでした(事実、これは一日で消えました)。しかし、一方でちょっと気にしていたのが左眼の「目やに」でした。これについては、必ずしも衛生状態の良いところを旅しているのではないので、「ものもらい」でもできたかな?くらいに思っていたのですが、実は高度の影響だったわけです。日程&コメントでも書きましたが、頂上では明らかにさらに悪化していました。そのときは目だけではなく、顔全体にむくみがきていたようです。しかし、それがどの程度「危ない」状態だったのかは、まだ調べていません。このむくみは高度3000mあたりまでひ.きませんでした。

(3) 脈拍については、よく言われているように、「安静状態で一分間120を超えたら要注意」ですので、いつも寝る前と起きた時は脈を計りましたが、多いときでも90を超えることはありませんでした。行動中も110は超えなかったと思います。ちなみに小生の正常な脈拍は一分間60くらいです。

(4) 頭痛は余り気にしませんでした。それほど軽微だったということでしょうか。しても知らないうちに消えていたようです。熱はチュクンでかなり出ましたが、これは以前もインドで似たような状態になったので、通過儀礼だと思い気にしませんでした。事実、その日のうちに収まってしまいました。

(5) 歩行障害については、「日程」でも書いたように、ピークから降りてくる時に左足がよれて、自分ではまっすぐ歩いているはずなのに、曲がってしまい、転びそうになるという状態になりました。これは三半規管への影響だと思います。幸い危険な個所は過ぎてからそういう状態になったのでまだましでしたが。この状態は半日続き、チュクンまで戻るのに苦労しました。しかし、翌日は直っていました。

以上のような状態は当然自分でチェックし、そこに滞在するか高度を下げるかあるいは先に進むかといった判断も少なくとも基本的な材料はシェルパに伝える必要があり、できれば最終的な判断も自分でシェルパに言った方がいいと思いました。これは全般に言えることかもしれませんが、シェルパやコックなどが付いているからといって、いろいろな事を彼らの判断に全面的に頼ってはいけないと思います。特に小生の場合、シェルパは血気盛んな25歳の青年で、サガルマータ(エベレスト)に2回など、8000m級を5座登っている優れたガイドでしたが、それだけに「弱さ」については彼の想像の及ばない部分もあったのではないかと思っています。ですからその分、自分で判断する必要があると考えました。小生の場合、初めてのネパールでしかもはじめて経験する高度でしたが、チュクンでの滞在延長などは自分で判断しました。

 

2 食事について

私の場合に限っていえば、コックの味付けとの相性が今一だったのでしょうか(人格の相性は非常に良かったにもかかわらず)、固形の料理については全般にいつもの半分くらいしか食べられませんでした。モモ(餃子)やオムレツ、春巻き、ジャガイモ料理、カレーなど、日本でもおなじみの料理を作ってくれますが、やはり味付けが違うことと、体調等の影響でそうなったのでしょう。味付けやメニューは多少注文をつけましたが、余り修正はされませんでした。その分、スープやミルクティー、ホットジュースなどでお腹をいっぱいにしました。一晩に三回もトイレに行ったくらいです。コックやキッチンボーイは僕が全部食べないと非常にがっかりするので、三日目くらいからは量を三分の一に減らしてもらいました。日本からはポカリの粉末やアメ以外の食料は持ち込みませんでしたが、今にして思えば、多少持っていった方が良かったかなと思っています。ちなみに、カトマンドゥのホテルやレストランの料理はほとんど平らげました。

 

 

特にネパールの文化や人々について、まだまだ書きたいことはあるのですが、ひとまず筆をおきます。取り留めのないことを書き連ねましたが、多少でもご参考になれば幸いです。

 

 

猪口さんの
タルプ・チュリ(テントピーク)山行報告 (2000.4月)
アマダブラム報告(2001.11月)
もご覧下さい。


Back To
H.S.A. ご利用の方の声